金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

ぐるっとパスで六本木の美術館へ

2006年04月30日 | アート・文化

今月最初に買ったぐるっとパスがあるので、余り関心はなかったが、ワイフと六本木の森美術館に行った。森美術館では「東京-ベルリン」「ベルリン-東京」展をやっていた。これは東京-ベルリンの近代の絵画・建築・商業美術等を同時進行的に展示したもの。ただし今一つ興が乗らなかった。ワイフと「余り調べもせずに割引券があるからといって美術館にきてもダメだね」と苦笑いする。次にワンフロア降りて森ビル52階の展望台(東京シティビュー)を一周する。ちょっと気になった建物は青山霊園のとなりに建設中の国立新美術館。その時詳しいことは知らず、今調べたところなのだが、平成18年にオープンする独立行政法人国立美術館の5番目の美術館とか。最寄り駅は地下鉄千代田線乃木坂駅とのこと。

作ってしまったものに反対する積もりもないが、日本は小規模の美術館で高い料金を取るところが多過ぎるのではないか?と思っている。ニューヨークのメトロポリタン美術館にしろ、マドリッドのプラド美術館にしろ、数百円の料金で沢山の名品をたっぷり楽しむことができる。日本でも美術館の数を増やすより、統合して大きなものを作ることを考えるべきではなかったのあろうか?

さて、森ビルから地下鉄一駅分歩いて六本木一丁目の泉ガーデンタワーの奥にある泉屋(せんおく)博古館 分館に行く。

Senoku016

この美術館は住友家の旧蔵品を蒐蔵する京都の泉屋博古館の東京分館なのだ。展示は「近代陶磁器にみる東と西」ということで、茶道具等の陶器の展覧会であった。私はパンフレットにある板谷 波山の陶器を出光美術館で見て以来、印象に残っているのだが、又みることが出来てよかった。しかし展示スペースは狭いので直ぐ見終わってしまった。

今日はぐるっとパスがあったので、無料で入場できたが、一般料金は520円である。美術鑑賞を経済的に分析するのはどうかと思うが、作品一点辺りのコストはもの凄く高い。5百円も払うとメトロポリタンで丸一日世界の名品をみることが出来ると思うと何だか納得しにくいものがあることは事実だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本の金利引き上げの影響

2006年04月28日 | 金融

エコノミスト誌は今週「日本が正常な金融政策に戻ることは、銀行、消費者金融や保険会社にどの様なことを意味するのか?」という記事を書いた。エコノミスト誌の日本の経済・金融に関する予測は、内外の数多の経済誌の中で卓抜した先見性を示してる。少し古いところでは、エコノミスト誌が90年代後半に発表した「長期信用銀行の使命が終わった」という記事が、旧興銀を合併に走らせ、旧長銀・日債銀の破綻を加速させたとも言える。新しいところでは、日経平均がバブル崩壊後最安値を付けた03年春頃に日本経済の復活を予告した。予想が外れていた例では、米ドル安予測があるが、4月に入ってからドル安が進んでいるのでエコノミスト誌の執筆者もほっとしているだろう。今回の記事のポイントは、日本経済が回復過程で、銀行や借り手が経済合理性に基ずく融資判断を行ってきたかどうかの試金石になると結論付けている。昨今金融庁の銀行検査における資産査定も厳しくなっていると聞くことが多い。金融機関は今後益々与信ポートフォリオを査定する時、統計的・合理的なルールに基づいて作業を行う必要があるということだ。さて同誌のポイントを意訳してみる。

