金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

天寿を全うする人が増えて宗教心が薄らぐ?

2024年07月04日 | ライフプランニングファイル
 今週初め親しい友人からお母さんが亡くなったという連絡を頂いた。ご母堂の享年は98歳だと伺っていた。何か気の利いた一言をお悔やみの言葉に添えようか?と考えてみたが、私の考えを押し付けても共感を得られないかもしれないと思って「ご母堂様のご冥福をお祈りします」という短いメールを送るにとどめた。
 お悔やみの言葉は紋切り型で良いだろうと思う。
 アメリカで働いていたとき、部下の親の訃報に接することがあった。そういうときの挨拶はきまり文句がある。一つはI am so sorry.(お気の毒様です)とかYou have my sympathy(お悔みもうしあげます)だ。もう少し長いお悔やみの言葉としてはYou have my depest condolence for the loss of such a wonderful person(素晴らしい方のお亡くなりに心よりお悔やみ申し上げます)という言葉も一般的だ。長くては英語に不慣れな人にはすこし難しいかもしれないが、お悔やみの言葉は朗々と申し上げるものではない。たどたどしくそして最後はうやむやでもかえって気持ちは通じるというものだ。
 さて本題に戻ると私の母も99歳でこの世を去ったが、この年まで生きると見送る側の未練はかなり薄くなる。「長い間よく頑張ったね。もうゆっくりお休みください」というのが正直な気持ちだった。ただこれは私の個人的な感情で、世の中には自分の親にはとにかく長く生きて欲しいと思う人も多いと思う。従って安易に自分の気持ちを押し付けるようなお悔やみの言葉は避けた方が無難だろう。
 ただし一般的に考えると、天寿を全うする人が増えたことと宗教心の薄らぎは比例していると思う。公衆衛生や医療が未発達な時代では、天寿を全うする人が少なかった。だから死んでいく人やその家族には「なぜ自分は天寿を全うすることなく死ななければならないのか?そして来世はどうなるのか?」という説明が死の恐怖を緩和するために必要だった。
 その説明を担ったのが宗教だった。
 しかし医療の発達などで人の寿命は伸びて、天寿つまり生命体としての寿命の限界に近づきつつある。こうなると死んでいく人やその家族に無理なく死を受け入れることができるようになりつつあると私は考えている。
 だから終末期や死後に本人や残された家族の死の恐怖を緩和するための宗教の役割は著しく低下した。
 では天寿を全うして死にゆく人はみな従容として死を受け容れているのだろうか?
 詳しい調査をしたわけではないが、自分の限られた経験をもとに話をすれば、充実した人生を送った人は、静かに自分の最後を受け容れることが多いと思う。つまり天寿を全うしたと、本人と家族が納得するには、物理的な寿命の長さに加え、人生の充実度つまり質の高さが必要だと思う。
 量と質の面で満足できる人生を送った人には、エールを送りたいのだが、
 まだそのような言葉は広く普及していないようなので、他人に使う場合は要注意かもしれない。
 さて天寿を全うする人が増えたことで、宗教心が薄らいだと書いたが、より正確には、葬式宗教に対する宗教心が薄らいだというべきだった。
 つまり人生の質を高めるような宗教あるいは哲学、つまり有意義な人生とは何か?ということを教える先人の叡智を教え学ぶ仕組みは、今こそ必要なのだろうと私は考えている。
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人が最後に後悔する5つのこと

2024年06月11日 | ライフプランニングファイル
 よく読んでいるCNBCにTop 5 regrets people have when they dieという記事がでていた。CNBCは世界最大の金融・ビジネスチャンネルだが、時々人生訓的な話を載せている。働いてお金を稼ぐにしろ、投資でお金を稼ぐにしろ、何のためにお金を稼ぐのか?ということが人生では大事なことだとCNBCの編集者は考えているのだろう(と考えたい)。

記事の中心は元ケアワーカーのBronnie Wareという人が書いた"The Top Five Regrets of the Dying"という本の話だ。著者は死んでいく人から頻繁に聞いた5つの言葉を紹介している。
  • 自分らしい人生を送る勇気があったならよかった。他人が期待する人生を送るのではなく。
  • もっと働きすぎなければよかった。
  • 自分の感情を表現する勇気があればよかった。
  • 友達と連絡を取り続けていればよかった。
  • 自分をもっと幸せにしていたらよかった。 
記事はビル・ゲーツが北アリゾナ大学の卒業式のスピーチで「自分は働き過ぎだった。父親になるまで『仕事以外にも人生がある』ということに気づかなかった。・・・必要なときには休みを取りましょう」と述べたと紹介していた。
 今日本では政府が70歳まで働こうという旗を振っている。
 働くことがシニアの自己実現につながるのであれば、自己満足は高まるだろうが、さもなければ人生の最後での後悔を増やすことになりかねない。
 破綻しつつある年金制度のツケが人生最後の後悔を招くとすれば、悲しいことである。
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荒島岳と福井の旅(3)~東尋坊

