金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

ネパールトレッキングの始まり

2024年11月04日 | ライフプランニングファイル
昨日(11月2日)にカトマンズに到着し今日はポカラに飛行機で移動です。カトマンズからポカラへは30分のフライトですが、朝から飛行機が飛んでいません。ポカラの天気が悪いということです。過去の経験でこの時期は乾期で良く晴れていたのですか、今年は雨が多く湿度が高いようです。昼頃になってようやく飛行機が飛び立ちました。

この日はまず国際登山博物館に行きヒマラヤ登山の歴史を見学しました。





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ピンピンコロリの夢をかなえるには、軽いストレスが必要

2024年10月18日 | ライフプランニングファイル
 先日かかりつけの女医さんの定期健診を受けた時、彼女は「私が食事に注意してとか、運動をしてくださいね。というのは、ピンピンコロリをして欲しいからですよ」といった。
 ピンピンコロリとは、「寿命」と「健康寿命」がともに長く、かつ両寿命の差がないか、あっても短い状態だ。
 これはおそらく大部分のシニアが望むところで、洋の東西を問わない。いやこの分野の研究は、アメリカの方が進んでいるだろう。例えば「老年学」という言葉は、数年前から日本でも使われだしているが、これは英語のGerontologyを訳したものだ。もっとも日本では老年学という言葉は、高齢者に金融商品を売り込む金融業者により使われることが多い。Gerontologyと語源を同じくすると思われる言葉にGeriatricianという言葉がある。これは「老人病専門医」という意味だが、この言葉は日本ではあまり普及していないだろう。
ちなみに私の住んでいる市で、老人病専門医を検索してみたところ、ヒットしたのは、「老年内科」を掲げている医院一つだった。もっともこの医院は「内科」「小児科」などと並んで「老年内科」を掲げているので、老人病の専門家であるかどうかは分からない。
 さてWSJにThe Science of why your body takes longer to
bounce back after 40という記事がでてきた。
「40歳を過ぎると体の回復に時間がかかる理由の科学」という意味だ。
 記事は健康上のストレスから立ち直る能力つまり「生物学的回復力」は、年齢とともに低下することが証拠により示されていると述べる。
 ある研究によると、30歳以降筋肉量は10年ごとに3%から8%減少し、60歳以降は急速に減少し、脂肪量が増える。このため可動性が低下し、転倒や怪我のリスクが高まる。また水分を多く蓄えることができる筋肉量が減少することで、歳を取ると脱水症状を起こしやすくなる。記事には詳しい説明はなかったが、アルコールを処理する酵素が変化するので、歳をとると飲酒からの回復力も低下するということだ。
 さてピンピンコロリを実践するには「生物的回復力」の低下をできるだけ遅らせるということになるのだろうと私は思う。
 どうすれば「生物的回復力」の低下を抑えることができるか?ということについてよく言われていることは、睡眠、バランスのとれた食事、適度な運動だ。
 運動については、記事の中に「ホルミシス」Hormesisという考え方が述べられていた。これは高用量のストレスは体に有害だが、低用量のストレスは体に有益な場合があるという考え方だ。インターネットでホルミシスを検索すると、「微量の放射線を当てることで生体を活発化させることがある」ラドン温泉の例などがでてくる。
 WSJにはラドン温泉の話はでてこないが、運動などの低用量のストレスを与えることで健康を促進する効果が高まると述べられている。
 一方一般に筋肉量の減少を防ぐには、かなり強い刺激を筋肉に与える必要があり、単に歩く程度では刺激力が少ないという意見を聞いたことがある。
 シニア世代にとって運動が必要なことは間違いないが、どの程度の運動が望ましいか?ということになると、個人差もあり難しい問題だと思う。
 このような課題に応えてくれる「老人病専門医」がいると訪ねてみたいものだが、日本では可能性が低い。
 なぜなら日本では「お医者さんは薬を処方してこそ診療報酬を貰える」という仕組みで、生活指導などのアドバイスでは大した報酬を得ることができないからだ。
 だがもし日本が国をあげてピンピンコロリを目指すのであれば、安易に薬を処方しない老人病専門医が必要なのではないだろうか?

 
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さよなら「虎に翼」言いたかったことは「自分のために生きる」ということか

2024年09月26日 | ライフプランニングファイル
 いよいよ明日でNHK朝ドラ「虎に翼」が終わりますね。
 いい番組でした。「同性婚」「事実婚」「少年法改正問題」など現代につながる色々な問題がテンコ盛りになり、一つ一つは雑な扱いになった感じもしましたが、全体としては良いドラマだったと思います。
 私がなぜ良いと判断したか?というと、「他人の希望や要求を満たすのではなく、自分自身が満足できるような生き方をしようとする」人を応援するドラマだったからだと思います。
 最近あるアメリカの新聞で、後悔しない人生に関する記事を読みました。
 その中にI wish I'd had the courage to live a life to myself, not the life otheres expected of me.という一節がありました。
 寅子やその仲間たちが目指したものと同じことだと思いました。
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人々が死の床で抱く後悔のトップ5~アメリカの内科医の話