  • 日銀は多分今年の夏に金利を引き上げる。多くの予測者は、年末までに0.5%、2007年の何処かの時点で1%に金利が上昇すると考えている。日銀の政策委員の中には来年は2%は必要と考える者もいるが、他の者はこれは日本経済の回復を壊してしまうと恐れる。
  • 金融市場は予想していたよりも強く、日銀の政策変更に反応した。10年物国債利回りは6年振りに2%を付けた。政策変更は海外にも影響を及ぼし、安い金利の円を借りて高い通貨の資産に投資する「キャリートレード」の解消が起こり、その結果ニュージーランド・ドルの様に傷つきやすい通貨は不安定になった。
  • 金利が上昇することの銀行についての影響はプラスである。預金金利は貸出金利が市場金利に連動して上昇するのに比べて、上昇速度が遅いからである。日本の巨大な保険会社も10年に亘ったひどい時代の後で喜ばしい時期を向かえている。これは運用と保証利回りの逆ザヤが解消し始めたからである。証券会社もハッピーな仲間である。証券会社は借り入れが多く、金利上昇の悪影響を受けるが、一方信用取引と債券取引から利益を上げることができるからである。
  • 一番損をするのは消費者金融会社である。消費者金融会社は、債券発行か銀行借入で資金調達を行っているが、両者ともコストが上がっていくだろう。準大手以下の会社は既に激烈な競争とオペレーティングコストの上昇に苦しんでいる。更に与謝野金融相は、グレーゾーンの金利を廃止し、15-20%の利息制限法の上限に一本化する提案を行っている。
  • しかしこれらの金融機関の健康状態は、その顧客の幸福状態更には日本の経済状態全体に関わっている。一般的に日本の企業は元気に見えるが、実は多くの会社、特に事業を合理化できず債務を削減できなかった会社は全く健全ではない。
  • 野村金融経済リサーチセンターが集めた日本の金利負担が多い100社リストには、金利上昇で傷つき易い会社という名前が付いている。ダイエー、日本航空、三洋電機、楽天、ソフトバンクを含む幾つかの大会社は利益を上げ、債務を削減することに苦闘している。過密で利益の出ない建設、鉄道、リースでは繰り返し問題が起きている。もし債務者が苦戦するなら債権者(銀行や保険会社)もまた被害を受けるのである。
  • 経済の4分の3を構成する中小企業は、大企業に比べて、デッド・エクイティ・レシオがほぼ2倍高く、金利上昇で傷つき易い。破産は過去数年間減少していたが、再び緩やかな上昇に向かっていると帝国データバンクは言う。更に帝国データバンクは、政府は既に中小企業向け支援に40兆円の資金を投入していると言う。これは弱小企業の破綻を1,2年先延ばししているはずだが、その次何が起こるか誰も明確に分っていない。
  • しかし最大の問題は「日本がどの様に新しい時代の金融秩序・規律に適応するかだ」と格付機関・三国事務所の三国社長が言う。金利が上昇すれば、企業は各種のプロジェクトについてより厳しく考える必要がある。銀行は今までの日本風にやり方ではなく、信用リスクに基づいてローンを評価する必要があるだろう。
  • 日銀が金融システムに流動性を供与していた限り、その資金はゾンビ企業を生き延びさせるために使われてきた。金融規律の欠如は量的緩和のはるか前からあった。バブル時に日本の企業とその債務者達は、不動産価格は永久に上がり続けるという錯覚の下で暮らしていた。
  • 今不動産投資信託と特化型のプライベート・エクイティ・ファンドは、多額の借り入れを使いながら、東京・大阪・名古屋の富裕地区の物件を買うのに争っている。これらのの借り手は~数百の建設業者や開発業者という訳ではないにしろ~リスクは高い。
  • 日本がより高い金利に戻る事は日本経済が健全化ししている兆候として理解されるべきである。どの程度日本経済が堅実に回復しているかということは、金融機関とその顧客が良識に基づいてお金の貸し借りを行っているかに関わっている。金利の上昇は学習効果が出ているかどうかの試金石になるだろう。

今回エコノミスト誌が言っていることについては、相当範囲で正しいと思う。金利の上昇は、財務的基盤の弱い会社に取って厳しい時代であることは間違いない。疾風に勁草を知る時代ということだ。今回の金利上昇は将来生き残ることが出来る会社を選択するリトマス試験紙と考えて置いた方が良さそうだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どうして日本は金融でアメリカに勝てないのか?(5)

2006年04月26日 | 金融

今日は「日本人はアメリカ人より抽象的なものの考え方が不得意である」という仮定にそって、この問題を考えてみたい。この「日本人が抽象的なものの考え方が不得意である」という仮定について正否をまじめに論じるとこれ又大変な議論になるので、個人的な経験等を交えて簡単に説明したい。

個人的な経験からいうと、アメリカに駐在していた時、ゴルフ場等へ行く道筋の説明を受けることがあった。この場合日本人は必ずと言って良い程、地図を描く。一方アメリカ人は必ずと言って良い程、文章で記述する。この事から私は日本人は絵画的、具体的表現が得意で、アメリカ人は文章的、抽象的表現が得意なのではないか?と私はずっと考えていた。

金融等の契約について考えてみると、日本人は従来余り細かい取り決めを好まず「問題が発生した時、誠意を持って協議する」といった条項で済ませてしまう。これに対してアメリカ人は事前に想定される事態を事細かに定義して、取り決めを予め契約に盛り込んでおく。

