金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

こんにゃくを燻製にする

2005年12月31日 | 燻製

年末休みにこんにゃくの燻製を作ってみた。作り方はつぎのとおり。

  • こんにゃく一丁を湯通しして臭みを取る。
  • こんにゃくをスープ(固形コンソメ1ケ、水1.5カップ、塩少々)で1時間煮る
  • 汁気をキッチンペーパーでふき取ったこんにゃくを2時間風乾する。
  • スモーカーの温度を90-100度に上げ1時間スモークする

というのが本に書いてあるレシピ。ところが作った時はスモーカーの温度が中々上がらず50℃位のままスモークした。僕は進誠産業の「くんちゃん」というスモーカーを使っているのだが、内箱をつないでフルサイズにすると付属の電熱器では中々スモーカー内の温度が100℃にはならない様だ。本日内箱を乗せないで背の低い状態で実験してみると比較的短時間にスモーカー内を100℃にすることができた。このことは使用説明書には書いてないが、高い温度を必要とする熱燻の場合の一つのやり方ではないかと思う。

なおこんにゃくの燻製は飛びぬけて美味いというものではないが、素朴な煙の風味が前菜には手ごろだった。

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礼拝の経済学

2005年12月26日 | うんちく・小ネタ

欧米では日頃から人々はよく教会に行くのか?と思っていたがそうでもないらしい。エコノミスト誌によればクリスマスシーズンなって教会に行く人が増えるということだ。ところで最近のエコノミスト誌によればある経済学者が実証的研究を通じて教会に行く人の方が裕福であるということを述べている。記事の概要を紹介した上でコメントを述べてみたい。これから日本でも初詣や受験のための神社仏閣詣でが多くなるだろうが、科学的にご利益を考えながら神仏に詣でるのも悪くないかもしれない。

  • 英国では大部分の週は10人に1人以下しか教会に行かないがクリスマスには教会へ行く人が3倍以上になる。5分の2の人がしばしば教会に行くという米国でさえ12月には教会に行く人が増える。
  • 特別な機会にだけ教会に行く人の中には教会に行く回数を増やすともっとご利益があるのではないかと考える人があるに違いない。もしそうするならば精神的な滋養以上のものが得られるかもしれない。マサチューセッツ工科大学の経済学者Gruber氏は定期的に教会に行くことはより良い教育、より高い収入や離婚率の低下を導くと言う。彼の調査結果は教会に行く回数を倍にすると収入を10%増加させることを示唆している。
  • 宗教が物質的なメリットをもたらすことは歴史的に見てはっきりしている。1世紀前にマックス・ウエーバーは欧州の繁栄の土台にはプロテスタントと労働倫理があると主張した。もっと最近ではハーバードのバロー教授が宗教と経済成長の関係を調べた。ミクロ経済学のレベルでは幾つかの研究が宗教への参加と低い犯罪率や低い麻薬汚染率等と関係があることを結論付けている。
  • しかし最近まで宗教が収入に直接的に影響を与えるのかどうか、もし与えるとすればどの程度与えるのかということに関する定量的な調査は殆どなかった。大きな障害は原因と結果のもつれを解くことの困難さである。しばしば教会に行く者の収入が教会に行かない者より高いということは宗教が彼等を豊かにしているということを証明しない。それは豊かな人が教会に行く可能性が高いということかもしれないからだ。または関係のない特徴例えば大きな野心とか個人的な規律が教会に行くことと仕事の上で成功することを導いている可能性があるからだ。
  • 同時に起きることと原因を区別するため、Gruber氏は近隣地域と人的集団の人種上の情報を活用している。
  • Gruber氏の方法論の詳細は省略するが、氏によると「共同篤信家」(co-religionist:人種は違うが宗教は同じという定義)の密度がある地域で10%増えると教会に行く比率が8.5%増え、それは0.9%の所得増に繋がるということである。他の経済学者達は、Gruber氏のアプローチは賢明なものだが、彼が教会へ行くことと裕福さの偶然の連関を証拠立てたかどうか確かではないと言う。
  • 教会に行くとどのようにして裕福になるのか?ということについてGruber氏は幾つかの可能性を示唆する。一つのもっともらしいアイディアは教会に行くことは「社会的資本」~信頼を育む相関関係のネットワーク~を生むというものだ。経済学者達はそのような結びつきがビジネス遂行をスムーズにし、取引コストを安くすると考える。
  • もう一つの可能性は一つの教会のメンバーは感情面と(恐らく)金融面の相互保険を享受しているというものだ。これらにより人々は失業等の困難な事態からより早く立ち直ることができる。また恐らく宗教と豊かさは教育を通じて結びつくものだろう。Gruber氏の研究結果はより教会に多く行く者は就学年数が長くドロップアウトの可能性が低いことを示唆している。
  • 最後は宗教的信念そのものが日々のストレスを避けること等により豊かになる道筋となるというものだ。しかしキリストは弟子達に地上で富を積むことを戒めていることを思えば豊かになることが教会に行く動機ではないと考えた方が良いかもしれない。

