金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

【書評】法令遵守が日本を滅ぼす

2007年01月31日 | 本と雑誌

昨年末出版された「法令遵守が日本を滅ぼす」(郷原信郎 著 新潮新書)を読んだ。この手の人目を惹くケバい題の本に内容があるものは少ないなのだが、この本は中々しっかりしている。ただし筆者の主張を実行するにはかなり権限が必要なので、社長等組織の頂点に立つ人や監督官庁の責任者が読むべき本だろう。まだお読みでない方のためにポイントを紹介した上で私のコメントを述べよう。

  • 欧米諸国では市民社会で形成されたルールが成熟して法令に高まったが、日本では法令は国民が知らないところで輸入されたものなので身近なものではない。
  • 法令の背後には必ず何らかの社会的な要請があり、それを実現するために法令が定められている。従って法令を遵守することが(欧米諸国では)社会的要請に応えることになる。
  • しかし日本の場合、法令と社会的要請の間で乖離・ズレが生じる。ズレが生じているのに企業が法令規則ばかり見て、その背後にある社会的要請を考えないと法令は遵守しているけれど社会的要請には反しているということが生じる。

筆者の意見では「社会的要請に適応すること=コンプライアンス」ということになる。私も全くこの意見に賛成である。

ところでどうしてこの様なことが日本で起きるのか?というと明治維新以降ほとんど総ての法律が輸入物で実社会のルールや慣行と乖離していたからである。その最たるものが現在の憲法である。

街頭で共産党や社民党辺りの連中がよく「私達の平和憲法を守りましょう」とか「憲法九条を守りましょう」と声を張り上げているのを目にすることがあるが、そこに法と日本人のかかわりの根本的な問題の典型があると思われる。

まず「私達の」であるが、日本の憲法は我々の先祖が勝ち取ったものではなく、「与えられたもの」であるということだ。さらにその「与えられたもの」は与えた国でも実践されているものではなく、憲法草案グループの理想主義を色濃く反映したものであり、理想ではあるが現実ではないということだ。

次に守るべきものは「憲法」なのか?ということであるが、守るべきものは憲法ではなく「国」であり、更にいえば「その国」に暮らす「人」なのである。つまり憲法といえども「人」を守るためにあるのだから、その目的に合わなくなった場合は変えれば良いのである。

ところが日本では憲法改正を唱えることすらタブーだった時代が長く続いたので、「解釈」や「運用」で逃げるということが当たり前になってしまった。そしてそれが幾つかのザル法(例えば労働基準法などもかなりザル法化している)を生み、それが法令遵守意識の低下に結びついている。

また企業もコンプライアンス・オフィサーを選ぶ時~実は私もこのような判断で任命を行なってきたが~「受験勉強的には法律を知っているが、ビジネスには向かない」人間をコンプラ・オフィサーに選ぶことが多かった。つまりビジネス向きの人間をコンプラに回す程企業は人材に余力はないからだ。こういうコンプラ・オフィサーは記憶力はよく、小理屈は得意~法学部出身者が多い~だが、社会的要請を考慮するようなビジネスセンスは全くないという場合が多い。

この結果郷原氏がいう様に「企業は法令規則の墨守~これは私の言葉だが~に腐心し、その背景にある社会的要請に対応できなくなっている」のである。

どこから法令と実社会のズレを是正していくか?というのは大きな問題だが、著者の提案は企業経営上は具体的な面があるので有益な本だと思った。ただし石頭的なコンプラ・オフィサーからは反感を買いそうな題名の本である。

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小沢代表の議論、アバウトだなぁ

2007年01月30日 | 国際・政治

昨日衆院本会議で代表質問に民主党の小沢代表が冒頭「日本は世界で最も格差のある国になった」と発言した。これに対して安倍首相やマスコミも特段コメントをしていない様だが、随分アバウトな発言である。まず何を持って格差というのか?フローかストックか?同世代間の格差か?異なる世代間の格差か?等々。次に小沢発言の統計的根拠は何か?

だがその前に格差は全くいけないのか?それともある程度の格差は経済発展のドライバーなのか?日本ではこんなことについても基本的なコンセンサスがない様な気がする。つまり国会の場で空理空論が繰り返されている。

では本当の意味で先進国の中で所得格差が最も大きいと推定される米国ではどういう議論と政策が取られているのか?

