東京都知事を辞任した石原慎太郎氏が「原発や消費税はたいした問題ではない」と発言したことが、波紋をよんでいる。どんな人のいかなる発言もその発言がいかなる流れと文脈の中でなされたものか?ということを踏まえて評価しないと的を外すことになる。
私は石原氏がどのような文脈の中で何が本意でこのような発言をしたのか知らないし、深く調べるつもりもないし、このことで石原氏を批判するつもりも評価するつもりもない。
ただ消費税の問題はたいした問題なのかどうか?ということを自分なりに少し考えてみた。なお原発問題はかなりtouchyなのでここでは触れない。
まず非常に大きく振りかぶって「政治にとって何が大事な問題なのか」ということを昔の人はどう考えてきたか?ということを考えてみた。
論語の顔淵第十二の中に孔子とその弟子の子貢の次のような会話がある。
子貢が孔子に政治の目的を聞いた。孔子は「食を足し、兵を足し、民之を信ず」と応えた。政治の目的は国民の生活を安定化し、国民の命を支える食料を十分に供給すること。兵備を整え外敵に備えること。国民に規範を明らかにして政府を信じて叛くことがないようにすること。」という意味だ。
子貢は重ねて質問した。「やむをえないことが起きてどれかをgive upしなければならないとすれば何を放棄しますか?」 これに対して孔子は「兵を捨てよう」と答えた。子貢は更に質問する。「残る二つつまり食と信のいずれかを捨てるとするとどうしましすか?」これに対する孔子の答は「食を捨てる」だった。中国哲学の泰斗・宇野哲人氏の論語新釈によるとその理由は「食を捨てよう。民は食がなければ必ず死ぬ。しかし、死は古(いにしえ)から人みな免れられないものである。民が我を信じなければ、民は生きていても自立することはできない。むしろ死ぬ方が安心である」ということだ。
「食の確保」は現代でいうと「社会保障とその資金源の税金・社会保険料の確保」の問題を含む。だが孔子はそれよりもなお政治に対する信頼が重要だというのである。解釈を加えるならば、税金の増減よりも税金が正しく使われるかどうかということに対する信頼の方が重要だということになる。
次に消費税引き上げの問題を考えてみると「税収を増やさないことは分かった。しかし個人のふところを直撃する消費税を引き上げるべきではなく法人税を引き上げるべきだ」という類の議論が起こりうると考えられる。しかし法人税を引き上げるとその財源捻出のために企業は製品の値上げか人件費を中心としたコスト削減かあるいは配当金の削減という施策を取らざるを得ない。
製品の値上げは消費者のふところを直撃し、人件費の削減は給与所得者の手取りを減らし、配当金の削減は年金基金の収入低下を通じて現在および将来の年金受給者を直撃するのである。
石原氏がこのようなことを踏まえて消費税は対して問題ではないと発言したのかどうかは知らない。
国として一番大事なことは何か?ということに対する孔子の意見を現代流に解釈すると「その国で働き暮らす人に安心と将来に対する希望と信頼を与えることが一番大切なことで、税率やその徴収方法は二の次の問題である」ということになる、と私は考えている。
財政再建と社会保障を賄うためには、税収増は避けられない話だ。前回総選挙では「埋蔵金」と「無駄の削減」で増税回避を掲げ政権を奪取した民主党。だが多少なりとも国の財政を眺めた人間であればそんな話が夢物語であることは分かりきっていたはずだ。分かった上で旗を振っていたとすると国民に対する欺瞞だし、分かっていなかったとすると国政のアマチュアであり、どちらにせよ国民の信頼を失ったことには変わりはない。