新聞の世論調査によると、安倍内閣の支持率が急低下している。
日経新聞の調査では現在の支持率は47%で不支持は40%。5月時点の調査では支持50%、不支持47%だった。
不支持の理由は大きく括って2つあると思う。第1は政府がこの国会で成立を目指している「集団的自衛権を含む安全保障関連法案に反対する意見」が多いことだ。もう一つは「政府に景気対策や社会保障改革を優先して行って貰いたいが、安全保障問題が優先されて前者がおざなりになっている」と感じている人が増えていることだろう。
この状況はどこか1960年の安全保障条約の批准国会審議に似ているところがある、という思いがふとよぎった。
60年当時は小学生だったので、細かいことは覚えていない。そこで安保後の騒然とした世情の中で岸内閣
の後を引き継いだ池田勇人のことを書いた沢木耕太郎の「危機の宰相」を読み返してみた。
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1960年1月19日 ワシントンで新たな「安全保障条約」が調印された。・・・野党をはじめ、ジャーナリズムはいっせいに条約に対する疑問を投げかけた。・・・その前年からすこしずつ起こりはじめていた反対運動を支えていたのは、この条約によって再び戦争に巻きこまれるのではないか、捲き込まれるのはいやだという「心情」だった。・・・「自主外交」を目指した岸内閣の思惑とずれ、新しい安保条約が「対米従属」の象徴のようにみなされるようになってきた。
1960年は日米通商条約が結ばれて百年目。それを記念してアイゼンハワー大統領が訪日することが決まっていたが、岸内閣の「安保批准強行採決」が「反安保」運動に火をつけ、アイゼンハワーの訪日は延期され、岸信介は退陣を迫られる。
「安保」に慎重な姿勢を取っていた池田は通産行政に専念していた。そして岸信介辞任後の総裁選では「議会政治と政治家に対する信用を回復し、社会不安の原因を取り除くためには、反対党に対する寛容と忍耐の精神が必要である」「国民総生産を十年後に二倍以上にする」という旗印を掲げて圧勝する・・・・
この60年当時の状況はもちろん異なる。だが幾つか似たような様相のある。安倍内閣はアベノミクスと呼ばれる一連の経済政策~中核は日銀の超金融緩和策による円安と株高なのだが~により、高い支持率を維持し、安全保障関連法案の通過を目指す。安倍首相の頭の中にあるデッドラインは今年の夏だ。なぜなら今年の春米国両院議員前で「約束」をしてきたからだ。
ところが国会での議論は深まらず、違憲であると唱える憲法学者がでてくる。世論調査でも56%の人が集団的自衛権は憲法違反だと考えている。株高には、中国の景気減速・株式相場の暴落やギリシアのデフォルト懸念で陰りが見え始めた。下げ相場が続くかどうかは不明だが。
仮に現政権が安全保障関連法案の強行突破を図るとすると、支持率の一層の低下は間違いない。そして支持率回復は、所得倍増のような多くの国民の希望となるような経済政策を掲げることに頼らざるを得ないだろう。しかし残念ながらそのような名案はない。既に世論の75%は「景気回復を実感できない」と感じている。
安倍首相の母方祖父の岸信介は安保で躓いた。安倍もまた・・・という気がしないでもない。それを避け得るかどうかは寛容と忍耐にかかっている。そして戦争に捲きこまれることを避けたいという国民の「心情」に対し、集団的自衛権を容認しないと戦争に巻き込まれるというのが「真情」であることを国民に説得できるかどうかにかかっていると私は考えている。