随分くそまじめなタイトルをつけてブログを書きだしたな?とお思いでしょう。でも特定の宗教を宣伝するつもりもありませんのでご安心ください。
唐突なテーマのようですが、これは私が最近読んだ気鋭の脳科学者・中野信子さんの「科学がつきとめた『運のいい人』」の中の一つのテーマ「運のいい脳にする一つの方法は朝と晩の一日2回お祈りすることです」ということと関連がありそうなので取り上げた次第です。
もっとも中野さんは「将来なりたい自分・成し遂げたい目標などについて集中して祈る」と書いていますが、祈りの対象物(神様とか仏様)について書いていません。ですからこの「祈り」は集中力を高める行動と考えた方が良いのでしょう。
ここで思い出すのが宮本武蔵の「神仏を尊び神仏を頼まず」という言葉です。武蔵の言葉を私は次のように解釈しています。「神仏の存在は信じて敬うけれども、戦いに臨んで神仏の力を頼むことはしない」
野球の野村監督が好んだ言葉に「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けあり」という松浦静山(江戸時代の大名にして剣の達人)の言葉があります。これは負ける場合は自分が未熟だから負けるのである、負けないように力をつけることが肝心という意味だと私は解釈しています。中野さん・武蔵・松浦静山の言葉を並べてみると何かが見えてくる気がします。
さて本題に戻ると米国の調査機関Pew Research Centerが「神の存在を信じることは道徳心にとって必須のことなのか?」という調査を世界40か国で行い、その結果を発表していました。
その結果は40か国中22か国で多数の人が神の存在を信じることは道徳心にとって不可欠であると述べて言っています。
ちなみに日本では42%の人が神の存在を信じることは道徳心にとって不可欠と述べ55%の人は必ずしも必要はないと答えています。
世界的に見ると1人当たりGDPと神の存在が道徳心にとって必要と考える人の割合は強い相関関係があり、1人当たりGDPが低いほど神の存在は必要と考える人が多く、1人当たりGDPが高くなると神の存在は必ずしも必要がないと考える人が増える傾向があります。
ただしこの傾向には二つ例外があります。一つは米国。米国の一人当たりGDPはカナダやドイツ、英国より高いのですが、神の存在は道徳に不可欠と考える割合は53%(カナダ、ドイツ、英国はそれぞれ31%、33%、20%)と非常に高いことです。
もう一つの例外は中国。中国人で神の存在は道徳心に不可欠と考える人はわずかに14%です。これは一人当たりGDPで同レベルにあるトルコ(87%が不可欠派)、南アフリカ(75%)、ブラジル(86%)に較べて圧倒的に低い数字です。
日本はほぼ世界的な傾向線上にあります。
なおこの調査でちょっと気になったのは質問の文章です。それは英語でIt is necessary to believe in God in order to be moral…なのですが、GodのGが大文字であることです。Godはキリスト教など一神教の「神」つまり創造主で、godになるとギリシア神話など多神教の神です。
世の中には一神教的な創造主は信じないけれど、何らかの霊的なものは信じるなんて人はどうように回答したのか気になるところです。日本には「悪いことをすれば、誰が見ていなくてもお天道さまが見ている」という言葉がありました。お天道さまをGodと考えるならば、神は道徳の維持に必要、ということになるのでしょう。少なくともこの言葉が信じられていた時代では。
宗教には「その社会に共通の価値観を提供し社会を安定させる」機能があります。1人当たりGDPが増えたり、教育水準が高くなると道徳の維持のために宗教が必ずしも必要ではないと考えるのが世界的な傾向ですが、その場合宗教に替わる別の価値観が共有されないと社会は不安定になります。
私は日本はこの価値観がコロコロ変わってきた国だ、と思っています。一つの価値観が短期間に共有され、その時の流行りの価値観を共有しない人は白い眼で見られる。しかし何らかの理由でその価値観が新しい価値観にとって替わられると慌てて追随しないとまた仲間はずれにされるというのが日本の特徴でしょう。
もし宗教に一つのメリットがあるとすれば、ブレない価値観ではないか?と私は思っています。もっとも何とか原理主義などでブレないというのは少し危険ですが。