金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

徒然草を読む(16)~なにごとでもガイドがいた方がよい~

2020年05月31日 | ライフプランニングファイル

昨日「高名の木登り」について書いたが、今日は「石清水八幡宮の本宮を拝み損ねた仁和寺の法師」の話について書くことにする。

この仁和寺の法師の話も高校生の時、古文の教科書で読んだ記憶がある。やんちゃ盛りの高校生にもわかりやすい話だったのだ。有名な話だが粗筋を紹介しておこう。

仁和寺にいたある坊さんは老年になるまで石清水八幡宮に参拝したことがなかった。ある時一大決心して一人で参拝に出かけた。

ちなみにグーグルマップで仁和寺から石清水八幡宮の距離を調べると21㎞で徒歩で4時間半かかる。昔の人は時速6㎞近い速度で歩いていたという話もあるので往復7時間程度で歩き通すことができたかもしれない。

いずれにせよ結構な距離なので坊さんは気が急いていたのかもしれない。坊さんは男山の山上にある石清水八幡宮を拝まずに麓の極楽寺と高良神社だけ拝んで帰ってしまった。そして同僚に「八幡宮はうわさ以上に立派な神社でした。それにしても参詣者がみな山に登っていたのは何かあったのでしょうか。気にはなったのですが、八幡宮の参拝が目的でしたから山の上までは登りませんでした」と言ったという話。

兼好法師は「少しのことにも、先達はあらまほしきことなり」(ちょっとしたことでもガイドがいた方がよい)と結んでいる。

我々が若い頃日本にはプロの山岳ガイドという人はいなかったと思う。あるいは少数のガイドがいたかもしれないが、山岳ガイドは職業として確立していなかった。

それから半世紀近い年月が流れ、日本の山でもガイドさんと一緒に登る人が増えてきた。

またガイドさんとは少し役割が違うが各種のスポーツでコーチの役割が飛躍的に大きくなっているように見える。

ガイドやコーチが必要なのは、登山やプロスポーツの世界だけではなく、実は経営の世界でも必要なのである。ところが経営者の中でガイドやコーチの意見をちゃんと聞こうという人は滅多にいないようだ。間違いがなければ良いが・・・と思わぬではない。

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麦実る、麦秋は初夏の季語

2020年05月31日 | うんちく・小ネタ
自宅から東久留米のイオンモールに通う道の麦畑が黄金色に染まってきた。
緊急事態宣言は発せられた頃は青々としていた麦が実り始め収穫が近い。
実った麦を麦秋と呼び初夏の季語らしい。
ところで今日は非常事態宣言解除始めての週末。モール内のショップもオープンしてかなり込み始めていた。
(宣言後はイオンだけがオープンし、モールの店は営業を自粛していた)


麦秋というと在宅勤務中アマゾン・ミュージックのモーニング・カップ・オブ・コーヒーでよく聴いていた
Field of Goldという曲を思い出した。
 
歌詞の趣旨は次のようなことだった。
 
僕たちのイギリスは麦畑に囲まれていて、夏になると麦が実る。
風に揺れる麦畑の中で愛をささやいたカップル
You’ll remember me when the west wind moves
西風が吹いてくると君は僕を思い出すだろう。
 
この歌の背景はよく知らない。黄金色に実った麦は豊穣でありかつある種の寂しさを漂わせていた。
 
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徒然草を読む(15)~危険が去った後が危険

2020年05月30日 | 本と雑誌

緊急事態宣言の解除を受けて高尾山など近郊の山に少しづつ登山客が戻っているようだ。

私も6月に入ったら奥多摩の手ごろな山で足慣らしを始めたいと思っている。こんな時期登山に行って万一足でも挫いて救助隊の皆さんのお世話になるようなことがあると周りの人から何を言われるかわからないから、まずは手頃で歩きやすいところでしかも3密にならないところを選びたいと考えている。

しかし山の事故というのは必ずしも危険な場所で起きるものではない。難しい岩壁を登り終えた後の易しい下山路で滑落したなどという話は時々聞く。実際我々の仲間でも平坦な縦走路をスマートフォンを見ながら歩いていて石に躓き捻挫をしたということがあった。