2024年06月03日 | ライフプランニングファイル
 福井の旅の最終日は、まずあわら温泉から車で東尋坊に向かいました。約20分で到着。午前8時頃なので店は開いておらず、通常5百円の駐車場に無料で車を止めることができました。曇っているので海の色もくすんでいました。
この辺りの柱状節理が一番立派なような気がしました。
仲間の一人は、初めての東尋坊と言っていました。中々迫力ある東尋坊ですが、東尋坊だけでは集客力が乏しいですね。
我々が泊まったあわら温泉グランドホテルは、かなり大きなホテルでホテルの中に3つ以上温泉があったと記憶しています(私が入ったのは2つだけでした)。
 このホテルはかなり大きなホテルですが、昔の社員旅行など団体向けのホテルでしたね。今後あわら温泉が活況を取り戻していくとすれば、牽引車の一つになりそうなホテルですが、まだまだ知恵を絞る必要がありそうです。

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「老後2千万円問題」はもはや「4千万円問題」?

2024年05月13日 | ライフプランニングファイル
 スマートフォンには時々dmenueニュースが流れてきます。そんな中に「老後2000万円問題」もはや「4000千万円」と専門家が分析という記事がありました。
 その中でファイナンシャルプランナー山崎さんは「3.5%物価が上がる場合、(今の)2000万円も3.5%増やそうと考えるなら10年後は2800万円になる」と書いています。
 これは単純に複利終価の話です。利回り3.5%期間10年の複利終価は1.4106で、2000万円は10年後には2821万円になっています。資産を運用する場合は税金を考える必要がありますが、モノの値段は税金の控除なしにあがるから、今2000万円で買えるものは10年後には2821万円になっているという計算です。
 ちなみにいうと、20年後の複利終価は1.99倍で今日の2千万円は20年後には4千万円になっています。これは良いの悪いのという話ではなく、単なる複利利回りの計算の話です。日本では過去2,30年モノやサービスの値段はあがらないと考えてきましたが、これからは変わります。私はモノよりサービスの値段があがる可能性が高いと考えています。サービスの値段の原価は人件費です。今でも人手不足を感じますが、もう少しするともっと人手不足を感じるようになるでしょう。そうすると人手確保のために賃金がジリジリと上がり、ジリジリと上がった賃金が外食店の料金などを押し上げ、物価が上がっていきます。
 すべての物価が今後年率3.5%で上がり続けるとは思いませんが、シニア層が必要とするサービスについては、その位のペースで上がると考えて対策を講じるのが良いでしょう。物価上昇率が3.5%より低ければそれは儲けもの。
 温泉にでもいってのんびりすれば良いじゃありませんか?

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学びは学びを呼ぶ。これには理由があります。

2024年05月13日 | ライフプランニングファイル
 以前「支出が支出を呼ぶ。はっきりした理由がある場合もあるが、マーフィーの法則の場合もある。」と書きました。
 同じような文脈で考えると「学びは学びを呼びます」。そしてこちらは理由がはっきりしていると思います。実は今月下旬にネパールに小学校を建設支援してきたNPO団体で講演することになっていて、今月の初めから準備資料を作っています。
 準備資料というのは、ネパールの経済発展の現状や教育セクターの開発計画の成果に関するものです。最初に集めた資料に基づいて、話のストーリーはほぼ固まってきました。次の段階は、もっと聴き手の関心を高めるにはどうするか?という工夫の段階です。そのためにはネパールの話だけでは、インパクトが薄い。お隣の大国でネパールの兄貴分のインドではどうなんだ?という話も触れてみたい。インドに触れるなら中国にも触れておきたい、と調べることはどんどん広がります。
 見せ方にも知恵を絞ります。「複数のグラフを組み合わせてこんなグラフを作ると分かり易いな」と思うと、検索エンジンなどでエクセルのグラフの作り方にあたる場合もでてきます(昔はよくグラフを作っていたので覚えていましたが、今では忘れたことも多いですね(笑))。
 つまり何か知的な活動をしようと思って、学び始めると次から次と知りたいことがでてきて、新しいを学びを呼ぶのです。
 学ぶことが老化防止につながるという話はよく耳にします。
 江戸末期の儒学者佐藤一斎は「老にして学べば、則ち死して朽ちず」と言いました。
 だがアウトプットのない学びはどうも張り合いがありません。講演とか雑誌に記事を書くというのは、絶好のアウトプットの機会です。
 そんな機会は減ってきましたので、少ないチャンスを活かして、学びの起点としたいと思いました。
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