金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

書評 「哲人参謀 石原莞爾」

2005年06月28日 | 本と雑誌

哲人参謀 石原莞爾 ・中村 晃著・叢文社 1,600円

小泉首相の靖国神社参拝を巡って議論が沸いている。靖国をタブーにせず議論することは良いことである。事実は時として真実を裏切ることはあるが、一方事実の積み重ねのない真実などない。靖国問題を議論する時も一つ一つ事実を確認していくことが大切だ。

実は私は若い時から戦犯問題について一つの疑問を持っていたが、それは「何故石原莞爾が戦犯に指名されなかったか?」という問題である。

この辺りの問題になると私(50代中頃)と同年代の多少歴史に関心のある男達でも意見はおぼつかない。

曰く

  • 石原莞爾も戦犯じゃなかったか?
  • 石原は終戦時にはもう死んでいたのではなかったか?

多少気の利いた意見で

  • 東条英機を戦犯にするためには、その政敵石原莞爾を戦犯にすると焦点がボケるので石原は戦犯になることをまぬがれた。

実は私も石原莞爾に関しては今まで数冊の本を読んでいたが、何故石原が戦犯にならなかったか?という点については曖昧であった。今回この本を読んだ理由の一つもその「何故」を探すところにあった。

それに対する一応の回答はあとがきの中にある。以下あとがきより

(石原莞爾が重要証人として出廷した酒田臨時法廷で)訊問に先立って裁判長は莞爾にたずねた。「何か申しておくことはないか」

それを莞爾は待っていた。

「あります。不思議でならないのは、満州事変を起こしたのは自分である。それなのに自分をなぜ戦犯として逮捕しないのか」

これには裁判長も検察官も虚をつかれた。裁判長は急ぎたしなめた。

「ジェネラル(将軍)は証人である。証人はそのようなことをいってはいけない。当方からたずねることに『イエス』か『ノー』で答えればよい」

・・・・・莞爾が戦犯にならなかったのは、中国が指名しなかったのが、真相のようである。莞爾にとって中国は戦う相手ではなく、協和すべき国だった。日中事変の早期解決を誰よりも求めたのは莞爾だった。

              

昭和12年(1937年)盧溝橋での衝突から日中事変が始まった時、近衛内閣は中国出兵声明を出したが、石原は日本軍の戦力を冷静に分析し中国と戦うことに反対したのである。

今A級戦犯を巡る議論の中に「A級戦犯も公務死したものであり、死者の罪まで問うことはできない」といった類の議論がある。また「死者を鞭打つ」ことも日本の文化・風習に馴染まないところである。

しかしながらかかる理由から戦争指導者の政治・軍事面の指導責任まで後世の人間が問わないとすれば、それこそ幾多の死者の命を無駄にすることになる。

例えば東条英機が作らせた「戦陣訓」というものがある。この中に「生きて虜囚の辱めを受けず」という下りがあり、これが多くの死者を生んだことは有名である。

かかる政治・戦争面の指導者の愚策を指摘してその過ちを繰り返さないことが「歴史に学ぶ」ということである。

A級戦犯は「戦勝国」が裁いて講和条約で日本が受け入れたものである。従って国際政治的には完了した話として良いだろう。

しかし戦争責任者がA級戦犯になったことを持って「彼らが日本国民になした罪」まで一まとめに清算されてよいものだろうか?というのが私の論点である。

例えば石原莞爾という灯明を持って、日中事変以降の戦争指導者の行為や判断を評価するという作業が必要かと思っている。

コメント (3)
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マドリード・プラド美術館に酔う~スペインの旅(5)

2005年06月28日 | スペイン旅行

グラナダからマドリードは鉄道の旅である。朝8時発の列車は定刻にでる。朝が早くてホテルの朝食に間に合わなかったので、列車が走り出して暫くすると食堂車~というかカフェ~に家内と二人で向かう。Cafetrain