危険な場所では神経を張り詰め注意しているからあまり事故は起きず、むしろその後の何でもない場所で注意が散漫になり事故を起こすということは意外にある。

徒然草第百九段「高名の木登り」の話はこのような危険が去った後の油断を戒めたものだ。この話は高校時代の古文の授業で教科書に載っていた記憶がある。高校生に無常の話をしても腹落ちしないだろうからこのような人生訓が手頃だったのだろう。

木登りの名人といわれた男が弟子を高い木に登らせ、枝を切らせていた。高いところで危険だと思われたときは何も言わず、軒の高さほどになったところで「過ちすな。心して降りよ」と言葉をかけた。

そこでこれ位の高さなら飛び降りても降りられるのになぜそんなことを言うの?と聞くと「過ちは、やすき所になりて、必ず仕(つかまつ)ることに候ふ」という答が返ってきた、という話だ。

緊急事態宣言の解除を受けて登山を再開する人は多いと思う。自宅に籠っていた時は運動不足で体が硬くなっているはずだ。特に我々シニア層は。少しづつ山に戻っていこうと思う。高名の木登りの話など思い起こして一見何でもないような場所でもいつもより慎重に歩きたいと考えている。

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徒然草を読む(14)~恋は良いがセクハラはいけない

2020年05月27日 | 本と雑誌

今朝(5月27日)の読売新聞にテレワークでセクハラが問題になることがあるという記事がでていた。

おじさんがPCの操作などが分からなくて、在宅勤務している女子社員の家に電話をかけて聞くなどという行為が度を過ぎるとセクハラになる可能性があるらしい。ましてZoomやSlackなどを使ってビデオ電話をかけるなど言語道断であろう。ストレスがたまる中、女性とお話をしたくなる気持ちはわかるが、まず女性の気持ちになって考えてみたいものだ。

徒然草第三段には「恋はしてもよいががつがつしてはいけない」という話が載っている。

「よろずにいみじくとも、色好まざらむ男(おのこ)は、いとさうざうしく、玉の盃の当(そこ)なき心地ぞすべき」

どんなに他のことが素晴らしくても恋を知らない男は物足りない。玉でできた盃の底がぬけたようなものだ。

そして兼好法師は恋人たちを渡りあるいている人が実際は独り寝が多いのがなんとも面白いとつづけ最後は「ひたすらたはれたる方にはあらで、女(おんな)にたやすからず思われむこそ、あらまほしかるべきわざなれ」と結んでいる。

最後の文章の解釈は気になるところだ。

私が主に読んでいるビギナーズ・クラッシック徒然草(角川書店)では「やたら性欲の塊みたいに、がつがつすることもなく、女性にいつも好感を持たれるように節度をもって行動するのが、理想的である」と訳しているが、他の解釈もありそうだ。

「たはれたる」は「戯(たは)る」である。これは「みだらな行為をする。色恋にふける」「ふざける。たわむれる」「くだけた態度をとる」という意味だ。

「たやすからず」の部分はネットで調べてみると幾つかの解釈があった。「女性からみて扱いやすいと思われない」という解釈や「軽率でないとおもわれること」という解釈もあった。

以上を踏まえて私はこう訳することにした。「女性を好きになっても、すぐにちょっかいを出したりせず、女性から軽率な人と思われないことが理想的である」

自戒としたい、と思う。

 

 

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マスク嫌いのアメリカの新聞に「マスクで眼鏡が曇らない方法」が・・

2020年05月27日 | うんちく・小ネタ

アメリカ人はマスク嫌い。その代表はトランプ大統領です。

元々マスクには感染防止効果はほとんどありません。ただ自分が感染している場合、飛沫が他人に及ぶのを防ぎ他人にウイルスが感染するのを防止する効果はあります。つまり自己防衛というよりは他者防衛です。

だからアメリカ人はマスクが嫌いなんだ、などというつもりはありませんが、とにかくアメリカ人はマスクが嫌い。

もっとも最近はアメリカでもマスクの着用を求める傾向が強まってきました。

マスクを着用すると不便な場合があります。一つは眼鏡が曇ることです。

WSJに「マスクをしても眼鏡が曇らない方法」というのが紹介されていました。

やり方は簡単でティッシュペーパーを折り重ねてマスクの上辺の内側に置くというものです。

これについては警視庁が2年以上前にHPで同じ方法を紹介していましたからやはりマスクに関しては日本が進んでいるのですね。

 

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