金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

中国資本の三朝温泉買収、ニューヨーク・タイムズが報道

2010年09月30日 | 社会・経済

29日付のニューヨーク・タイムズは地元の開発業者と上海の開発業者がジョイントベンチャーを作って、別荘の開発と分譲を行うと報じていた。

これは「中国デベロッパーが日本の不安定な状態に進出する」Chinese developers tap into Japanese insecurityという時節柄読者の関心を引きやすい見出しの記事の中の一つのエピソードだ。

記事は今月NHKのクローズアップ現代「日本の森が買われていく」http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=2932を紹介しながら、中国資本による日本の土地買収が関係者の危機意識を高めている状況を紹介している。

もっとも森林資源を買収している外国資本は中国資本だけではない。クローズアップ現代で紹介された北海道倶知安市の森林57万エーカーを買収したのは香港在住のフランス人富豪(奥さんは中国人だが)。NHKは買い手に購入目的を聞きに行くが投資目的というありきたりの返事が返ってきたのみである。

ニューヨークタイムズは中国人の不動産買収に脅威を感じる日本人の感情はロックフェラーセンターを日本人に買収された時の米国人の感情を思い起こさせると述べている。

だが私から見ると今のところ森林や廃れた温泉地を二束三文で買っている中国人やその他の外国人の方がランドマークを買い漁った日本人よりはるかにスマートで合理的な投資を行おうとしているように思われる。

80年代に米国の不動産を買い漁った日本人は「一等地の有名オフィスビルやホテルは値上がりを続ける」という盲信(今となってはだが)のもと、高値でこれらの物件を買った。だがやがて景気の悪化と空室率上昇・稼働率悪化でこれらの物件を持ち続けることができなくなり大半を安値で売って手仕舞いすることとなった。

中国人など外国勢が日本の森林を買っている(その全貌は分からないが)理由は何だろうか?

推測すると一つは長期的な森林資源への投資。米国では森林投資は今スマートな投資と思われているようだ。だがひょっとすると買収後短期的に大規模な伐採を行い、高級住宅建築ブームに沸く中国に持っていく狙いかもしれない。もしそうだとすると水源確保や治水上の問題が起きるかもしれない。しかし森林の売買については1997年に規制緩和が行われ、売買は事後届けで済むようになった。従って外資による森林買収を法的に規制することはできない。

一方三朝温泉のように観光客が減り地価暴落に喘いでいる温泉地などではお金持ちの中国人を歓迎する声もある。

そして私は過疎地におけるこのような投資は受け入れるべきなのだろうと考えている。

ただしである。受け入れる前に地域の景観を守る建築協定のような枠組みをしっかり作っておく必要があるだろう。日本で多くの町が「伝統的な街の景観を大事にする」という努力を怠ったため、まことに風情のない町並みが生まれ、結果として観光資源価値が失われた(ヨーロッパと比較するとよくよく分かる)。

その反省を踏まえて外資の本格的進出の前に手当てをしておかないとそれこそ奇妙奇天烈な景観が生まれるかもしれない。

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「趣味なら本気で」、良い言葉だと思った

2010年09月29日 | うんちく・小ネタ

渡辺 謙が出演しているキャノンの一眼レフ60Dのコマーシャル、「趣味なら本気で」というセリフがいい。

これに較べるとはるかにマイナーだけれど、何年か前登山の専門誌「山と渓谷」に「本気の冬山」という特集があったので、タイトルが気に入って買ったことがある。

ところで近頃色々な分野で「趣味なら本気」という人が増えているのではないだろうか?

たとえば旅行にしても単に名所旧跡を巡るようなツアーからもう少し玄人っぽいっものが流行つつある・・・と感じることがある。例えばJTBの旅雑誌ノジュールは名所旧跡ではない普通の田舎を一人旅する特集を組んでいた。http://www.nodule.jp/currentissue/

国内の一人旅にどれ程の本気度が必要なのか?という疑問はあるが、少なくとも総てお任せのバスツアーより本気であることは間違いない。

どうして「趣味なら本気」というムードが高まっているのだろうか?