カフェのマスターは全く英語を解さないが、メニューの中にはサンドウィッチ等外来語もあるので用件はほぼ通じる。列車は全速力で走ったかと思うと離合待ちのために長く停まる。車窓の風景は余り変わらず乾いた大地と小麦畑やオリーブの木々の繰り返しだ。6時間半程列車に乗って漸くマドリードのアトーチャ駅に着く。

列車は地階に到着するのでどこがタクシー乗り場か分からない。そこでお巡りさんをつかまえて”Donde esta la parada de taxi?”(タクシー乗り場は何処ですか?)と聞いたら「上だ。上の階だ。」と教えてくれる。少しは勉強したことが役に立った。

さて駅からホテルまではタクシー。ホテルはプエルタ・デ・トレドという凱旋門のある広場に近いところのフィニステレというホテルだがこれが甚だ良くない。今回の旅行で残る地域のホテルがそこそこ良かっただけに残念だ。

さて到着した日はホテルで休むという娘を残し、家内と二人で乗合観光バスに乗る。このバスは一日乗り放題で13ユーロ。循環するコースは3つあり、市内の数ヶ所でバスを乗り換えることができる。時間の関係から僕らは2つのコースしか回ることが出来なかったが、マドリードの概観はある程度分かった。

mayor 翌日はホテルから歩いてマヨール広場に行く(写真右)。この広場は1619年に5階建の集合住宅に囲まれた広場として建設された。広場の周囲にはバル・カフェ・レストランや服飾品の小売店が並ぶ。マヨール広場から賑やかなプエルタ・デル・ソルに出てそこからタクシーでいよいよプラド美術館へ。

3ユーロ払って入館するが、バッグの中にペットボトルを入れていた家内と娘はチェックされる。ペットボトルは持ち込み禁止なのだ。

プラド美術館では目当てにしていたベラスケスの「ラス・メニナス=宮廷の侍女達」やゴヤの「裸のマハ」等をゆっくり見ることができた。美術館の中は「撮影禁止」ではないため、デジカメで写真を撮っている人がかなりいた。特に「ラス・メニナス」には撮影者が多い。ただし僕はホテルにカメラを置いていった~写真を撮るよりもこの眼で本物をじっくり見た方が良いと思ったので~ので、展示品の写真はない。本来は2日間美術館に通い一日を撮影に当てるのが良いのかもしれない。

それにしても大変な展示品の数である。鑑賞に草臥れては地階のカフェで休んでいたため、つい一部の展示品を見落としてしまった様だ。特に残念なのはヒエロニムス・ボッスの「快楽の園」を見落としたことである。

夜はマイヨール広場近くの英語のメニューのある地場レストランに行く。オムレツや蛸などのスペイン料理を食べるが相当塩辛い。こんなに塩辛いものを食べていてスペイン人は高血圧にならないのだろうか?

かくして我々のスペイン旅行は終わった。いや第1回目のスペイン旅行は終わったと言おう。スペインは広大な国で1週間程度ではとても見ることはできない。

何年か後に又来てみたい国である。

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大手銀行株は買い時か?

