昨年末出版された「法令遵守が日本を滅ぼす」(郷原信郎 著 新潮新書)を読んだ。この手の人目を惹くケバい題の本に内容があるものは少ないなのだが、この本は中々しっかりしている。ただし筆者の主張を実行するにはかなり権限が必要なので、社長等組織の頂点に立つ人や監督官庁の責任者が読むべき本だろう。まだお読みでない方のためにポイントを紹介した上で私のコメントを述べよう。
- 欧米諸国では市民社会で形成されたルールが成熟して法令に高まったが、日本では法令は国民が知らないところで輸入されたものなので身近なものではない。
- 法令の背後には必ず何らかの社会的な要請があり、それを実現するために法令が定められている。従って法令を遵守することが(欧米諸国では)社会的要請に応えることになる。
- しかし日本の場合、法令と社会的要請の間で乖離・ズレが生じる。ズレが生じているのに企業が法令規則ばかり見て、その背後にある社会的要請を考えないと法令は遵守しているけれど社会的要請には反しているということが生じる。
筆者の意見では「社会的要請に適応すること=コンプライアンス」ということになる。私も全くこの意見に賛成である。
ところでどうしてこの様なことが日本で起きるのか?というと明治維新以降ほとんど総ての法律が輸入物で実社会のルールや慣行と乖離していたからである。その最たるものが現在の憲法である。
街頭で共産党や社民党辺りの連中がよく「私達の平和憲法を守りましょう」とか「憲法九条を守りましょう」と声を張り上げているのを目にすることがあるが、そこに法と日本人のかかわりの根本的な問題の典型があると思われる。
まず「私達の」であるが、日本の憲法は我々の先祖が勝ち取ったものではなく、「与えられたもの」であるということだ。さらにその「与えられたもの」は与えた国でも実践されているものではなく、憲法草案グループの理想主義を色濃く反映したものであり、理想ではあるが現実ではないということだ。
次に守るべきものは「憲法」なのか?ということであるが、守るべきものは憲法ではなく「国」であり、更にいえば「その国」に暮らす「人」なのである。つまり憲法といえども「人」を守るためにあるのだから、その目的に合わなくなった場合は変えれば良いのである。
ところが日本では憲法改正を唱えることすらタブーだった時代が長く続いたので、「解釈」や「運用」で逃げるということが当たり前になってしまった。そしてそれが幾つかのザル法(例えば労働基準法などもかなりザル法化している)を生み、それが法令遵守意識の低下に結びついている。
また企業もコンプライアンス・オフィサーを選ぶ時~実は私もこのような判断で任命を行なってきたが~「受験勉強的には法律を知っているが、ビジネスには向かない」人間をコンプラ・オフィサーに選ぶことが多かった。つまりビジネス向きの人間をコンプラに回す程企業は人材に余力はないからだ。こういうコンプラ・オフィサーは記憶力はよく、小理屈は得意~法学部出身者が多い~だが、社会的要請を考慮するようなビジネスセンスは全くないという場合が多い。
この結果郷原氏がいう様に「企業は法令規則の墨守~これは私の言葉だが~に腐心し、その背景にある社会的要請に対応できなくなっている」のである。
どこから法令と実社会のズレを是正していくか?というのは大きな問題だが、著者の提案は企業経営上は具体的な面があるので有益な本だと思った。ただし石頭的なコンプラ・オフィサーからは反感を買いそうな題名の本である。