以上のようなことからここでは「日本人は抽象的思考が相対的に不得意である」という仮定が正しいという前提で話を進める。

ところで金融というものは、極めて抽象的思考を要するものだと私は考えている。まずお金というものが抽象的だ。確かにお札や硬貨は具体的なものである。しかし、高度な資本主義経済下でいわゆる現金の占める割合は低い。大部分は銀行の預金口座に入っていたり、債券や株式の形で保有されている。債券や株券は昔は紙に印刷されていたものだったが、今や保管機構に預けられ現物を見ることも少なくなった。株式については平成21年を目処にペーパーレス化されるはずだ。つまり今や大部分のお金は目に見えるものではなく、バランスシート上の数字として認識されるものになった。

ポートフォリオ理論や金融資産の証券化あるいはデリバティブといった金融工学の理論と実践は殆どアメリカ(一部欧州)を中心に発展してきたが、これは極めて抽象的なものの考え方をベースにしている。

例えば金融資産の証券化ということを考えてみる。証券化の代表例は売掛債権なので売掛債権を例にしよう。売掛債権の証券化とは、さまざまな信用リスクの差を持った債務者をプール化して、多階層の債券に仕立て直し、投資家に販売するものだ。ここでは債務者の個別性は捨象され「債務を受取る」という権利だけが抽出・抽象される。これが統計的な債務不履行リスクにより、最優先して「債務を受取る権利を持った」債券や劣後した債券に分解され、リスク許容度が異なる投資家に販売されるのである。

一方日本では手形割引というものがあった(少なくなっているが今もある)が、これは手形振出人や裏書人の個別の信用を土台としたもので、極めて個別的・具体的なものである。日本人は個別的な分析は得意だから、AならA、BならBという個別企業について信用リスクが高いとか低いといったことは分析し判断する。しかしその判断は神ならぬ人間が行なうことだから、絶対間違わないということはない。しかし一昔前の金融マン特に銀行員は、この「絶対間違わないことはない」という当たり前の事実を受け入れることができなかった。「間違わない様に努力する」ということと「間違いかない」ということを混同していたのである。

日本人はA、B、C,・・・・と極めて多数の債務者を束ねて、その全体としてのリスクはどうなのか?といったことを判断し、分散投資によりリスクを軽減するといったことにおいては、アメリカ人の様に得意ではない。

デリバティブというものも、デリバティブ=派生という言葉からして抽象的だ。例えば債券先物というのもデリバティブの一つだが、これはある決められた利率と償還期限を持つ架空の債券を先物取引所で売買するものだが、現物(実際に発行された国債等)に較べていかにも抽象的である。

この様な話をしていると、際限がないのでこの辺りで止めにするが、要は金融理論とその実践は抽象的思考の上に築かれていると言って良い。

「日本人はモノ作りのある分野では世界一になったが、金融はだめだ」といった言葉を聞くことがある。そしてその理由として「車やカメラ等のモノ作りは、世界に出て世界の他の企業と競争してきたので、力が着いたが金融は世界で勝負しないから力が着かない」といった説明を見る。これについてある程度同感はするが、元々具体的・絵画的あるいは工芸的表現力に強いが、抽象的・言語的表現力に相対的に弱い日本人は~例外的に強い人もいるが風土として弱い~、金融という業務における適性がアメリカ人より低いのではないか?というのが私の一つの結論である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どうして日本は金融でアメリカに勝てないのか?(4)

2006年04月25日 | 金融

最近ブログのアクセス件数が2万件を越えた。ブログを作っている目的は、単にアクセス数を増やすことにあるのではなく、自分の考えや行動をアーカイブ的に保存しておくことにあるのだが、多くの人にブログを読んで頂けることは嬉しい。多くの人に読んで頂くといえば、来月から地域金融機関向けの雑誌にエッセーを寄稿することになった。エッセーにはブログに書いたことをそのまま転載する訳ではないが、パーツとして使うことは多いと思うので、自分のブログは良いデータベースとなる。

さてそんなこともあって、「どうして日本は金融でアメリカに勝てないのか?」の続きも進める。日本は金融でアメリカに勝てないとは言ったが、総てのところで負けているという訳ではない。例えば個人の資金決済を中心とするオンライン・ネットワークやATM等はアメリカをはるかに凌いでいる。普通預金の通帳というものもアメリカにはない。これらは技術的には日本がはるかに優れているところだ。

これには現金や決済に対する考え方・処理方法の歴史的な違いが大きく影響を与えている。アメリカは個人でも当座預金から小切手を振り出し、決済(例えば電気代の支払)することが一般的である。(私が10年程前にアメリカにいた時の経験である。最近はインターネットバンキングが進んでいると思われるので、決済方法にも変化が起きているかもしれない) またクレジット・カードの利用が盛んなことも周知のとおり。そのカード利用代金の決済も当座小切手をカード会社に郵送することで行なっていた。従って米国で個人が電信送金することはまず考えられないし、口座からの自動引落というものもまずないと思う。