2005年06月28日 | 株式

27日付のウオールストリートジャーナル(WSJ)によれば、邦銀大手行株に上昇余地があるということだ。

記事の主旨を簡単に紹介しよう。

  • 最近の決算発表によれば、3大銀行は不良債権が管理可能なレベルに低下し、収益予想も強いので過去10年以上で最も良い姿である。と同時にその株価は明るいアウトルックを反映していないとアナリスト達は言っている。
  • 収益状況が良いにもかかわらず、銀行株は過去6ヶ月低迷していた。というのは経済全般に対する懸念と政府が保有する優先株が一般株に転換され、株主価値の稀釈化が起きるのではないかという懸念があったからだ。
  • しかし現在ではこれらの懸念は沈静化している様に見える。メリルリンチ東京の銀行部門アナリスト山田氏は「もし経済状態が良いとすれば、銀行株こそ投資すべき先だ」と言う。山田氏や他のアナリストが上昇余地が大きいと見ているのは、関連会社による中小企業向け貸付が潜在的収益源である三井住友だ。山田氏は同行の株価は現在(先週金曜日終値)の747,000円から23%高い920,000円に上昇する余地があると予測している。
  • また同氏は三菱東京については21%高の1,130,000円、みずほについては17%高の513,000円を予測している。
  • もちろんリスクはある。その一つは郵貯の民営化により貸出市場に巨大な競争相手が出現することである。もう一つは9月に金融庁が発表する予定の新しいルールが銀行の利益に与える影響である。
  • 最大の潜在的な障害物は5百兆円(GDPベース)規模の日本経済の全体的な健全性である。それは銀行は会い部分の業務を国内で行なっているので、その命運は国内の企業の債務不履行と倒産状況にかかっているからだ。
  • この点について過去6ヶ月間銀行株価の重しになっていたが、政府は今月初め、第一四半期成長率は4.9%と発表している。
  • マクワイヤグループのアナリスト・アコブ氏は「現在銀行の資産の質はきわめて大きく改善している」と言う。貸倒償却が急速に減少することで3大大手銀行の収益は今年から2006年3月期にかけて急速に改善する。
  • 同氏は三井住友を「アウトパフォーム」にしているが、その理由は将来収益に対する株価収益率が11倍に過ぎずこれは日本の投資家が歓迎する18倍より低いからである。

と書いたところで、現在(28日午前)の大手銀行の株価を見てみると、東京三菱は5,000円安の926,000円、三井住友は変わらずで739,000円とさえない。これは原油高で米株が下げ市場全体が湿っぽいことによるだろう。

ただこの記事がファンダメンタルを重視する欧米投資家のコンセンサスに近いものであれば、大手銀行株を検討する時期なのかもしれない。

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中国の農民抗争

2005年06月27日 | 国際・政治

中国の土地所有権の曖昧さから農民と開発業者の土地を巡る抗争が激化していることを最近のエコノミスト誌が報じている。特に地方政府の汚職の激しさが大きな問題になっている様だ。そのポイントは後述のとおりだがその前に私見を述べておこう。

今開発優先・経済発展優先の政策のもと多くの農民が土地を失っているが、彼らの不満は「集団としての怒りの臨界点」には達していないのだろうか?それは共産党政権を揺るがす程のものではないのだろうか?

それにしても日本のマスコミは中国寄りの記事が多すぎる。私は中国共産党が14億人に人民を兎にも角にも「食べることができる」ようにしてきたことは評価するもの~個別には文化大革命等問題はあったが~だが、それは我々が享受し今後も守るべき「自由」とか「誌的財産権」が保護された世界とは全く異なる世界であることも同時に理解して置かなくてはなるまい。そのような中国の現状と問題を直視しないで、靖国問題等を論じることは不毛な観念論を弄んでいるに過ぎないといわざるをえない。中国の現実を日本人が直視する時新たな日中関係が見えてくるのではないだろうか?

  • 中国では毎年農地の盗用を巡って数万件の抗争~多くは暴力を伴うが~が起こっている。その中でも6月11日に河北県で起きた抗争は公的報道機関の特別な関心を引いた。
  • 一人の農民によりこっそり持ち出されたビデオテープによれば、彼の仲間の農民が約300名のヘルメットをかぶった若い暴徒に棒やスコップで殴られている。凶徒に発砲の音も聞くことができる。6名の村人が殺され約50名が入院した。
  • ビデオのコピーがインターネット上で広く回覧されたため、当局は迅速に対応した。村が所属する定州の市長と共産党主席は首になった。公的報道によれば22名が逮捕された。
  • 土地を巡る抗争は急成長を遂げる国ではどこでも一般的であるが、中国の場合は土地所有権に関する明快さの欠如が事態を悪化させている。理論的は地方の土地は「集団的に所有」されていることになる。
  • しかしながらそのことが村民自体がまたは数箇所の村を管理する市政府が農民のために集合的権利を行使するのかはっきりしない。
  • 農民は更新可能な30年間の土地使用権を有しているが、彼らは土地を売ることはできない。また理論的に村人達が土地処分権を持っているとしても、実際には通常村人達は共産党員にコントロールされている。共産党員はより高いレベルの命令を遂行する任務を帯びている。
  • 共産党が土地私有権を制限したことで、地方における土地の産業利用転用やインフラ整備は促進したが、一方多大な汚職の温床となった。地方政府の役人は、開発業者から土地売却により多額の金を懐に入れた。
  • 昨年共産党は農耕地の急速な減少は食料安全性に影響を与えるということで、不急の農地(から他の用途への)転用を半年間停止した。更に農地からの転用は高いレベルの認可が必要という規制も発表した。
  • 恩家宝首相は「農地収用を抑えることに失敗すると土地と職業のない農民の数が増えるので極めて重大な事態になる」と述べた。
  • 土地の収用は実は開発が進んだ沿岸部や大都市周辺で大部分行なわれている。
  • 北京近郊の村ではオリンピック関連で農地が収容されているが、農民達は土地代金の大部分は地方政府の役人の手に落ちて、彼らにはごく小額しか回ってこないことを懸念している。
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埼玉のあじさい寺

