Predatorプレデターとは肉食動物、捕食者という意味で、比喩的に「弱みに付け込んで他人を利用する人」という意味で使われる。私は観ていないけれどプレデターというSF映画もあった。またこのブログの読者で英語で金融記事をお読みになっている方は、サブプライム問題等で貪欲な荒稼ぎをした投資銀行を批判する時にpredatorという言葉が使われていたことを思い出されるかもしれない。
プレデター、捕食者という言葉は良いイメージを伴わないが、ニューヨーク・タイムズに「食物連鎖の頂点にいる捕食者によって環境は保全されている。だから彼らを守る必要があるのだ」という主旨の記事が出ていた。タイトルはWhy the beaver should thank the wolf「何故(狼の餌であるビーバーは狼に感謝するべきなのか」というもの。
狼はビーバーを食べる。またヘラジカなど若木の芽を食べる大型草食獣も食べる。狼がいなくなり襲われる恐れがなくなると、鹿は落ち着いて木の芽を徹底的に食べて木を枯らしてしまう。奥多摩などの山を歩く人は木の皮が無残なほどに剥ぎ取られた木々や、それを守るため幹にネットが巻きつけられた木々を見たことがあるだろう。大型肉食獣がいない日本では、鹿は我が物顔なのである。
狼がいると鹿は落ち着いて木の芽を食べることができず、急いで一つ二つつまみ食いをして辺りを警戒するので、木を枯らすことはない。豊かな植生があるとビーバーは巣作りに励むことができる。またビーバーの作ろダムは、昆虫、両生類、魚、鳥、小動物のすみかになる。また豊かな植生は洪水を防ぎ、肥沃な土壌は二酸化炭素を吸収する。
という具合に狼がいることで、豊な生態系が守られ、エコシステムが持続する、だから狼を保護しようというものだ。
規模は小さいけれど、日本にも百年前に絶滅した狼を復活させようという運動がある。これについて私は主旨は分かるけれど、上手く行かないのではないか?と考えている。上手く行かないと思う一番の理由は人間への危害の問題ではない。狼が必要とする生活圏の広さの問題である。先ほどタイムズの記事は「イエローストン公園のような公園は狼を保護する一番効率的な手段ではない。近親交配を避けるため狼は非常に長い距離を移動する。国立公園の規模は狼には不十分で、大陸規模のスケールで保護地域を考えるべきだ」と結論していた。四国の半分の面積を持つイエローストーン公園で不十分というのであれば、日本には受け皿はない。
残念ながら日本に野生の狼を復活させる余地はない、と考えるべきだろう。といってむやみに鹿狩のハンターが増えても登山者としては危険な話だ。とりとめのない話になったが、次に山に行くときは、鹿の害のことを考えながら歩いてみよう。