以下はコメントである。

  • 戦後日本では信教の自由ということを強調する余り、宗教の教育的効果等を無視して無宗教化することを持って信教の自由と考えてきたのではないか?信教の自由とは行政当局が特定の宗教・宗派を優遇又は差別することを禁じるものに過ぎないということを理解する必要がある。正しい宗教活動は社会資本になるという主張にはもっと耳を傾けるべきである。
  • ところで宗教には大きく分けて二つのタイプがある。一つは新興宗教等に代表される「ご利益(ごりやく)直結型」でもう一つは伝統的大宗教に見られる「魂の救済型」である。もっとも伝統的宗教もご利益直結型に陥ることはしばしばある。キリスト教も中世にカトリックが免罪符を売ってご利益直結型に陥った後激しい反省から新教が生まれ、その影響でカトリックも魂救済型に戻った歴史がある。
  • ご利益直結型とはお布施を納めながらある特定の願いを神仏に祈れば聞き届けられるというもので、典型的にはお布施の多寡により効果が異なると説く。魂の救済型とは現世の利益よりも魂の救済を重視する。神仏という絶対者のはからいは個々の人間の欲望を越えたものであり、神仏に祈ったところで現世利益が必ずしもかなうものではないという考えに立つ。正統的な仏教・キリスト教・イスラム教等の大宗教は概ねこの考え方に立つと考えて良い。
  • 無論エコノミスト誌の記事はご利益直結型の宗教について論じているのではなく、魂の救済型であるキリスト教においてもある程度の現世利得があるということを科学的アプローチから述べたものである。
  • 私はご利益直結型についてかなり懐疑的な思いを持っている(全否定する訳ではないが)。それは例えばある有名大学の全志望者が神仏に祈願するとした場合、神仏はどの様にして合格者を決めるか?ということを考えるとご利益直結型の問題点が分かる。日本でも大学受験者と天神さんのご利益の相関関係を分析するなどという実証的研究をする人が出てくると面白いかもしれない。
  • いずれにしろエコノミスト誌が紹介した研究が正しいとすれば、教会に行く回数を倍にしても収入が増えるのは1割程度だから、身代を傾ける程宗教にのめり込むのは経済的には効率の悪い話ということになる。
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本気の冬山(2)~阿弥陀岳北稜~

2005年12月25日 | 

2005年12月24日八ヶ岳連峰・阿弥陀岳の北稜を山岳部の後輩N君と会社の後輩M君の3人で登った。阿弥陀の北稜は八ヶ岳の中では簡単なバリエーション・ルートであるがこの日は昨日までに積もった新雪のラッセルと強風で中々手強い一日となった。僕等を悩ました雪も午後には止み雪化粧の八ヶ岳連峰が僕等を歓迎してくれた。雪化粧の写真を何枚か紹介しよう。(下の写真は阿弥陀岳を中岳側に下ったところ。登った北稜は右のスカイラインである)