2005年06月26日 | まち歩き

6月下旬の土曜日、朝からもの凄く暑くアジサイ見物でもないなぁと思いつつ、一度行って見たいと思っていた埼玉県妻沼(めぬま)町の能護寺に向かう。西東京市から妻沼町まではshourou関越高速経由で70km程度。行きは花園ICを使ったが帰りは東松山ICを使った。距離・時間とも後者が早そうだ。

さてこのあじさい寺、お寺のパンフレットによれば行基上人により743年(天平15年)建立とある。もの凄く古いお寺だ。左の写真の鐘楼の鐘は1701年(元禄14年)の鋳造、鐘楼は明治26年再建とある。

このお寺には120種類約800株のあじさいと鉢物300鉢があるそうだ。

あじさいの植え始めは昭和45年(1970年)ということである。

お寺への道筋は・・・正直なところナビ任せであるが、東松山からは国道407号を通る。国道407号沿いには道の駅「めぬま」がある。ここで850円もする藁づと納豆を買った。まだ食していないので味の程は何だがその大きさには値段も納得させられる。

gakuaji3 ajisai

さてそのあじさい120種類はおろか、額あじさい(右の写真)と普通のあじさい(左の写真)の区別がつく程度であったが、お寺の境内を見て歩くと実際色々な種類がある。また同じ種類でも土壌の酸性度合により花の色は変化するということだ。アルカリ性が強いと濃い赤色になり、酸性が強いと濃い青色になるという。お寺に注文を付けるならば、素人用にもう少しあじさいに名札を付けて頂きたっかた。

kasiwaba 右のあじさいは「かしわば」という名札があった。葉が柏の木の葉のように3つの頂点を持っているところに命名由来がありそうだ。

あじさい寺の住所と電話番号:

埼玉県大里郡妻沼町永井大田2450 電話048-588-0901

さてあじさい寺を出てから妻沼町のもう一つの名所「聖天山」に向かう。キロ数はせいぜい4,5kmである。このお寺は日本三大聖天さまの一つであるという。では残る2つはどこか?といことであるが、お寺のパンフレットには書いていないので後程インターネットで調べたところ、待乳山聖天(東京)と生駒聖天(奈良)を持って三大聖天さまと称することが多い様だ。ただし桑名の聖天さま等を入れて妻沼の聖天さまを外す数え方もありそうだ。

このお寺は斉藤別当実盛公が先祖伝来の聖天さまを1179年(治承3年)にお祀りしたことに始まるというから古いものだ。

sannmon 第一の山門「貴惣門」(写真右)は、御本殿とともに国の重要文化財である。ただし御本殿の方は現在改築中であり、見ることはできないのが残念である。

聖天様を終えたところでお腹が空いたので、来る途中で見たラーメン屋に入る。お店の名前は「おおのだな」(電話048-588-0214)50年以上も続く老舗で、地元紙等でも紹介されている。(写真がお店にあった)

それだけのことはあり中々美味。私は冷やし中華、家内は支那ソバを食べる。地元の人が多く来ている~というか余り他所の人が来るほどの観光地でもないが~のでまず美味な店と言える。

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