このところ支出が増えています。一つは物価高の影響。私の場合、目につくのは、山小屋の宿泊料やスキー場のリフト代の値上げです。山小屋の宿泊料については、コロナ対策で宿泊者数を減らした時に宿泊料は大幅に引き上げられました。 現在北アルプスの人気の小屋は一泊二食付きで1.4万円位(涸沢ヒュッテなど)でしょうね。コロナ以前の正確な料金は覚えていませんが、1万円そこそこだったので4割以上の値上りです。
さて「どうすれば支出をおさえられるか?」という問題を考えようとしたとき、ふと浮かんだのが「支出は支出を呼ぶ」というフレーズでした。
「支出が支出を呼ぶ」というのは、一種の生活感覚ですが、その中には論理的に明確に説明が付くものと、論理的でないマーフィーの法則的なものがあると思います。
まず論理的に説明がつくものは次のような例です。
一眼カメラなど上級機種のカメラを買う(または買い換える)。新しいカメラを買うと、その性能を引き出すために新しい交換レンズが欲しくなる。
流行りのジャケットを買うとそれに合うシャツやズボンが欲しくなる。
つまり趣味を拡げたり、ファッションの傾向を変えると当初の支出に加えて予想していなかったような追加的な支出が発生するということです。
上記の例ほど直接的ではありませんが、自分の支出が配偶者の消費意欲を高め、その連鎖で支出が増えるということがあります。
たとえば主人が卒業校の同期会で遠方に出かけるなら、奥さんも「私も節約せずに遠方でも同期会に行こう」と財布の紐を緩めるような場合です。
最後は明確な理由はないけれど、支出が続くというような場合です。
たとえば歯が欠けた時、「長持ちしますよ」と歯医者に薦められ、保険外治療の高額な医療費を支払った後、洗濯機が壊れて出費が続き、「健康保険の範囲で歯の治療をすればよかった」と後で後悔するような場合です。
まあ、シニアになってくると、歯の治療や補聴器の購入などお金のかかることが増えてくるようです。また昔から使っていた家電製品なども年をとってリタイアする時期を迎えます。一つ一つの支出の間には何の関係もありませんが、時間の経過という補助線を引いてみると総てのものごとにはつながりがありそうですね。
ところで意味のある支出とは何でしょうか?支出とはお金を払って品物やサービスを受け取ることですよね。中には金銭的な見返りのない寄付のように何も受け取らないものもありますが、その場合は自己満足を得ていると考えるべきでしょうね。
つまり意味のある支出とは受け取る品物やサービスがどれ位満足をもたらすかにかかっています。買い物依存症になって買うその時の満足を得ているだけでは勿体ない。反対に欲しいものを買わずに、行きたいところにも行かずに我慢して、ストレスをためたまま人生を終わるのも無意味でしょう。
支出は支出を呼ぶ傾向があることを頭にいれながら、抑えるところは抑え、使うところは使うというスタンスで物価高の世の中を渡りたいですね。