Amida 24日朝6時20分にヘッドランプを点けて赤岳鉱泉小屋を出発。今朝行者小屋へ向かう道を歩くのは僕らが最初だ。夜来の雪が踏み跡に積もり時々軽いラッセルとなる。小屋のおじさんが「北稜には今年はほとんど入山者がいないね。胸までのラッセルになるかもしれないよ。様子をみてコースを再考しなさい」と昨日言っていたことを思い出す。1時間程で阿弥陀への夏道と文三郎道の分岐点に到着。北稜への取り付きは少し阿弥陀への夏道沿いに中山沢を登るということだが、この深い雪では沢筋のラッセルは大変である。そこで分岐点から北稜末端に直ぐ取り付く。しかしここもすごいラッセルだ。N君、M君と3人交替でトップを務めるがたちまち息があがる。「これじゃー取り付くまでにバテて時間切れになるかなぁ」と弱気になっていたころ、下からガイドに率いられた10数名のパーティが到着。ラッセルを交替して貰って一息つく。

北稜の第一岩峰はブッシュを掴んで登っている内に越えてしまった。ザイルは使わなかった。第二岩峰は左手の凹角からN君トップで取り付く。取り付きが少し手強い。我々は10数名のパーティに先行しているので早く登り順番を回してあげたいがザイルは中々伸びない。下で確保しているのも寒くて辛い。漸く合図のホイッスルが寒風吹きすさぶ北稜に響く。第二岩峰はザイルを40m2本伸ばして終了。阿弥陀頂上は一息なのだが、最後のラッセルに苦労して午後1時頂上着。頂上には南稜を登ってきた夫婦(と思われる)中年の男女のカップルと会い写真を撮ってもらう。

Topofamida とにかく寒い。阿弥陀からの降りは標識を見ながら僅かに残るトレースを追いながら下る。今日は誰もこの一般道を上り下りしていないのでラッセルのしがいがある。阿弥陀からの下山路として阿弥陀と中岳の中間の沢・中岳沢を下ることもできるが今日はラッセルが凄そうなので文三郎道を辿ることにする。

阿弥陀岳を下降しだして暫くすると晴れてきた。下の写真は中岳への稜線を辿るところ。Climbnakadake

しかし風はもの凄く強く足元から吹き上げる雪煙には目を開けることができない。

Downonnakadake

そうこれが本気の冬山なのだ。寒気と烈風が支配する冬山の世界なのだ。それにしてもこれだけハードな冬山をやるのは20年振り位だ。50代も半ばになり何故こんな辛いことをしているのだろうか?という疑問がふっとよぎる。

Akadakefrombunza とその時目の前に八ヶ岳連峰の主峰赤岳の威容が姿を現す。強風は八ヶ岳を覆う雲を吹き飛ばし雪のよろいをまとった赤岳・横岳が全貌を現した。この景色こそ冬山の醍醐味だ。山は我々のアルバイト(苦しい登攀)に最後に美しい景色で報いてくれた。

3週間前に縦走した横岳の雪景色も素晴らしい。大同心・小同心がくっきりと見える。

Yokodake

午後3時半朝の取り付き点つまり文三郎道と中岳沢の分岐点に戻る。その後南沢を降り午後5時半に車を止めている美濃戸に帰着。M君が用事があり直ぐ帰りたいというので車を飛ばして8時20分田無に到着した。小淵沢から2時間程度の走行である。今日は高速道路も一般道路も大変空いていた。クリスマス・イブなので世間の人は家やレストランで美味しいものを食べながらお酒を飲んでいるので車が少ないのかもしれない。