無論米国でも保守党はより所得格差問題に楽観的で、政府による所得再配分に消極的であり、民主党はその逆である。しかしその間の考え方の差はそれ程大きくない様に思われる。例えばある米紙の記事によると米国の保守党支持者の92%は勤勉と根気により、不利な状況は克服されると考え、民主党では65%がそう考えているということだ。

具体的な政策になると今下院で民主党が最低賃金の引き上げに動いていて、現在1時間5.15ドルの最低賃金を7.25ドルに引き上げる法案が上院でも超党派的に可決されるらしい。(もっとも最低賃金の引き上げが、真に所得格差是正につながるのかどうかという点で議論もあり、多分に政権末期のポピュリズム的な対応とも言えるかもしれないが。)

格差問題について国会で哲学(しかも根拠がなくレベルの低い)論争をするのではなく、やる気があり努力する低所得層の待遇を改善する具体的な施策を討議して欲しいものである。この点で私は一定範囲を超える残業代の割増率を増やす法案については良い法案であろうと考えている。欧州ではこの法案が若年層の雇用拡大につながっているからだ。

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シティバンク、日本での復活なるか?

2007年01月30日 | 金融

日経は本日(1月30日)の朝刊でシティバンクが日本で銀行持ち株会社と現地法人銀行を7月設立すると発表したと報じている。そして現地法人銀行の設立で支店の設置手続きは認可から届け出に変わるので機動的な出店が可能になるという在日CEOダグ・ピーターソンの談話を簡単に紹介している。だがシティバンクの狙いはこれだけだろうか?

オンライン・ウオール・ストリート・ジャーナルははるかに詳しくその背景を説明しているので少しポイントを見ておこう。記事の書き出しはCiti may be on the prowl in Japan. Prowlは「何かを求めてうろうろする」「徘徊する」という意味だ。シティは何を求めて徘徊しようとしているのだろうか?

  • 持ち株会社という新しいストラクチャーの下で、シティは会社~日興コーディアルはその候補の一つだが~を買収し、オペレーティング・ユニットとして傘下に置くことが出来る。(現在のストラクチャーではマネジメントの重複があるが、持ち株会社にするとなくなる)
  • この動きはシティが海外市場を将来の成長のキー・ドライバーと見ていることから来ている。シティのCEOチャールス・プリンスは向う5年間で国際部門収益の割合を現在の44%から60%に拡大しようとしている。
  • シティは日本で金融庁よりプライベート・バンキングの閉鎖を命じられるなど法的・金融的な挫折があり、再構築を模索している。シティによれば昨年の日本での純収入は前年度比65%減少して、391百万ドルになった。これは消費者金融事業での4億ドルを超える引当を含んでいる。
  • 事情通によるとシティは日興コーディアルを含む買収対象先のリストを既に書いているということだ。シティはこの件について日興との討議に関与していないが、在日最高責任者のダグ・ピーターソンは「もし日興コーディアルが我々にアプローチしてくるなら彼等の要求を出来る限り迅速に精査する」と述べている。
  • シティは5年以内に店舗(現在25)を倍増する予定だ。

シティが日本での収益を挙げられるかどうかは、個人資産を投資信託等報酬の高い金融商品に取り込めるかどうかにかかっている。この文脈でみるとシティが日興コーディアルの買収をまじめに考えていることが分かる。超富裕層を狙ったプライベート・バンキングから撤退したシティが狙う層はマス・アフルーエント(20万ドルから1億ドル程度の投資可能資産を持つ層)で、それには証券会社パイプが早道だからだ。

それにしても一つの事実(持ち株会社の設立)からどれだけの真実を引き出すか?という点から見ると日本の新聞はお粗末だ。もっとも紙面に限りがあるのでペーパーだけで伝えるは無理だという面はあるが。この点ウオール・ストリート・ジャーナルは将来「紙の新聞は衰退する」「単なる事実の報道だけではネットに勝てる訳がない」「だから事実の背景の報道に努める」という姿勢を取っている。

10年後日本の新聞は今の姿で生き残られるのだろうか?

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効率的仮説への挑戦

2007年01月29日 | 株式

効率的仮説The efficient-market hypothesisというのは現代のファイナンス理論の根底をなすもので「金融市場は競争が激しくなっていて重要な情報はたちまち投資家間で共有されてしまうので、いかなる投資家も市場に勝ち続けることはできない」というものである。無論私などその勝てない投資家の一人だが、世の中にはこの仮説に挑戦し成果を上げている人がいる。それも効率的仮説の本家本元の米国の大学の中でだ。その挑戦者の名前は大学の基金Endowmentである。

最近のエコノミスト誌によると・・・

  • 全米大学事務局連合会(いい加減な訳です)等によると2006年6月までの1年間で大学の基金は平均10.7%のリターン(手数料・経費控除後)を上げた。ベストのパフォーマンスを上げたのはマサチューセッツ工科大学で23%で、エール大の22.9%を僅かに上回った。大学基金は大きくなればなる程運用成績が良くなる傾向があり、残高10億ドル以上の基金の平均リターンは15.2%でヘッジファンド指数を上回っている。なお最大級の基金はハーバード大とエール大の基金で全基金の7分の1程度を占める。
  • 基金のマネージャー達はこの成果を総てスキルによるものとするだろうが、彼等はライバルに対して幾つか有利なところを持っている。原則彼等の投資期間は極めて長い。

