昨日(1月30日)朝のテレビニュースで、「絶対儲かるから」と50数万円する株式投資マニュアルを買わされ、損をしている大学生の話が取り上げられていた。ニュースが騙す側に焦点を当てているのは当然だが、私は騙される大学生の「思考力」にも問題があるのではないか?と感じた。
およそ投資の世界に絶対儲かるという話はありえない。1990年代中ごろ債券投資のプロやノーベル賞受賞者たちが鳴り物入りで立ち上げたLTCMという巨大な投資ファンドがあったが、ロシア通貨危機を受けて実質的破たんした。
投資の世界では相対的にリスクが低く、儲かる可能性が高いアービトラージという手法があるが、絶対に儲かることが保証されているわけではない。また相対的にリスクが低い方法は利ザヤが少ないので、取引コストを極小化しながら、多額の資金を動かす必要がある。学生が少々の金を動かして大きな儲けをあげることは「僥倖」を除いてありえない。
つまり「投資で大きく儲ける」というのは幻想に過ぎない、という常識的な判断力を第一に欠いているのである。投資のリターンは長期的に見ると、経済成長率+アルファに収れんするというのは、経済と投資の基礎であり、たとえ個人投資を行わないにしろ、職業人(の卵)として、押さえておくべき基本中の基本だ。
次に「モチベーションに対する考察力が欠如している」ということも問題だと思う。「ものを売る」方は相手の顕在的なあるいは潜在的な欲望・恐怖に働きかけてくる。いわば動機づけを行っているのだ。高額商品を詐欺的に販売する場合は、特に人間の矛盾した欲望に働きかけてくると私は考えている。
「楽をしてお金を稼ぎたい」「いつまでも若々しくいたい」「運動もせず、飽食を続けながらスリムな体を維持したい」「苦労をせずに英語を話せるようになりたい」など人は矛盾したわがままな要求を持つ。もっとも大部分の人は日頃は理性的な判断が優っているので、そのようなわがままな要求は叶わないと考えている。だがその一方で「ひょっとすると誰かが発明した新しい方法があるかもしれない」と思っている(希望している)人がいることも事実。そしてある種のうしろめたさのようなものから、結構高いお金を払ってしまうことがあると私は考えている。
だが残念ながらほとんどの場合、「楽して何々できる」ということはないと考えた方が良い。そんなものがあればもっと多くの人が使っている。
モチベーションについていえば、売り手のモチベーションを考察する必要もある。本当に絶対儲かる話ならどうして自分でやらないで人に教えるのだろう、と考えていけば大概の儲け話のカラクリはあきらかになってくる。
私はこの程度の詐欺にコロリと引っかかってしまう大学生に危惧を覚えた。社会人になれば、職業人になれば、海千山千の連中があの手この手で引っかけにくる。無論「でたらめな商品を売る」詐欺師はそれほど多くないにしろ、虚栄心をあおるようなセールスは多い。私生活でも仕事の上でもだ。だから「経済や投資あるいは事業に関する常識力」を欠いていたり、「動機分析的な思考方法」を欠いている若い人たちが長い人生を無事に歩いて行けるのかどうかに不安を覚えたのである。
だがしばらくして考えてみると十分な判断力が備わった大人でも、投資話にはコロリと騙される場合があることを思い出した。総合調年と呼ばれる業界団体の年金基金が運用詐欺に引っかかったことが明らかになったのは少し前の話だ。海外でも元NASDAQ会長のマドフが数十年にわたる巨額な投資詐欺を行い、なだたる銀行などもコロリとまいっている。
だから詐欺に騙された大学生だけを批判するのは間違っているかもしれない。騙そうと思うと誰でも騙されるのかもしれない。
それでも次のことは言っておきたい。「世の中には甘い話はないと考えるべきだ。努力なしに成果はない。むしろ努力の過程に喜びを見いだすべきなのだ」「美し過ぎる話や実績は不自然な場合が多い。世の中は結構偶然の積み重ねで成り立っている場合が多いので、整然としていないものである。整然としすぎた話は不自然である。」