こうして僕達の2005年の本気の冬山は何とか無事終了した。それにしても冬山の12時間行動はかなり疲れたなぁ。

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<strong>死の壁</strong>を読む

2005年12月21日 | 本と雑誌

養老猛司氏の「死の壁」(新潮新書 680円)を読んだ。一言でいうとこれはすごい本である。何故すごいかというと医学、哲学、社会心理学、歴史等に関する深い洞察が詰まっている。表現は平易だが内容は深い。ただし各項目の連携はあまりないので時としてテーマの切り替わり若干戸惑う時もある。筆者はあとがきの最後の部分でこう述べる。

これで自分の中に溜まっていたものは、ほとんどすべて吐き出したと思います。逆さに振っても、もう何もでない。

当代を代表するような学者がすべてのものを吐き出したのだから内容が豊富で深くない訳がない。という事でとにかく一読をお勧めするが二つ印象に残ったテーマについて感想を述べる。

一つは終章の中の死の恐怖は存在しないという話だ。筆者は「自分の死について延々と悩んでも仕方が無いのです。そんなのは考えても答えがあるものではない。」「極端に言えば、自分にとって死は無いという言い方が出来るのです。」「死んだらどうなるのかは、死んでいないからわかりません。」という。この考え方はギリシアの快楽主義哲学者エピクロスの「死はわれわれにとって無関係である。なぜならわれわwれが現在するときは死は現在せず、死が現在する時にわれわれは存在しないから。」という言葉とまったく符合する。

また禅宗では自分の死後のことなど考えてもどうにもならないとこを考えることを莫妄想(まくもうそう)という言葉で戒めている。妄想するなかれということだ。また孔子は言う「我いまだ生を知らず。いずくんぞ死を知らんや」

これも筆者と同じ考えである。結論に至る思考過程に違いはあるかもしれないが、結論は自分の死後のことなど考えても意味が無いということなのだ。

もう一つ筆者に強く共感するところを紹介しよう。それは軍国主義者は戦争をしらないという項で述べている戦争に外交の手段という側面は間違いなく存在しているのです。しかし、日本人にはその感覚が無さすぎた。・・・つまり「外交」が抜け落ちて軍だけが走ってしまったということです。政治の一手段だったはずの戦争が、むしろ逆に目的になってしまった。という部分である。

私は手段が目的化する傾向というのは日本人の一つの特性ではないか?と考えることがある。例えば企業社会におけるリストラだ。リストラの目的とは本来会社を強くするためのリ・ストラクチャリングつまり再構築であり人を削減することではない。人を削減することは時としてリストラの有力な手段ではあるが、決して目的ではない。ところが時として人減らしが目的化する・・・・。

ではどうして日本では手段が目的化する傾向があるのだろうか?これは自己流の推測だが、日本人が形を重視することにあると見る。武道・茶道・華道総て形だ。形が総て悪い訳ではない。形は技術を確実にはば広く伝達する手法である。形は時に集団の精神を規定する。しかし形は手段であって目的ではない。例えば武道で形を守って負けてしまってはどうなる。死があるのみだ。例えば元寇の時日本人は日本流の戦闘方法を取ったため最初大敗北を喫した様だ。もっともその後集団戦法に切り替えて対応した様だが。

つまるところ日本人は日本列島という閉鎖的な地域で長い間暮らしてきたので、独自の形の文化を形成してきた。その中で形を重視する余り時として形=手段が目的化する傾向が醸成されてきたと私は考えている。

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マイレージ・サービスの経済学

2005年12月21日 | うんちく・小ネタ

今日はマイレージ・サービスに関連して固い話とちょっと役に立つ話をしよう。固い話というのはエコノミスト誌に載っていたエア・ラインのマイレージの話でちょっと役に立つ話というのは私のView Suicaカードの使い方についてだ。

