金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

吉村昭の「海猫」、読む年齢で重さが違います

2010年02月28日 | 本と雑誌

ある種の小説は読む年齢によって随分重さが違うものだ。吉村昭の「海猫」は20年程前に文芸春秋に発表された短編小説だ。私は10年程前に「法師蝉」という吉村氏の短編集の中で読んだことがあったが、すっかり忘れていた。

この週末天気が悪かったので、近所の図書館で「法師蝉」を借りてその冒頭を飾る「海猫」を読んだが、以前は感じなかったある種の親近感と不安感を感じた。少し引用してみよう。

「自分をとりまいていた泡立つ渦が消え、かれは、子会社の役員の席に座って時間をすごした。・・・・・・休日といってもこれといって行くところはなく、居間の椅子に座ってテレビをみたり、買ってきた本を読んで居眠りをしたりする。・・・・・・・ゴルフ道具は玄関の上がり框(かまち)に置かれたままになっているが、友人に誘われてもゴルフ場に行くまでがわずらわしく、腕が人並以下なので熱も入らず、その後の疲れを考えると行く気にはなれない」

主人公の塩崎は商事会社の部長から、子会社に転籍し退職を向かえた。長い会社勤めの開放感を味わったのは三ヶ月ほどで、なにもすることがない時間を持て余すようになる。塩崎は些細なことで、妻に苛立ちと不満を覚え、妻が外出している間に家出をする。塩崎が暫く暮らしたのは北日本の漁師町だ。

やがて妻が塩崎を訪ね、不満な点は直すから彼に戻って欲しいという。塩崎は「妻に対して不満は数限りなくあるように思えるのだが、具体的に言われてみると、新聞以外のこと(彼が早朝ベッドで新聞を読むと妻が新聞を広げる音がうるさいと言った)のことはすぐ浮かばない。あえて言えばなにもすることがなくなっている自分に対する思いやりに欠けるのだ」と思う。

しかし一人娘の妊娠を聞いた塩崎は家に戻ることにする。小説は「海猫が、つぎつぎと防波堤から飛び立ちはじめた。」と結んでいる。

☆  ☆  ☆

ゴルフ道具が玄関に鎮座しているのは我が家も同じ。「ばね指」から暫くゴルフはご無沙汰していて、ゴルフバッグはワイフの雨具の物干し代わりになっている。

幸いなことに休みの日にすることがなくて困るということはない。山登りに行ったり、サイクリングに出かけたりとやることは多い。しかしである。これは体が動く間の話。それと「毎日が日曜日」となっても、山登りやサイクリングで「余暇」は埋まるのかしら?

☆  ☆  ☆

次に「海猫」を読むのは何時だろうか?その時深い共感を持っているのだろうか?それとも「これは他人の話。俺は違う人生を歩いている」と言えるのだろうか?

雨は午後に上がったが、湿った空気が家並みを覆っている。

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日本の借金体質を進化生物学的に見ると・・・

2010年02月28日 | うんちく・小ネタ

最近頂いたコメントの中に「孫の代に負の債務を受け継ぐことの是非は、そろそろ国民的議論としておこなっても良いかなと思っています」という一文があった。私もそう思う。

ところで「どうして今の日本人は国としての大きな債務(国債)を次世代に残すことに鈍感なのか?」ということを少し進化生物学的な観点から考えてみた。

進化生物学の泰斗リチャード・ドーキンスに「生物は遺伝子によって利用される乗り物に過ぎない」という名言がある。一見利他的に見える動物の行動を動かしているのは、(広い意味の)遺伝子のなせる業であるというのが、彼の理論だ。個々の個体は生殖活動により、自分のコピーを作ると次の世代の成長を害することなく、静かに消えていく。それにより遺伝子は未来永劫生き続けるのである。これが人間以外の生物の世界の姿だ。人間の世界も少し前までは、このように遺伝子の支配下にあったのだがいつの間にか、遺伝子よりも個体の欲望が上回ってしまったようだ。

日本などの先進国では、結婚しない人や結婚しても子供が欲しくないという人が増えている。リチャード・ドーキンスが名著「利己的な遺伝子」を発表したのは1976年のこと。その頃は少子化はそれ程問題になっていなかったのかもしれない。今リチャード・ドーキンスが「利己的な遺伝子」を書いたとすると、彼は「人間の中には遺伝子の本能に従わない輩がいる」と書くのだろうか?それとも「人間の遺伝子はより良い生存環境を求めて、少子化を求めている」と書くのだろうか?

「借金を後世に残す」というのも、本来なら遺伝子が好むところではないはずだ。だが今の日本人は子孫の負担を軽くするより、自分たちの負担が軽いことを望んでいるようだ。これは進化生物学的に見るとかなり末期的な症状に見えるのだが、ドーキンス先生ならどのような診断を下されるのだろうか?

暖かくなれば、少し郊外に出て美しい日本の風景を見ることを皆さんにお勧めしたい。一人一人の命には限りある。しかし遺伝子は綿々とつながっている。遺伝子に美しい風景を見せて元気にしてやると、力を発揮して再び個体を乗り回せるようになるかもしれない。そうなると自分達の世代の欲望で環境を痛めつけたり、大きな借金を後世に残すことの愚かしさに気がつくのだが・・・。

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2月の雨の日は確定申告でも・・・

2010年02月28日 | うんちく・小ネタ

2月最後の週末は雨となった。雨のため丹沢の前山を歩く計画は流れた。流れて丁度良かった。確定申告をする必要があったからだ。

確定申告は国税庁のHPhttps://www.keisan.nta.go.jp/h21/ta_top.htmからサクサクと進める。

もっともそれほど複雑な作業はない。大半は医療費控除である。昨年の医療費の中心はワイフのインプラント代だ。医療費控除を行うついでに大学への寄付金についても控除を申告した。指定寄付の所得控除額は「寄付金額-5000円」(正確にいうと「特定寄付の合計額」かその年の所得の40%のいずれか低い方から5000円を控除)、つまり1万円の寄付をすると、5000円が所得控除される計算になる。これだけなら面倒だからしないのだが、医療費控除があったからついでに寄付控除を行った次第だ。

国税庁のHPはかなり親切だ。必要な数字を入力すると還付金が直ぐ計算できる。私はe-Tax(電子納税)を利用していないが、今のところ国税庁のホームページの申告書作成コーナーを利用するだけで十分な気がしている。

政治家の皆さんもちゃんと確定申告して、模範を示して欲しい・・・などと思いながら今年の作業を終えた。雨も小降りになったようだ。昼からはスポーツ・ジムで少し走ってみよう。

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ギリシア救済難航の裏に年金問題あり

2010年02月24日 | 国際・政治

エコノミスト誌のブログを読んでいたら、「ドイツなどの欧州諸国がギリシア救済に難色を示す大きな理由は、ギリシアの公的年金制度が、ドイツなどの年金制度より退職者を優遇していることにある」という分析に出合った。

そのブログによると、ドイツでは少し前に法的な退職年齢を65歳から67歳に引き上げた。ところがギリシアでは、法的な退職年齢を61歳から63歳に引き上げるという提案に対して、抗議のデモが起きている。

またギリシアでは1992年前に公務員になった人は、35年以上勤めて58歳で退職すると、最終給与の80%を年金として受け取ることができる。一方ドイツでは40年勤めて退職した後、最終給与の70%強を年金として受け取る。この差がドイツ国民のギリシア救済に対する怒りの元だとブログは分析している。

財政赤字を削減するため、退職年齢を引き上げる動きは欧州で顕著になっている。スペインでは退職年齢を65歳から67歳に引き上げる案が先週提案された。平均寿命が伸びに退職年齢の引き上げが追いつかないため、先進国では年金財政の悪化が続いているのだ。

恐らく日本以外の先進国では、法的な退職年齢の前に退職して、年金を貰い老後を楽しむ傾向が強いので、年金財政は一層悪化する訳だ。

エコノミスト誌がGolden yearsという短い記事で、男性について実際の退職年齢から死ぬまでどどの位の年数があるか?という国別のグラフを示していた。

それによると現在(2002年-2007年)一番長いのはフランスで24年程度。そのフランスも40年程前(1965年-70年)では10年だった。長い国を順に挙げるとオーストリア、イタリア、スペイン、オランダ、ギリシア、カナダでここまでは退職してから20年以上の老後がある。

短い国は日本や韓国で日本は15年、韓国は10年である。短いとはいえ、40年前の日本では退職後5年間しかなかった老後が15年に伸びている。

☆   ☆   ☆

私事になるが、先日年金の支払に関する案内が届いた。数ヶ月すると私も年金の受給資格が発生する(貰えるかどうかはその時の所得によるそうだが)。だが数年後で生まれた人は公的年金の支給開始年齢が1年づつ遅くなり最終65歳になる。だが今のままの状況が続くと年金の支給開始年齢は更に延ばされる可能性があるのではないか?と考えている。

豊かさとは何だろう?

ギリシア政府は借金まみれだが、60歳前で退職して、8割の年金を受け取ることができる。日本の政府も借金まみれだ。だが回りを見回しても60歳でサッパリとリタイアする人は少ない。これは年金の所得代替率が低いからだろうか?それとも日本人がヨーロッパ人に較べて働き好きだからだろうか?

恐らく両方だろう。出切るだけ長く働くことを前提に設計された年金制度、それが日本の制度なのだ。一方欧州では高い税金と社会保険料を現役世代に負担することで~中にはギリシアのように他国の投資家に借金している国もあるが~法的退職年齢前にリタイアして老後をエンジョイすることができる・・・

うーん、難しい問題である。

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財務省、国債セールス行脚の背景

2010年02月23日 | 金融

今日(2月23日)のFTを見ると珍しく日本のニュースが沢山出ていた。もっとも「GDPで中国が日本を抜くのに対して日本はどう感じているか?」などという埋め草的な話が多かったが。

その中に日本の財務省の国債管理チームが今週欧州の投資家まわりをしているという記事があった。

記事は「日本の国債の95%は国内で保有されていて、ベンチマークの10年債の利回りは取るに足らない程の1.34%という利回りだ。ギリシア危機が国債投資家を揺さぶっているこの時期にどうして財務省の役人がくる必要があるのだろう」という疑問からスタートし、それには十分な理由があるのだと続ける。

FTの分析によると、最大の投資家である郵貯・簡保は国債の購入を続けているが、その市場シェアは2008年9月に29%というピークをつけ、その後1%近く下落している。

2001年の財政投融資制度改革により、郵便貯金や公的年金基金の資金は、大蔵省(当時)の資金運用部の預託から市場運用に切り替わった。郵貯の国債マーケットのシェアは2001年の6%から郵貯銀行が独立した2007年の20%に上昇している。FTによると2009年末の郵貯の運用資産に占める国債の比率は81%まで上昇している(2008年3月は74%)が、市場シェアは下落している。これは郵貯の残高が減少しているからだ。郵貯の残高は2008年3月から8%下落している。また2010年は大量の定額預金の満期を迎える。

亀井大臣が郵貯ポートフォリオの分散を提起していることも国債投資家には気になるところだ。

バークレーズ・キャピタル東京のLiiceanu氏は「2023年まで郵貯が国債保有の市場シェアを維持するためには、毎年郵便貯金の残高が最低でも4.5%増える必要がある」と推計しているがこれは難しい仕事に見える。

郵貯の国債購買能力が落ちる中、銀行、生保、年金基金が主な国債の買い手だが、高齢化が進む中で将来購買能力が落ちることが見込まれている。BNPパリバのストラテジストは転換点は2012年か13年に来ると述べている。

そこで財務省のお役人達が、欧州の投資家を回り始めた訳だ。だが今の金利水準では彼等を引っ張ることは難しいだろう。

☆   ☆   ☆

現在の10年物国債利回りは1.35%程度で20年物の超長期国債の利回りは2.3%程度である。この金利差は何を意味するのだろうか?

フォーワード金利の考え方によると、これは「10年後にスタートする10年国債の金利が3.25%程度である」ことを示しているといえる。

アバウトな計算をすると、20年物国債を買う人は「今10年の国債を買って、10年後にまた国債を買うのと同じリターンが欲しい」と考える。今10年の国債を100買って10年間に受け取れる金利の単純合計は13.5だ。20年の国債を100買って20年間に受け取る金利の単純合計は46だ。46と13.5の差、32.5が10年後に買う国債の利息の合計額で、単年度に直すと3.25%。つまり投資家は10年後の国債利回りを3.25%程度と考えているということだ。無論これは極めて単純化した計算で実際は複利計算を行う。

1、2年の間金利は上がらないという見方は正しいと思うが、ぬるま湯に浸かっていると、忍び寄る金利上昇リスクに鈍感になる危険性がある・・・と私は考えている。

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