2024年09月25日 | ライフプランニングファイル
 CNBCにTop 5 regrets people have on their deathbedsという記事が出ていた。
 筆者はShoshana Ungerleiderという内科医で何年にもわたり入院患者のケアに携わり、人生の終わりに近づいた人々が後悔していることに築いたという。
 
 記事の内容を紹介しよう。このブログの多くの読者の方は死は遠い先の話だ考えていると思う。私自身もなお死はそんな身近な話ではないと考えている。だが会社のOB会の訃報報告などで昔一緒に仕事をした人に意外に早い逝去をしると徒然草の一節を思い出す。
 曰く「死期(しご)はついてでを待たず。死は前よりしも来たらず。かねて後に迫れり。…」
 人は誰しも見な、死があることを知っているものの、自分の身に迫っているとは考えない。しかし死はいつの間にか背後に迫っている…ということだ。
 死が目の前に迫ってから後悔しては遅い。後悔先に立たず、である。
 ウンガーライダー医師の話を聞いて、参考になると思うことを日々の生活に取り入れることは、意味深いと思う。
 筆者がいう人々が口にする5つの後悔は次のとおりだ。
  • 愛する人と十分な時間を過ごせなかった。
  • 働き過ぎて人生を逃してしまった。
  • 恐怖に自分の決断をコントロールさせ、リスクを取らなかった。
  • 不確実性やチャンスに直面した時、もっと勇敢になるべきだった。
  • 将来に焦点を当てすぎて、現在を見失った。
 巷間シニアライフの問題をファイナンスの点から論じる人が多い。
曰く、「長生きリスクに備えて、できるだけ長く働け」とか「資産寿命を伸ばすため、消費をできるだけ抑え、(極論すれば)耐乏生活をしろ」などという話が多い。
 だがもっとも大切なことはそんなことではない。
 もっとも大切なことは「他人が期待する自分に忠実な人生を送る」ということなのだ。
 この記事の中に、作家で元緩和ケア従事者のBronnie Wareさんの言葉が紹介されている。
 彼女がもっとも耳にした死にゆく人の後悔の言葉は、I wish I'd had the courage to live a life to muself,not the life otheres expected of me.だった。


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ネパール人女子高生に「おぼん」の話をした

2024年08月12日 | ライフプランニングファイル
 コロナの頃から断続的にオンラインで日本語レッスンを行っているネパール人の女子高生がいる。
 日本語レッスンといっても、文法や日常会話を体系的に教えている訳ではない。それよりも日本の文化、伝統、東アジア史の話などをしている。何故ならこの女子高生は、将来アメリカの大学で国際関係論を勉強して、外交官になりたいという夢を持っているからだ。
 色々な国の文化や伝統を学び、その文化や伝統を自国や他の国と較べて、幅広いものの見方を養う上で多少なりとも貢献できれば良いと私は考えている。
 季節柄日本のお盆の話をした。
 お盆というのは8月13日から15日にかけて(地方によっては時期は7月のところもある)、先祖の魂が自分の暮らしていた家に戻ってくるので、その魂を迎える宗教的行事のことだ。
先祖の魂の乗り物として、胡瓜や茄で馬や牛を作って仏壇にお供えをする風習もある。
 もっとも我が家の場合、40年位前に故郷の京都を離れ、東京の郊外に住んでいるので、先祖は勿論のこと両親もここに帰ってくることはないだろうから、お盆の行事はおこなっていない。

お盆は、仏教が伝来する前より日本人が持っていた祖霊信仰と仏教が融合したものだ。インド生まれの仏教の本筋からいうと人は死ぬと生前の行いの良し悪しにより、何かに生まれ変わる。かならず何かに生まれ変わるのである。
 仮にある人が馬に生まれ変わったとしよう。その人の魂がお盆の間、自分が暮らしていた家に戻っているとすると、馬はどうなるのだろうか?魂を失った馬は馬小屋で眠り続けているのだろうか?
 つまりお盆という考え方と仏教の輪廻転生とは論理的に相いれないのである。 
 日本では死者の霊は、死後数十年は家の近くの森などにいて、お盆の時期には簡単に自分の家に戻ることができると考えられてきたのだ。
 こんな話をして「ネパールにも同じような習慣はある?」と聞いてみた。
 すると答は「お盆のように総ての死者が一度に家に戻るという考え方はないけれど、それぞれの死者の祥月命日には死者の魂を祭るという風習はヒンドゥー教にもある」という話だった。
 輪廻転生とお盆のたびに魂が暮らしていた家に戻ってくるという考え方は、論理的には矛盾しているところがある。しかしそれはそれほど重要なことではないかもしれない。
 重要なことは、死者の霊を弔うことにより、自分たちの生きている意味を見つめたり、家族や親せきが一同に会することなのだ。
 私はそれからキリスト教(特に米国)では、感謝祭が日本のお盆のようなもので、各地に散らばっている家族が一同に集まることが多いという話をした。
 宗教の教義や習慣は、それぞれの宗教や社会によって異なる。だが一番大切なことは、教義ではなく、その習慣を通じて私たちが、はるか昔からの命のつながりの中に生きていて、さらにそのバトンを将来へ渡す役割を担っていることを知ることだと思う。
 そんな話をしたが、それがネパール人女子高生に届いたかどうかは分からない。
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