今週末はワイフと車で岡崎の花火大会を観た後、伊勢神宮に参拝してから京都に向かう予定だ。伊勢神宮には十二、三年前、両親を連れて参詣して以来のお参りとなる。「今年は20年ぶりの遷宮だね」などとワイフと話をしている内に、「じゃ行ってみるか?行くなら車で伊良湖岬まで行きフェリーで伊勢湾を渡ろう」という計画ができた。そこに岡崎の山仲間から花火大会の誘いがありそれを加えて旅程が固まった。
旅程が固まったところで少し伊勢神宮の勉強を始めた。勉強を始めた、といったところでサライの5月号「遷宮を見る・知る・学ぶ」を読み返したり、文春文庫の「伊勢神宮と天皇の謎」(武澤秀一著)を読んだ程度なのだが。
サライの「式年遷宮のすべて」は、「1300年もの歴史をもち、20年に一度、神々への感謝の気持ちを込めて執り行われる『式年遷宮』。その都度、社殿を建て替え、御装束・神宝を新調する。世界でも稀なこの神事の根底には、神々から与えられた稲作の恵みがある。」とサマリーが付いている。
これだけを読むと式年遷宮は1300年もの間、絶えることなく20年毎に神殿の建て替えが行われてきた、という印象を受けるが、事実は必ずしもそうではないと「伊勢神宮と天皇の謎」は述べている。それによると「朝廷勢力が衰えた中世後期には120年以上式年遷宮が中断した時期があった」「(神殿の)古代の形と大きさ、そして装飾がそのまま保持されてきたというのは作れられた『神話』で、その時々に修正が行われている」という。
「伊勢神宮・・」は、「遷宮を始めたのは持統天皇で、持統天皇はそれまで天皇が代わるたびに行われてきた「遷都」を止め、都を恒久化した。その一方伊勢神宮で定期的に「遷宮」を行うことで皇祖神アマテラスの住まいである神宮の神威を保ってきた」と説明する。
「神宮の式年遷宮は、天皇の祖先神を活性化するための祭りだ。同時に、皇孫である天皇の権威を高める祭りでもある。」と「伊勢神宮と天皇の謎」は述べている。このことは明治以降伊勢神宮が担った役割を端的に説明しているが、江戸時代の庶民による伊勢参り熱まで説明しうるかどうかは疑問だ。
「遷宮」というシステムは「限りある命の人間が永遠を希求するとき、唯一できることは繰り返すことで「永遠」が確立することです。親から子、子から孫へと命が継承され、その繰返しが人類の永遠を実現していくように」(サライ・河合真如氏~神宮司庁広報室長)という日本人を通底する思想を体現しているところ特徴がある。時にそのシステム設計思想が万世一系というもう一つの神話を支えたことはあったが。
神宮は日本建築のidentityを守るため、中国から輸入した長持ちする伽藍建築(瓦葺き・礎石)ではなく、茅葺き・掘っ立て柱工法が採用された。
20年毎に真新しい神殿を建てることを理想とする思想は、ひょっとすると現在の日本人の新築好きまで射程距離を伸ばしていると考えることもできそうだ。石造りの家が多い欧米の住宅の寿命は50年、100年と長いが、日本の特に戦後の建売住宅の寿命は2,30年と非常に短い。物理的な耐用年数はもっとあると思うのだが、新築を好む思想と式年遷宮は同心円にありそうだ。
同心円にあるといえば、日本人の清潔好きや簡素な家具を好むといった性向も遷宮の同心円にあるだろう。トロイ遺跡の発掘で有名なシュリーマンは幕末に日本を訪れ「日本人が世界で一番清潔な国民であることは異論の余地がない」と絶賛した。と同時に彼は日本には深奥なる体系的宗教が存在しないことを指摘している。
シュリーマンが「遷宮」のことを知っていたかどうかは分からないが、もし彼が「遷宮」を見ればこれこそ日本のシンボルと感じただろう。