思うにまだまだやる気のある団塊の世代の本格的リタイアが増えているからではないだろうか?

これからの人生を余暇と考えるには元気過ぎるという人達(私もalmostこのグループなのだが)が「本気の何か」を探しているのではないだろうか?

話は全く変わるけれどキャノンって会社、宣伝が上手だなぁと思う。60Dというカメラ、僕が使っているオリンパスE-30が先鞭をつけた新しい機能(例えばアートフィルターとかマルチアスペクトなど)をそっくり取り込んでいる。これまでにもオリンパスはダストリダクション、一眼レフの液晶モニターなど新しい機能を開発するのだけれど、キャノンなど大手メーカーにすぐ取り込まれてしまう。オリンパスユーザーとしてはなんとも歯がゆい話である・・・・

それはさておき「本気の大人」が増えるのは良いこと。本気の大人が増えれば世の中も多少は良くなるだろう。

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ジョンウンさん、あんたが大将

2010年09月29日 | うんちく・小ネタ

昨日(28日)内外のメディアに北朝鮮の労働党代表者会の前に金正日総書記の三男と見られるジョンウン氏が「大将」の称号を授与されたと報じた。「大将の称号を授与された」という表現は日経新聞の記事に従ったもので、FTはTop generalにname(任命)されたと報じている。

「大将」を英訳するとGeneral(正確には陸空軍の大将。海軍はAdmiral)だが、この訳はかなり誤解を招くだろう。ましてTop generalつまり軍最高司令官となるともっと大きな誤解を招く。

私は今回の「大将」は一種の名誉称号的なものだと判断しているので、日経新聞の「大将の称号を授与された」という表現の方が相応しいと思う。

明治以降の近代軍制前に日本で「大将」というと、その起源は平安時代の「近衛大将(このえだいしょう)」に遡る。近衛大将は左右近衛府を統括する長官で制度上は従三位以上の公家が任命されるものだったが、実際には大臣・大納言が兼任したということだ。

江戸時代になると右大将というと普通将軍世子を指した。これは会津藩主が会津中将と呼ばれたのと同じ取扱であり、軍事上の指揮権とリンクしないものである。

このような文脈で考ええると金ジョンウン氏が軍事上の指揮権を与えられたのではなく、「将軍世子」ないしは極めて金正日に近い地位にいることが認められたと理解する方が良さそうだと私は理解している。

もっとも北朝鮮の「大将」称号と明治以前の日本の「大将」称号がどのように関係するのか実証的な考証を行った訳ではなく直感的な判断に過ぎないが。

ところでジョンウン氏の記事を読んで昔流行った海援隊の「あんたが大将」という歌を思い出した。

♭黙っていればいいものを酒の席とはいいながら始まりましたねあんたの話・・・という歌である。

このような「大将」のことは英語ではBossと呼ぶ。You are the bossというと部下が渋々上司の意見に従う時吐くセリフだ。「はいはい、あんたは大将ですから」ってニュアンスだ。(従って真面目な席でこういうと上司は本気で怒るかもしれないので要注意)

さて金ジョンウン氏はGeneralかBossか?それは中々興味深い質問である。しかし今のところ判断材料は何もない。

大将とは何か?ということについて孫子は「将は智信仁勇厳」と喝破した。さてジョンウン氏がこの基準にどれだけ適うだろうか?それとも単なる「あんたが大将」で終わるのだろうか?

