金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

清雲寺の枝垂桜

2007年03月31日 | まち歩き

3月31日(土曜日)朝NHKテレビで秩父の清雲寺の桜を紹介していたので、急に思い立ちワイフと桜見物に出かける。数本の桜を見るために50km片道2時間の道をドライブするのだから酔狂というほかない。

しかし親鸞聖人に「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐のものかは」という和歌がある様に今日のこの桜は今日しかみることができないかもしれない。思い立ったが吉日である。

秩父市内に入ると観光バスが2台前方を走っているのが見えた。清雲寺の駐車場は混んでいるのではないか?という不安がよぎるが、お寺の周りの民家が臨時駐車場を提供しているので問題はなかった。駐車料金は5百円。

清雲寺は臨済宗建長寺派の末寺、応永27年(1420年)の開山である。開山時に植樹された(一説にはその前)という樹齢6百年の枝垂桜(江戸彼岸桜)は埼玉県指定天然記念物である。

Year600

この桜もすばらしいが枝ぶりが良く、花が多いのは本堂に向かって右側の枝垂桜だ。

Cherryful

桜を美しく撮るには桜とそれ以外の景色のバランスだろう。上の写真ではわざと桜の花の上を切り落とした。こうする方が桜の上への広がりと大きさを感じさせる様だ。

下の写真では桜の木の全体を取り込んでみた。

Seiuncherry1

これはこれで青空に映えてきれいだ。今回は広角レンズZUIKO DIGITAL 11-22mm 1:2.8-3.5を使った。大振りの桜の古木を写すにたる実力のあるレンズだ。

さて清雲寺であるが、お寺の由緒書きによると慶応4年に京都の公家、大炊御門(おおいみかど)尊正(たかまさ)公が忍藩大宮郷代官所の役人に殺害されるという事件があった。これは右大臣藤原家信の嫡子である大炊御門尊正が秩父を拠点に尊王の挙兵を図ろうとしたところ忍藩が応ぜず、捕殺されたということだ。

世に枝垂桜の名木は多い。名木か否かは木の良し悪しだけでなく回りの風景のインパクトの強弱によるところが大きいだろうと私は考えている。東北や信州にあって雪山を遠景に伴う桜が名木に数えられるのはその故だ。その点清雲寺の桜は遠景に恵まれないというハンディキャップがある。しかし一度この桜を見るとハンディキャップをものともしない迫力に感動するだろう。

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賃金の伸びは「収斂仮説」を裏打ちする

2007年03月30日 | 社会・経済

エコノミスト誌に今年の各国の実質賃金の伸び率予想がグラフで出ていた。これはヘイという人事コンサルタント会社が雇用主の予測をベースにインフレ率を調整したものである。グラフなので細かい数字まで読みきれないが、概要は以下のとおりだ。

中国 8.2%程度、インド6.2%程度、インドネシア4%後半、ロシア3.5%程度、オーストラリア2.3%程度、イギリス・フランス・ドイツ・米国 1%前半・・・・日本は2%である。賃金の実質成長率は経済成長率と歩調を合わせている。

この数字を見ると収斂仮説を思い出す。収斂仮説の説明は三菱UFJ証券のHPを引用させていただく。ある条件を満たせば、生活水準の低い国は平均して、豊かな国よりも早く成長し、初期の貧しい時の生活水準に影響を受けず、最終的には先進国の7割から9割の生活水準に収斂していく」というものだ。http://www.sc.mufg.jp/inv_info/ii_report/m_report/pdf/mr20060801.pdf

なおこのレポートを書かれている水野 和夫氏は最近「人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るか」という本を出しておられるが、この中にも収斂仮説は出てくる。

それによると日本の近代化がスタートした1870年から近代化が終焉を迎えた1995年の間に日本は2.7%の経済成長を続けたが、英国の成長率は年1.4%であった。今歴史は繰り返し、中国やインドが欧米や日本を上回る経済成長を続け何れの日にか、生活水準は比肩することになるのだろう。

日本について見ると長いスランプの後、漸く2%の賃金の伸びまでこぎつけて来た。もっとも「俺の給料はそんなに伸びないぞ」とおっしゃる向きがあるかもしれない。その人達は停滞産業分野にいる可能性が高い。今産業の停滞分野と成長分野は循環的でなく、構造的なので、停滞分野に留まっていると長期にわたって給料の伸びは期待できない。従ってあなたが若ければ一日でも早く成長分野に転職する方が所得面では有利である。

成長分野のキーワードは、グローバル・アジア・英語である。つまりBRIC’sの様な経済成長力のある地域と関連性が高い仕事をする分野は成長するということだ。ポイントはこれが業種でなく、そのサブディビジョンともいうべき部門単位で起きるということだ。例えば日本の金融業全般は低成長分野だが、「海外での証券運用」とか「クロスボーダーのM&A」などは成長分野である。

業界や企業を一まとめにしてものを見る時代はとっくに終わっている。しかし日本の企業は異なる分野の従事者を一律的に処遇している。これでは高成長分野に従事する人に高い給与を払うことができず、彼等は去っていくのである。

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さくら小談義

2007年03月30日 | うんちく・小ネタ

昨日送別会の後、茅場町に行き永代通りの少し南の通りを歩いて夜桜を楽しんだ。一昨日もお堀端の夜桜を見たので毎夜桜を見ていることになる。そこで桜小談義。

日本語の「さくら」には樹木の桜以外に次のような意味がある。

  • 「うばざくら」これはさくらが花を咲かせる時「葉がない」ことと年を取って「歯がない」ことをかけたもの。年配であっても艶かしい女性を指す古語である。
  • 馬肉のこと
  • おとり客

