金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

残雪恋て山に行くも・・・・

2014年03月31日 | うんちく・小ネタ

♭人皆花に酔うときも残雪恋し山に行き・・・山男が大好きな四季の歌。

先週土曜日・日曜日と北アルプスの懐中の湯温泉に出かけた。お目当ては焼岳登山だった。土曜日(3月29日)は快晴。

Hodaka

中の湯温泉旅館の前から穂高連峰がよく見えた。雪の穂高岳は夏よりも近くに見える。

しかし翌日は天気予報どおりの大雨。旅館の前には水墨画のような雨の景色が広がっていた。

Ame

この雨では当然登山は中止。旅館の車で釜トンネル入り口の秘湯「卜伝の湯」を往復し、時間をつぶした。

予定より早い列車で帰京。雨はあがり青空が広がっていた。

花小金井駅から自宅まで2km弱の道を重たいザックを背負って歩いた。

途中桜が咲き乱れていた。

Town

花の季節はあっという間に訪れ、あっという間に去りそうである。

 

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実はそれほど簡単に割り切れない預金相続問題

2014年03月28日 | うんちく・小ネタ

ある読者の方から銀行預金の相続について2回コメントを頂いたので、現時点におけるこの問題に関する管見を述べておきます。なおこれはあくまで私見でして、日本相続学会の公式見解ではありません。

頂いた最初のコメントは私の「定期預金は遺産分割協議を要せずに法定相続分に応じて分割される」という記事に対して「それは間違いです。最高裁の小法廷で国債でさえ遺産分割協議を要すると判決がでました」というものでした。

次に頂いたコメントは「前回のコメントは間違いでした。最高裁の判例によれば預貯金などの金銭債権は法定相続分に応じて帰属する・・・」というものでした。

三段論法的に預金の相続問題を考えると次のようになります。

① 可分債権は分れて相続されるのが原則である。

② 預金は可分債権である。

③ だから預金は法定相続分に応じて当然に分割される。

ということなのですが、このロジックには幾つか注意するべき点があります。一つは①の「原則」という点です。原則には例外があります。何が例外か?というと可分債権も相続人が同意すれば遺産分割協議の対象になるということです。たとえば兄妹の二人が相続人となった場合「お兄ちゃんは親の自宅を相続するから預金は80%妹が貰う」などという分割協議はよくあることだと思います。

次に預金と一口にいっても「定期預金」と「普通預金」に大きく分けることができ、定期預金の中には大口定期預金のように下限金額が決まっていて、分割すると下限金額を下回る場合はどうなのだなどという問題が出てきます。また預金ではありませんが、投資信託は当然分割されるのか?という問題もあります。投資信託の場合は適合性の原則がありますから、相続人のリスク耐性が低いと判断される場合はその投信を(投信のままでは)相続することがふさわしくないという問題が発生します。

このあたりについては下級審では色々な判例が出ていますが、定期預金については不可分性を重視する傾向が強くなっているのではないか?と私は判断しています。

「預金債権は可分債権だから相続預金のうち、自分の持ち分を払い出してくれ、と銀行に申し入れたが、相続人全員の同意がないとダメといわれた」という話を聞きます。一方相続人の人が弁護士を連れて銀行に行き、払い出してくれないなら訴訟すると強談判したら銀行が渋々応じてくれたという話も仄聞します。

銀行がなぜ預金の払い出しに相続人全員の同意を求めるか?というと遺産分割協議により法定相続割合とは異なる分割が行われる可能性があるからです。

銀行は特定の相続人に相続分に応じた預金の払い出しを行い、その後他の相続人から「遺産分割協議ではこうなっている」とか「その相続人が相続排除(やや極端ですが)されていた」などの理由で損害賠償を請求されることを警戒しているのです。

ということで簡単に割り切れないのが預金相続の問題だ、と私は考えています。そして金額にもよりますが、相続財産となる不動産の価格に匹敵するような預金がある場合はこれを遺産分割協議の対象にするのが衡平なのだろうと私は考えています。

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人は神なくして道徳心を保てるのか?

2014年03月27日 | うんちく・小ネタ

随分くそまじめなタイトルをつけてブログを書きだしたな?とお思いでしょう。でも特定の宗教を宣伝するつもりもありませんのでご安心ください。

唐突なテーマのようですが、これは私が最近読んだ気鋭の脳科学者・中野信子さんの「科学がつきとめた『運のいい人』」の中の一つのテーマ「運のいい脳にする一つの方法は朝と晩の一日2回お祈りすることです」ということと関連がありそうなので取り上げた次第です。

もっとも中野さんは「将来なりたい自分・成し遂げたい目標などについて集中して祈る」と書いていますが、祈りの対象物(神様とか仏様)について書いていません。ですからこの「祈り」は集中力を高める行動と考えた方が良いのでしょう。

ここで思い出すのが宮本武蔵の「神仏を尊び神仏を頼まず」という言葉です。武蔵の言葉を私は次のように解釈しています。「神仏の存在は信じて敬うけれども、戦いに臨んで神仏の力を頼むことはしない」

野球の野村監督が好んだ言葉に「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けあり」という松浦静山(江戸時代の大名にして剣の達人)の言葉があります。これは負ける場合は自分が未熟だから負けるのである、負けないように力をつけることが肝心という意味だと私は解釈しています。中野さん・武蔵・松浦静山の言葉を並べてみると何かが見えてくる気がします。

さて本題に戻ると米国の調査機関Pew Research Centerが「神の存在を信じることは道徳心にとって必須のことなのか?」という調査を世界40か国で行い、その結果を発表していました。

その結果は40か国中22か国で多数の人が神の存在を信じることは道徳心にとって不可欠であると述べて言っています。

ちなみに日本では42%の人が神の存在を信じることは道徳心にとって不可欠と述べ55%の人は必ずしも必要はないと答えています。

世界的に見ると1人当たりGDPと神の存在が道徳心にとって必要と考える人の割合は強い相関関係があり、1人当たりGDPが低いほど神の存在は必要と考える人が多く、1人当たりGDPが高くなると神の存在は必ずしも必要がないと考える人が増える傾向があります。

ただしこの傾向には二つ例外があります。一つは米国。米国の一人当たりGDPはカナダやドイツ、英国より高いのですが、神の存在は道徳に不可欠と考える割合は53%(カナダ、ドイツ、英国はそれぞれ31%、33%、20%)と非常に高いことです。

もう一つの例外は中国。中国人で神の存在は道徳心に不可欠と考える人はわずかに14%です。これは一人当たりGDPで同レベルにあるトルコ(87%が不可欠派)、南アフリカ(75%)、ブラジル(86%)に較べて圧倒的に低い数字です。

日本はほぼ世界的な傾向線上にあります。

なおこの調査でちょっと気になったのは質問の文章です。それは英語でIt is necessary to believe in God in order to be moral…なのですが、GodのGが大文字であることです。Godはキリスト教など一神教の「神」つまり創造主で、godになるとギリシア神話など多神教の神です。

世の中には一神教的な創造主は信じないけれど、何らかの霊的なものは信じるなんて人はどうように回答したのか気になるところです。日本には「悪いことをすれば、誰が見ていなくてもお天道さまが見ている」という言葉がありました。お天道さまをGodと考えるならば、神は道徳の維持に必要、ということになるのでしょう。少なくともこの言葉が信じられていた時代では。

宗教には「その社会に共通の価値観を提供し社会を安定させる」機能があります。1人当たりGDPが増えたり、教育水準が高くなると道徳の維持のために宗教が必ずしも必要ではないと考えるのが世界的な傾向ですが、その場合宗教に替わる別の価値観が共有されないと社会は不安定になります。

私は日本はこの価値観がコロコロ変わってきた国だ、と思っています。一つの価値観が短期間に共有され、その時の流行りの価値観を共有しない人は白い眼で見られる。しかし何らかの理由でその価値観が新しい価値観にとって替わられると慌てて追随しないとまた仲間はずれにされるというのが日本の特徴でしょう。

もし宗教に一つのメリットがあるとすれば、ブレない価値観ではないか?と私は思っています。もっとも何とか原理主義などでブレないというのは少し危険ですが。

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日銀が量的・質的金融緩和に乗り出す5つの理由

2014年03月26日 | 投資

CNBCが日銀が新たな金融緩和に乗り出す5つの理由という記事を載せていた。膠着状態の相場に強力な援護射撃をしてほしいという狙いかもしれないが、日本株の売りに回っていた海外投資家が日銀のスタンスを確認したらまた活発に動く可能性があるので、頭にとめておくことにした。

ソシエテジェネラル証券の会田卓司エコノミストは「4月の消費税引き上げで経済成長が鈍化するリスクに対応するため、第2四半期のどこかで~4月の可能性が最も高い~日銀は追加的な量的・質的金融緩和QQEを実施すると予期している」と今日のレポートの中で述べている。

日銀の次の政策決定会合は4月7-8日だ。会田氏の説が正しいとすると4月の政策決定会合で対策を打ち出すことになるのだろうが、これは従来の予想より早い。

CNBCは会田氏が日銀が早期にQQEを実施する5つの理由を紹介している。

  1. 市場のインフレ期待率は日銀がかかげる2%のターゲットより低い。日銀のCPI予想は2015年度に1.9%というものだが、市場コンセンサスは1%に過ぎないと日銀は判断している。
  2. 日銀は2015年までにインフレ率2%という目標を達成する必要がある。
  3. 日銀はデフレを終わらせるためにあらゆる手段を取るという信念を示す必要がある。
  4. アベノミクスの他の二本の矢(財政による景気刺激と構造改革)をサポートするために追加的な金融緩和が必要である。
  5. 日本の実質金利(10年)は現在マイナス0.2%だが、(企業の投資意欲を刺激するため)持続させる必要がある。

大方のエコノミストは日銀がQQEを実施すると考えているが実施時期については見方が分かれている。

ゴールドマンザックスやモルガンスタンレーは消費税引き上げの影響を見極めてからQQEの実施を決定するだろう、それは早くても6月という見方だ。

モルガンスタンレーは追加的な金融緩和策は国債購入額を年間50兆円から60兆円に引き上げ、ETFの購入額を年間1兆円から2兆円に引き上げるだろうと述べている。

もし株屋さんの話を信じるならば、日本株についてもbuy the dip(押し目買い)、株価が下がったところは絶好の買い場かもしれない。

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【書評】科学がつきとめた「運のいい人」

2014年03月26日 | 本と雑誌

「科学がつきとめた『運のいい人』」サンマーク出版 中野信子著を電子版で読んだ。

少し前アマゾンで中野さんの「脳内麻薬」(幻冬舎)を買った(こちらは紙の本)ので、自動的に案内が送られてきたのだ。案内された本を買って読んでみたいと思うかどうかは著者とタイトルが決め手だ。この本についていうと「科学」「つきとめる」「運のいい」と私の読書心をくすぐる言葉が並んでいる。この本が「運のいい人」のしくみをつきとめたかどうかは読者諸氏お一人お一人の判断に関わるが、売れる本(この本が売れるかどうかは知らないが)は、誇大広告すれすれのタイトルが必要なのだろう。

さて本題に戻り、一読しながら付けたブックマーク(紙の本で付箋)から印象に残るところをいくつかピックアップしてみた。

  • 科学的な観点から考えると「生き残ること」が運のいい人の一つのキーワード。運がいい人が生き残るのが「運者生存」の概念
  • 運・不運はだれの身にも公平に起きていて、運がいい人というのは運をつかみ不幸を防ぐような行動、物事のとらえ方、考え方をしている。
  • 運のいい人になるための絶対条件は自分を世間の標準に合わせるのではなく、自分を最大限に生かすことだ。自分の価値観で自分なりの幸せを把握することが大事。
  • 自分なりの幸せとは自己一致の状態。簡単にいうと自分で自分のことが好きな状態。
  • 運のいい人はいい加減に生きる。
  • 運のいい人は「正しいかどうかよりおもしろそうかどうか」で決める
  • 運のいい人は自分を大切に扱う。自分を大切にするとはたとえば身だしなみに気をつけること。自分を大切にしている人は他の人からも大切にされる。
  • 運のいい人はあえてリスクのある道を選ぶ。なぜならリスクのある道を選んだ法が脳が喜ぶ傾向にあるからだ。
  • 配慮範囲が広い人ほど運がいい。(配慮範囲とは現在に自分を原点にして人間関係と時間を軸にしたもの)
  • 運のいい人は不安と上手につきあう
  • 運のいい人はポジティブな祈りをする。ポジティブな祈りとは自分のことだけでなく、自分以外のだれかの幸福を願うポジティブな祈りのこと。

ピックアップしたところは、結論部分なので「なぜそう筆者が判断したか」の説明は省略している。中野さんはセレトニンやドーパミンなどの神経伝達物質が幸福感に果たす役割を説明しながら「科学的」に運のいい人にいたる道を提唱している。

さらさらと読める本だからご興味のある方はご一読を。

なお「科学がつきとめた」というが、私は現在時点における矛盾が少なくて納得がいく説明ができた程度の話、と実は理解している。

運のいい人はポジティブな考え方をするとか他者の幸せを願うなどということは古代より言われてきた話である。だがなぜそうなるのか?という説明はブラックボックス化している場合が多かった。

「胸にストンと落ちる説明がないと昔から良いといわれていることでも実践しにくい」という理屈っぽい人には参考になる本である。

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