アメリカでは預金通帳もない。その代わり毎月当座預金の異動明細表が送付されて来る。これを自分が振り出した小切手と照合する(アメリカでは引落済み小切手が振出人に返却される)のである。アメリカの銀行は時々ミスをするので、預金者が自分でチェックする必要があるのだ。

アメリカのキャッシュ・ディスペンサーは、単なる現金支払機である。一回の払い出し限度は一人数百ドル止まりつまり10万円以下である。又入金はリアルタイムには処理されない。封筒に現金や小切手を入れてキャッシュ・ディスペンサーの中に投入するのである。この時入金金額を自分で機械に入力するが、リアルタイムで残高に加算される訳ではない。夜間作業で銀行がキャッシュ化するのである。

この様にアメリカの個人預金・決済業務は、簡素・オフライン的である。これに較べて日本の個人預金・決済業務が如何に精密でリアルタイムな処理を完成させてきたかということを考えるとある種涙ぐましい感じすらする。例えば預金通帳というものがなければ、銀行の合併作業等もっと簡単に進んでいただろうし、システムコストも削減できたはずだ。

この世界一優れた日本の個人預金・決済業務であるが、ここへ来て少し変調が起きている様だ。先日某都市銀行に行って、ATMから少しまとまったお金を送金しようとすると「一日の取扱限度を越えています」というメッセージが出て、送金が出来ないのである。これは偽造(および盗難)銀行カード対策に銀行側が普通預金に引出限度を設けたことによる。一定金額以上の現金引出や送金については、銀行の窓口で処理をして貰うことになるが、窓口の開いている時間の制限はあるし、待ち時間は長い。それに送金では余計な手数料がかかる。

普通預金の通帳というものも、これだけ自動引落やインターネットバンキングが進んでくると考え物だ。未記帳がどんどん溜まっていくのである。私はある大手銀行で無通帳の普通預金を使っているが、インターネットで異動を確認できるので全く痛痒はないし、預金通帳を盗られたり紛失するリスクもないので重宝している。

日本とアメリカの個人の決済方法は既に述べたとおり、歴史的に異なった経路をたどって来た。しかしインターネット取引が増えてくると、二つの経路は収斂することはないもののかなり接近してくると考えられる。

日本の個人預金・決済業務が技術的に極めて優れたものであることは既に述べたが、技術的に優れているということと、実際に役に立つかどうかということの間には必ずしも正の相関関係はない。例えば映画にもなった戦艦大和、世界最大の戦艦であったが、日米戦争でその巨砲を活用することなく、南海に沈んだ。

この大和のことを他山の石として、日本の個人預金・決済業務も簡素に出来るものはもっと簡素にするべきであろう。以下簡素化すべき一例を示してみる。

  • 普通預金通帳の廃止
  • 預金を中心とした商品の統合と商品数の削減

実質的に余り違わない商品があふれている。商品数を絞って金利等のメリットを顧客に還元するべきだろう。

  • 各種手続きの簡素化

アメリカにいた時、キャッシュカードを紛失し再発行を依頼すると、運転免許証で本人確認した後、その場で仮カードを交付され、翌日に新しい本カードが郵送されてきた。この類のサービスは物凄く早い。日本では考えられない簡素で早い手続きだ。日本の銀行ももっと顧客の立場でものを考える必要がある。

以上はほんの一例であるが、金融機関や当局が「何が本当に必要なサービスか?何は省略すべきことか?」ということを真剣に考えていかないと、世界一の銀行システムが大艦巨砲のシンボルで終わってしまう恐れがある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ながらジム族の日曜日

2006年04月24日 | うんちく・小ネタ

私は山やゴルフに行かない週末は極力ジムに行くことにしている。ジムでは軽いランニングかクロスカントリースキーに似たマシーンで汗をかくことが多い。貧乏性というかただ単に運動しているだけでは勿体ない気がするので、運動をしながらテレビでゴルフなどを観戦していることが多い。勢いテレビ番組に合わせてジム通いの時間を決めることもある訳だ。昨日は午後天候の悪化が予想されたので、昼前にジムに行きNHKの将棋早指戦を見ることにした。福崎九段と島八段の対戦だった。福崎九段の振り飛車穴熊と島八段の居飛車銀冠の本格的な対戦となり、形勢も二転三転した。結局熱戦の末、島八段の勝ちとなったが、正午直前まで勝負が続いたので、かなり長い間マシーンの上で汗をかいているハメになった。普通はランニング等有酸素運動の他、無酸素運動の筋肉トレーニングも行うのだが、昨日はその時間がなくなってしまった。ながら族も中々大変である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする