金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

豚郎(ぶたろう)、これは中々穴場だ

2005年11月29日 | 食・レシピ

会社の近所の日本橋三井タワーに豚料理の専門店「豚郎(ぶたろう)」があるので、昼・夜出かけてみた。昼は大体800円から1,000円程度。夜はお酒の量にもよるが、4,000円位だ。昼は相当混んでいるので、11時半頃までに行かないと表で並ぶ可能性が多い。このお店の特徴は「もち豚」を備長炭の強火で一気に焼くところで旨味を逃がさない様にしているところだ。お昼はロース丼等どんぶりメニューが多いが、私はもち豚をポン酢仕立てで食べる「もち豚定食」をお勧めする。

夜はサラダも美味しい。また2千円程度でワインを飲ませるところも良い。お勧めの店だが、どうしてこの価格帯の店が日本橋の一等地の高級ビルにテナントとして入っているのか多少疑問ではある・・・・・。豚郎は名古屋本拠の店で知名度が低いため思い切った価格にしているのかもしれない。立ち寄られて損のないお店だと思う。

お店の電話番号:03-3277-4408

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「下流社会」読後感想

2005年11月29日 | 本と雑誌

著者の綿密な調査の上に幾つかの面白い結論を出している。その中の幾つかは小売業やメーカーでマーケッティングを行なっている人に大変貴重な示唆を与えるものだ。簡単にいうとこれからは金持ち相手の商売をしろ!ということだ。実際そのような動きは出ている。例えばレクサス・ブランドの出現だ。レクサスの名前を付けただけで、同じモデルの車が数十万円以上高い値段を付けても売れるのだから面白い。銀行もそうだ。つい1,2年前まで外銀を除いて大部分の金融機関がプライベートバンキング・ビジネス=超富裕層取引に熱心でなかったが、いまやほとんどの大手銀行がプライベート・バンキングに力を入れだしている。

またこの本を読んだ心ある若者や若い親達は、自分の進路や教育方針を見直すかもしれない。筆者は言う。「下流」とは、単に所得が低いということではない。コミュニケーション能力、生活能力、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲、つまり総じて人生への意欲が低いのである。その結果として所得が上がらず、未婚のままである確率も高い。

これも筆者の重要な結論だ。

ところで私が個人的に興味深かったのは、団塊ジュニア(1970年~1975年頃誕生)世代の女性で「上流」意識を持っている人が気に入っている時計のブランドがオメガ等を押さえてセイコーやシチズンであるということだ。

実は少し前私はオメガからシチズンの電波時計に変えたので特にこの箇所が印象に残った。オメガからシチズンに変えた理由はオメガの鎖が切れたので修理しようとしたところ、大変な時間と費用がかかることが分かったからである。また自動巻きのオメガは少し外していると止まってしまうし、月末には日付の調整をしなければならない。それに較べて電波時計は、全くのメンテナンスフリーだ。

そもそも時計とは「正確」で「手間がかからず」「そこそこの堅牢性」があることが最大のポイントだ。それをやれデザインだの、手巻きに味がある等と講釈を付けるのは時計メーカーのセールストークに過ぎないだろう。時刻合わせに気を使うより、世の中にはもっと沢山しなければならないことがある。

因みに言えば先程の時計の調査で下流階級ほどロレックスやオメガを好む傾向が出ている。外見以外に自分を際立たせるもののない下流階級の悲しい性(さが)が垣間見えて面白い。

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ウオール・ストリート紙、日本株に強気

2005年11月28日 | 株式

11月27日のウオール・ストリート・ジャーナル紙(WSJ)は、Japan Is Back: It Looks Real This Timeというタイトルで日本株に対する強気の見方を述べた。欧米機関投資家が日本株に強気なことは今に始まった訳ではないので、新しい話題ではないがアメリカの個人投資家まで日本株に強気になってくると息の長い相場が続くかもしれない。記事の内容を簡単に紹介しよう。

  • 日本株は1989年に天井を付けてから、90年代に短期的なラリーはあったものの、日経平均で80㌫の価値を失っている。しかしここ3年は連続して上昇しており、今年については年初来29㌫上昇し、世界の先進国市場で最もパフォーマンスが良い。一部の市場観察者はまた日本市場に失望させらるのではないかという懸念を抱いているが、多くのアナリスト達は今回は違うと見ている。
  • 例えばJ.P.モルガン・アセット・マネジメントの国際株式部門の責任者エメット氏は「我々は日本については5年から10年続くポジティブな市場の初期の段階にいると考える」と述べている。
  • 日本株市場は多くの米国の投資家に影響を与える。日本株は米国株以外の国際株式の約4分の1を占める時価を持っているからだ。
  • 小泉首相の総選挙における地滑り的勝利は、国民が更なる持続的な経済改革を受け入れる用意があることを示唆している。無論懸念材料はある。それは主要輸出市場である米国と中国の景気のスローダウンであり、税金の引き上げである。
  • ところで米国における日本株投信は活発だったが、日本の投資家は日本株を買っていない。しかし日本の個人投資家は新規資金を株式市場に投入し始めたので、変化の兆しはある。日本の年金基金は最大級の日本株の売り手だ。大部分のアナリストは年金基金は株式下落相場で痛めつけられたショックが残っていると見ている。しかし一部には3年連続して株価が上昇し、債券をアウトパフォームしているので年金基金も見方を変えると見る向きもある。

ところで東京証券取引所の公開データ(ホームページ)で投資部門別の買越・売越の状況を見ておこう。(以下東証1部のみのデータ)

2004年度の状況は、総額では3,544億円の買い越しで、外国人は7兆4,181億円の買い越し。個人は3兆7,121億円の売り越し、投資信託は4,215億円の買い越しで、信託銀行(大部分は年金基金)は2兆9,086億円の売り越しだった。

足元の今年10月については、外国人は1兆26億円の買い越し、個人、投信はそれぞれ1,263億円、876億円の買い越しだが、信託銀行を含む金融機関は合計で1兆816億円の売り越しになっている。

日本株のパフォーマンスが良くても儲けるのが外国人ばかりでは寂しい限りである。

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いざ鎌倉へ

2005年11月27日 | まち歩き

金曜日の夜は相当飲んだ。今月で退職する先輩達と名残を惜しんで飲んだのである。得意でもないカラオケに久しぶりに行き、2,3曲歌ったりした。人生には飲むことでしか表現できない思いというものがある。・・・西の方陽関を出れば故人なからん。更に尽くせ一杯の酒(王維)である。しかし翌日の朝は応えた。前からの約束で家内と鎌倉に紅葉見物に行くのであるが布団から出るのに、一大決心がいった。

鎌倉には9時に新宿を通る湘南スカイライナーに乗る。乗り換えを含み1時間程で鎌倉へ。直ぐに江ノ島電鉄で長谷へ。江ノ電を使うなら江ノ島・鎌倉フリー切符がお得だ。長谷ではまず長谷寺へ行く。

hasedera

ご本尊は高さ9mに及ぶ木造の十一面観世音菩薩。境内の南端から見下ろす景色も良い。ただし紅葉は今ひとつだった。次に大仏さんに向かう。

daibutu

大仏さんからは住宅地を通って銭洗弁天へ向かう。大仏さんのある高徳院の東隣の住宅地にねずみのようなものが走ったので何かとみるとリスだった。リスが数匹屋根の上や木立の中を走っている。鎌倉には自然がある・・・・

銭洗弁天への道は急な坂だ。坂の中腹にあるトンネルを潜り抜けるとそこは弁天様の境内。100円払ってお線香を頂くとともに笊を借りる。この笊にお金を入れて境内の奥にある洞窟の中の水で洗うとご利益があるということだ。私は100円玉数枚を洗ったが、中には1万円札を洗っている人もいる。元本が大きい方がご利益も高いということだろうか?

銭洗弁天の後は化粧坂(けわいさか)を降りて海蔵寺へ。kewaizaka

化粧坂切通しは中々急な坂である。戦で討ち取った平家の大将の首に、ここで化粧を施したからこの名前がついたという説がある。

化粧坂を下りたところを左に曲がると海蔵寺である。海蔵寺は臨済宗建長寺派の寺で深い谷(やと)の奥に静に佇む。紅葉が綺麗なことで先月号のサライに載ったことにもよるのか、中高年写真愛好者が盛んにシャッターを切っていた。

kaizouji

この後鎌倉駅まで徒歩で戻り、駅近くのお好み焼き屋で牡蠣入りのお好み焼きを食べる。お店の人がふっくら焼いてくれたので美味だ。昼食後江ノ電で腰越へ行き満福寺へ行く。義経が平家討伐後鎌倉に凱旋しようとしてたところ兄頼朝がこれを拒み、義経が釈明の手紙(腰越状)を書いたのがこの満福寺なのだ。

mannpukuji

200円払ってお寺の中に入ると義経の一生を描いた襖絵があるが、これは新しいものだ。家内と「200円は少し高いね」などと言いながら今日の最後の目的地小動(こゆるぎ)神社へ向かう。

koyurugi

神社の南端にある展望台からは江ノ島が目の前に見える。富士山も見えるそうだが、今日は曇り勝ちで見えなかった。

それにしてもここ腰越と鎌倉は江ノ電で15分程度の距離なのだが、義経にはついに届くことがなかった距離となった。半日よく歩いたので、昨夜の酒は抜け快い疲れがつのってきた。私たちは江ノ電で藤沢に出てそこから湘南ライナーで新宿に向かった。

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Always 三丁目の夕日を観る

2005年11月23日 | 映画

家内の希望で「Always 三丁目の夕日」http://www.always3.jp/index02.htmlをジョイ大泉に見に行った。この映画は人気が高いらしく、最近見た映画の中では観客の入りが多い。もっとも最近観た映画は藤沢周平作品など暗いものが多いので、客入りが少ないことは仕方がない。この映画の観客は我々以上の年配の方も多いが、子供連れの若い家族の方も結構いる。幅広い層に人気がある様だ。

さて映画の舞台は昭和33年の東京。東京タワーが完成する年で、まだ都電が走っている。昭和33年というと私は小学校2,3年生の頃。都電は知らないが、故郷の京都でも市電が走っていた。夕暮時となると、市電のパンタグラフから青い放電が光り、それが妙に寂しかったことを覚えている。

映画で初めてテレビが鈴木家に来る場面があるが、テレビというのも中々衝撃的なものだった。白黒テレビの登場以降我々はカラーテレビだとかインターネットだとか色々メディアの発展を経験したが、やはりテレビの登場が現代社会に与えた影響が一番大きいのではないだろうか?

このドラマは血の繋がらない二つの擬似親子的関係~吉岡秀隆演じる売れない作家と須田健太演じる素直な男の子、鈴木夫妻と東北から集団就職してきた若い女の子~の深まりを軸にして進んでいく。この頃の日本には他人の子供でも預かった以上は自分の子供と同様精一杯大事に育てるという良い慣習があったのだ。人は皆本音でぶつかり合い、けんかもすれば助け合いもする・・・という本音で精一杯生きる社会があったのだ。

時は流れて約50年。良くも悪くも人間関係は希薄になった。豊かな食生活が高脂血症等の生活習慣病を生む様に豊かな社会が希薄な人間関係を生み、それがストレスや悪い場合には自殺にさえ繋がっていく・・・・よって人は時には昔を偲び欠けている何かを探そうとするのかもしれない。

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