まず最近のエコノミスト誌に載っていたマイレージの話。

  • マイレージ・サービスは1981年にアメリカン航空が始めて、現在では世界の130以上の航空会社が同サービスを提供し、世界中で163百万人が何らかの形でマイレージを貯めている。世評では個人で一番マイレージを貯めた記録は25百万マイル(ロンドン・シドニー間を250回往復できるマイレージ)で出版会社の社長が会社の郵便料金を個人のクレジットカードで支払いマイレージを獲得したらしい。
  • 今マイレージの半分以上はクレジットカードでの買い物や電話代など地上で獲得されている。
  • 2004年に2千万枚のフリー航空券が発券された。典型的には1飛行機の内7,8%はフリー航空券による乗客である。
  • 大部分の航空会社では1マイルの飛行距離で1マイル蓄積する仕組みになっている。航空会社はこのマイルを1マイル当たり1~2セントでクレジットカード会社へ売却している。もしマイレージ・サービスを最高に効率的に使う~例えば大西洋横断のビジネスクラス~なら1マイルの価値は10セントになるだろう。
  • マイレージ・サービスは単なるマーケッティングの上手い手口だけではなく、航空会社にとって楽に収益を稼ぐ手段になっている。というのは乗客にとって航空券は数万円の価値があるものだが、航空会社の燃料代等の限界費用は米国内便の往復便で一人当たり25ドルと推定されるからだ。
  • マイレージ・サービスによるフリーチケットの利用率は低下している。これは余りにも多くのフリーチケットを持った乗客が少ないフリーチケット用の座席を取り合っているからだ。大部分の米国の航空会社は2階建てシステムを採用している。これは2万5千マイルで国内便1枚の航空券に交換することができるが、そのシートは数が限られている。しかし2倍のマイレージ(つまり5万マイル)を出せば制限なく座席を得られるという仕組みだ。これは一つの平価切下げである。

エコノミスト誌の記事はこの後大手航空会社が破綻すればマイレージは使えなくなるリスクがあると述べ、マイレージの約款では禁止されているがマイレージを換金するブラック・マーケットがあるなどと続くがこの辺で端折ることにしよう。

次がちょっと役に立つ話であるが、私はView Suicaつまり東日本旅客鉄道(株)が発行するスイカ付クレジットカードを使ってポイントを貯めている。ポイント蓄積プログラムの概要は次のとおりだ。

一般には1,000円の買い物で2ポイント付与。切符や定期券などJRの商品を買うと付与率が3倍になる。貯めたポイントは400ポイントで1,000円をスイカにチャージできる(勿論商品や金券等に交換もできる)というものだ。

例えば10万円の通勤定期券をView Suicaで買うと600ポイントが付くが、これは1,500円に相当する。1,500円は10万円の1.5%である。これを銀行預金と較べてみようか?今1,000万円以上の大口定期の1年ものの金利が0.03%程度であるから1,500円を利息で稼ぐには、500万円を1年間預金する必要があるのだ。

私の会社も総務の人員削減等で役員と言えども現金支給で自分で定期を買う様になっている。しかしこれはちょっとした小銭を稼ぐチャンスでもあるのだ。通勤定期代は年間で17,8万円だから25百円程度のポイントを得ることができる。出張や帰省旅行等についても出来るだけ自分でえきねっと(JR東日本のインターネットによる指定席購入システム)を利用してView Suicaを使う様にしている。

その他JR以外でも使える店が広がった電子マネー・スイカを出来るだけ使うことにしている。例えば僕は大手町オアゾの丸善で本を買うことが多いがここはスイカが使えるのだ。

そんなことを組み合わせると一年間で1万円とは言わないものの7,8千円程度相当分のポイントはスイカで稼げそうだ。7,8千円程度大した話でもないようだが、金利で稼ごうと思うと2千万円以上のお金を1年間銀行に寝かせる必要があるのだ。と思うと大した努力もせずスイカを使うだけで7,8千円のお金を得るということは価値のある話かもしれない。

                                                 以上

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