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現実直視から国防意識の改革が必要

2010年09月28日 | 政治

尖閣諸島問題に関する政府の対応、例えば公務執行妨害容疑で拘束した中国人船長の釈放に関して国内の政治家やマスコミから色々な意見がでている。民主党の中からも「三国干渉後の臥薪嘗胆のような思いだ」(長島前政務官)という声があがっている。

一方米国のキャンベル国務次官補は船長釈放について「政治的指導力を発揮した」と評価している。私の推測では船長釈放について日米高官の間で事前に合意が行われていたと思われる(当事者がいかに否定しても)ので、米国側が評価することは当然である。

船長釈放については誠に歯がゆい。だが問題はその局面だけを捉えて是非を問うべきではないだろうと私は考えている。ある政治的判断はその背景にある国の国防基盤を離れて評価を下すことはできない。そこで今問われなければならないのは、日本の国防意識をどう改革するかということではないだろうか?その改革がない限り第二、第三の尖閣問題は起きるのである。

マキャベリは「自らの安全を自らの力によって守る意識を持たない場合いかなる国家といえども独立と平和を維持することはできない」と述べる。

東西両陣営が激しく対立した冷戦時代において米国の傘に守られた日本の中で政権を取る見込みのなかった左翼陣営が無防備や国益を毀損しかねない主張を行っていたことは、彼等のアイデンティティを確立する上での意味はあった。しかし時代は変わり、中国が新しいパワーとして台頭する中で、過去のマントラを唱え続けることほど危険なことはない。

「戦争とは異なった手段をもって行う政治に他ならない」と述べたのはクラウゼビッツだが、毛沢東もほぼ同じことを別の表現で述べている。

「政治(外交)は血を流さない戦争であり、戦争とは血を流す政治(外交)である」毛沢東

「その考え方は古い」という意見もあるだろうが、我々はそのような考え方を思想基盤に持っている隣国と接していることを忘れてはなるまい。

だが私は「尖閣諸島に護衛艦を派遣しろ」など一見勇ましいことをここで声高に主張する積もりはない(必要であれば当然行うべきだが)

もっと必要なことは国防基盤の改善であろう。

「孫子の兵法」は冒頭で「兵は国の大事。死生の地、存亡の道なり」と述べ、戦争を始める前~これは血を流す戦争はもとより、血を流さない戦争でも同じだ~に、よくよく自分と相手の分析を行うべきだと主張する。

分析ポイントの第一は「道」である。道とは国民の意思を為政者に統一させる内政の正しさだ。これが実行されていないと有事に国民は政府の命令に疑いを持つ。

孫子はこの他「天」「地」「将」「法」をあげる。「天・地・将」は省略して「法」について述べると軍や官吏の指揮命令系統である。これらの切り口から自国と相手国の総合的な国防力を比較して、戦うべきか戦わざるべきかを決めることが一番大切なことだと孫子は教える。

もう一つ中国古代の兵家の箴言を紹介しよう。司馬法という兵書は「国大なりといえども戦を好めば必ず滅ぶ」と述べている。

中国政府の幹部がこの教えも読んでいることに期待したいところだ。

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尖閣問題、中国の国民扇動一段落か?

2010年09月28日 | 国際・政治

昨日日本政府は「尖閣問題に関し中国から求められている謝罪・賠償に応じるつもりはない」と発表し「むしろ中国漁船の巡視船突入により、巡視船に生じた損害の賠償を請求するかもしれない」と述べた。

この日本のスタンスに対して中国メディアがどのような反応を示すか新華社の英語版HPhttp://www.xinhuanet.com/english2010/をチェックしていたが、今のところ日本側の対応を報じていないようだ(私が見る限り)

英語版HPと中国語HPが完全に連動しているかどうか知らないが、中国が英語版HPに日本のハードポジションを報じないことについて私は次のような解釈ができると考えている。

つまり中国当局は尖閣問題について日本に対し強い態度をとることで、民衆のナショナリズムを煽りつつ、一定の外交・政治目的を達成した。だがこれ以上日本に対して強行な姿勢を取り続けることを民衆に示すと押さえがきかなくなると判断した。

この推測が正しいかどうかは分からない。

ただ引き続き中国側のメディアの動きにも注目しておきたい。

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