Investment horizon投資期間はTime horizonともいう。一般に投資期間が長ければ長い程大きなリスクを取ることができる。

  • 大学基金は年金基金のように負債と資産を合わせることに悩む必要がないので、ボラティリティに対して耐えることができる。別の言い方をすると逆張りcontrarian betsをすることができる。

年金基金の場合は運用制限は多いし、年金や一時金給付の資金繰りも考えなければならない。運用成果がベンチマークに比べて見劣りする時は理事や加入者に説明が必要だが、大学基金の場合はこのような制限がないのである。

  • コーネル大で50億ドルの基金を管理するワルシュ氏は「年金基金はその性質からしてリスク回避的Risk-averseであるが、大学基金は金融的にも知的な面でもより革新的である」という。
  • アメリカの大学基金は初めて退屈な株・債券・キャッシュといった国内資産ミックスを超えて70年代および80年代に代替資産Alternative assetの投資に乗り出した。これらの資産はリスク分散の観点から出来る限り相関関係のないように投資された。それはヘッジファンド、ベンチャーキャピタル、プライベート・エクイティ、不動産、不良債権だった。また大学基金は新興国に投資するという地理的分散も行なっている。

では大学基金が今後も高い運用成果を上げるかというとだんだん難しくなっている様だ。一つは運用手法をまねる投資家Copycat investorが出てきて代替資産の売買を行なうので投資効率が悪化する。

また大学基金の優れたマネージャーが退職してヘッジファンドを立ち上げるということもある。

とはいうものの大学基金モデルは引き続き賞賛を得ていて、日本の大学の中にはエール大モデルを真似しようというところもあるそうだ。

猿真似をしようとする人にはエコノミスト誌の皮肉に満ちた警告を伝えよう。「ハーバード大の前運用マネージャーによると同基金は大学の経済学教授会のアドバイスを受けることを避けてきたから高い運用成果をあげることができた」

このことは資産運用が戦争などと同様、単に知識や技術の世界のものではなく、忍耐・勇気といった精神的要素の高い作業であることを示唆している。また効率的市場仮説が当てはまらない市場やアノマリー(経済的合理性で説明できない事象)がまだまだあることも示唆しているのである。無論だからといって凡人がマーケットに勝てると誤解しては行けないのだが。

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多摩自慢、美味しいがちょっと変わったお店

2007年01月28日 | まち歩き

少し前にタウン紙で福生の造り酒屋・石川酒造のレストランが紹介されていたので今日ワイフと出かけてみた。田無から約20km、車で50分程である。多摩地方の地酒の澤の井や秋川の喜正はたまに蔵元までいくが多摩自慢の蔵元石川酒造http://www.tamajiman.com/index.htmlに行くのは初めてだ。

Iriguchi_1

入り口には二本の立派な欅があり、注連縄が張ってあった。

Keyaki

ここは広角レンズを使って思いっきり空に伸びる欅の大きさを表現してみた。敢えて欅のてっぺんを入れないことで欅の高さが強調されたと思う。

敷地の奥には昔ビールの醸造に使った釜が飾られていた。石川酒造は日本酒だけでなくビール作りに励んだ時代もあったのだ。

Kama

さてここには2つの食事場所がある。一つは和食で麺どころ。もう一つはイタリアン系。今日はイタリアンを選び「本日の魚」を選択。魚は鱈のソテーだった。これは白子も一緒にソテーしたもので中々の味だった。ところが主客の間で誤解があったというべきか、出てきたのは鱈だけでパンも何もなし。つまり客は本日の魚といえば最低のコースになっていると思ったが、店はメインディシュの鱈だけをだしたのだ。客も悪いけど一言聞いてくれた良いのになぁと思った。とにかくそこでパンをオーダーしようと思ったのだが、プレーンなパンはなくてガーリックトーストのような味がついたものしかない・・・・・。お腹を膨らますのならピザかリゾットでも食べてくださいということだろうか?

鱈のソテーの味は良かったが、メニューの構成に少し疑問を持った次第である。因みに鱈のソテーは1,500円でガーリックトーストは400円で合計1,900円。これだけ出すと都心でももっとバラエティに富んだ昼食が食べられるともいえる。しかし鱈のソテー自体は中々良く値段に値したとも言える。どう評価してよいか悩むところだ。駐車場の車のプレートを見ると八王子ナンバーなどが多く近隣のリピーターがいることを想像させる。慣れてしまうと良いお店なのかもしれない。

Ume_1

暖冬ゆえか梅が咲いていた。果たしてこのまま春に向かうのだろうか?

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