哲人参謀 石原莞爾 ・中村 晃著・叢文社 1,600円
小泉首相の靖国神社参拝を巡って議論が沸いている。靖国をタブーにせず議論することは良いことである。事実は時として真実を裏切ることはあるが、一方事実の積み重ねのない真実などない。靖国問題を議論する時も一つ一つ事実を確認していくことが大切だ。
実は私は若い時から戦犯問題について一つの疑問を持っていたが、それは「何故石原莞爾が戦犯に指名されなかったか?」という問題である。
この辺りの問題になると私(50代中頃)と同年代の多少歴史に関心のある男達でも意見はおぼつかない。
曰く
- 石原莞爾も戦犯じゃなかったか?
- 石原は終戦時にはもう死んでいたのではなかったか?
多少気の利いた意見で
- 東条英機を戦犯にするためには、その政敵石原莞爾を戦犯にすると焦点がボケるので石原は戦犯になることをまぬがれた。
実は私も石原莞爾に関しては今まで数冊の本を読んでいたが、何故石原が戦犯にならなかったか?という点については曖昧であった。今回この本を読んだ理由の一つもその「何故」を探すところにあった。
それに対する一応の回答はあとがきの中にある。以下あとがきより
(石原莞爾が重要証人として出廷した酒田臨時法廷で)訊問に先立って裁判長は莞爾にたずねた。「何か申しておくことはないか」
それを莞爾は待っていた。
「あります。不思議でならないのは、満州事変を起こしたのは自分である。それなのに自分をなぜ戦犯として逮捕しないのか」
これには裁判長も検察官も虚をつかれた。裁判長は急ぎたしなめた。
「ジェネラル(将軍)は証人である。証人はそのようなことをいってはいけない。当方からたずねることに『イエス』か『ノー』で答えればよい」
・・・・・莞爾が戦犯にならなかったのは、中国が指名しなかったのが、真相のようである。莞爾にとって中国は戦う相手ではなく、協和すべき国だった。日中事変の早期解決を誰よりも求めたのは莞爾だった。
昭和12年(1937年)盧溝橋での衝突から日中事変が始まった時、近衛内閣は中国出兵声明を出したが、石原は日本軍の戦力を冷静に分析し中国と戦うことに反対したのである。
今A級戦犯を巡る議論の中に「A級戦犯も公務死したものであり、死者の罪まで問うことはできない」といった類の議論がある。また「死者を鞭打つ」ことも日本の文化・風習に馴染まないところである。
しかしながらかかる理由から戦争指導者の政治・軍事面の指導責任まで後世の人間が問わないとすれば、それこそ幾多の死者の命を無駄にすることになる。
例えば東条英機が作らせた「戦陣訓」というものがある。この中に「生きて虜囚の辱めを受けず」という下りがあり、これが多くの死者を生んだことは有名である。
かかる政治・戦争面の指導者の愚策を指摘してその過ちを繰り返さないことが「歴史に学ぶ」ということである。
A級戦犯は「戦勝国」が裁いて講和条約で日本が受け入れたものである。従って国際政治的には完了した話として良いだろう。
しかし戦争責任者がA級戦犯になったことを持って「彼らが日本国民になした罪」まで一まとめに清算されてよいものだろうか?というのが私の論点である。
例えば石原莞爾という灯明を持って、日中事変以降の戦争指導者の行為や判断を評価するという作業が必要かと思っている。