日本では「花は桜木、人は武士」という様に桜は潔(いさぎよ)いもののシンボルだった。では英語ではどうだろうか?俗語であるが、英語のcherryには「処女膜」という意味がある。転じて「新品」という意味で使われる。ウエッブ英々辞典には次の様な用例が出ていた。

A three year old car in cherry condition つまり3年経過しているが新品同様の中古車ということだ。逆にボロ車のことはレモン Lemonという。Their new car turned out to be a lemonという用例が出ていた。彼等の新車は欠陥車だったことが分かったという意味だ。

チェリーが新品・・・なんとなく分かるが、レモンがどうして欠陥車なのだろう。今直ぐにその語源は分からないが調べてみたものだ。語源を調べたり考えたりするのは面白いのが分からないことも多い。例えばおとり客のことを「さくら」というのはパッと現れ、パッと消えるので「さくら」というという説があるが、真偽の程は不明だ。

ところでCherry picking というと「処女をつまみ食いする」と誤解する人がいるかもしれないが、これは「バーゲン品だけを選んで買う」という意味だ。また投資の世界でCherry pickingというと他人のポートフォリオの良いところをまねるという意味になる。自分で多くの銘柄を調査せず、パフォーマンスの良い投資信託の保有銘柄を選んで調査し、投資する様な行為だ。

桜を詠んだ有名な俳句に芭蕉の「さまざまのこと思い出す桜かな」という俳句がある。これは芭蕉が若い時仕えた藤堂良忠のことを後年偲んで詠んだものだ。芭蕉と良忠の間には主従の関係を超えた濃密な関係があったことは有名だ。その様な背景まで理解してこの俳句を読むと名句だなぁという気もするが、背景をしらないと「フーン」で終わってしまうかもしれない。

あなたはさくらを見てなにを思い出すのだろうか?

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北朝鮮の食糧危機、かなり大変そうだ

2007年03月29日 | 国際・政治

本日(29日)の日経朝刊には「北朝鮮100万トンの食糧不足」という見出しで北朝鮮当局者が「百万トンの食糧不足」を認めWFPに食糧支援を要請したという記事が簡単に出ていた。ウオール・ストリート・ジャーナルはもう少し詳しく説明しているので、そちらのポイントを紹介しておこう。

  • 北朝鮮は過去10年において最大の食糧危機に直面している。これは不作と国際援助の大幅な削減によるものだ。世界食糧計画(World Food Program)のバンベリー(Banbury)アジア局長は北朝鮮当局が食料不足と援助を求めたことを発表した。北朝鮮が食料援助を求めることは稀なことである。
  • 同局長は各国が援助要請に応えないと、数百万人の人が空腹になると言っている。(もっとも大規模な飢饉や死者の発生までは予見できないそうだ)北朝鮮は90年代半ばから天災と経済政策の失敗から外国の援助に頼る様になったが、飢饉で約2百万人の人が死んでいる。しかし金正日は外国の支援団体の活動を制限した。
  • WEPは過去毎年650万人の人に食料援助をしてきたが、昨年は対象を190万人に減らした。

北朝鮮当局が正式に食料援助を求めてきたということは「本当に厳しい状態にある」「金正日の指導力が低下している」という二つの可能性がある。いずれにしても注目しておくべきことだろう。

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お堀の夜桜も朧に見えて

2007年03月29日 | うんちく・小ネタ

昨夜久し振りに昔一緒に仕事をしていた女性と大手町の「響」で軽く飲んだ。休暇などの都合でホワイトディのお返しが遅くなっていたのだ。「響」にはホームページからダウンロードしたクーポン券を持っていく。クーポン券で「豆腐」かワインのフルボトル一本貰えるので、迷わず白ワインを一本頂く。

その人は最近離婚したという。こういう話には慣れていないので、慰め方も難しい。「またその内良い人が現れるさ」などというのも、いかにも無責任で軽薄だし「結婚以外にも良いことあるさ」などというのもどうか・・・・。また根掘り葉掘り原因などを聞くのも、興味本位の様で気がひける。

店を出てその女性と別れてから、私は酔い覚ましに東西線一駅分、つまり大手町から竹橋までお堀端を歩いた。お堀端の何本かの枝垂桜には花が開き、ヘッドランプの灯りの中に時々白く浮かび上がった。しかし花は半開にもまだ遠い。

今の時代は選択肢が多いだけに難しい時代なのかもしれない・・・などと思った。職業や価値観の多様化が色々な生き方を可能にするとともに、人々にtoleranceということを忘れさせたのかもしれない。Tolerace、寛容・辛抱強さ・・・いやもし声に出して、こんなことを言うと離婚した女性からは「随分我慢しました」と猛反発を食うに決まっている。

真面目に自分の人生を大切に生きようとするから、離婚ということが起きるのだろう。チャランポランなら離婚は起きないのかもしれない。現在は中間スタイルでは生き難い時代なのかもしれない。

しかし古人は「花は半開を看、酒は微醺に飲む」という言葉で、モノの極みを追い求めない生き方を良しとした。「それにしては少し飲み過ぎたかな」と思いながら、私は竹橋で地下に潜った。

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