昨日「高名の木登り」について書いたが、今日は「石清水八幡宮の本宮を拝み損ねた仁和寺の法師」の話について書くことにする。
この仁和寺の法師の話も高校生の時、古文の教科書で読んだ記憶がある。やんちゃ盛りの高校生にもわかりやすい話だったのだ。有名な話だが粗筋を紹介しておこう。
仁和寺にいたある坊さんは老年になるまで石清水八幡宮に参拝したことがなかった。ある時一大決心して一人で参拝に出かけた。
ちなみにグーグルマップで仁和寺から石清水八幡宮の距離を調べると21㎞で徒歩で4時間半かかる。昔の人は時速6㎞近い速度で歩いていたという話もあるので往復7時間程度で歩き通すことができたかもしれない。
いずれにせよ結構な距離なので坊さんは気が急いていたのかもしれない。坊さんは男山の山上にある石清水八幡宮を拝まずに麓の極楽寺と高良神社だけ拝んで帰ってしまった。そして同僚に「八幡宮はうわさ以上に立派な神社でした。それにしても参詣者がみな山に登っていたのは何かあったのでしょうか。気にはなったのですが、八幡宮の参拝が目的でしたから山の上までは登りませんでした」と言ったという話。
兼好法師は「少しのことにも、先達はあらまほしきことなり」(ちょっとしたことでもガイドがいた方がよい)と結んでいる。
我々が若い頃日本にはプロの山岳ガイドという人はいなかったと思う。あるいは少数のガイドがいたかもしれないが、山岳ガイドは職業として確立していなかった。
それから半世紀近い年月が流れ、日本の山でもガイドさんと一緒に登る人が増えてきた。
またガイドさんとは少し役割が違うが各種のスポーツでコーチの役割が飛躍的に大きくなっているように見える。
ガイドやコーチが必要なのは、登山やプロスポーツの世界だけではなく、実は経営の世界でも必要なのである。ところが経営者の中でガイドやコーチの意見をちゃんと聞こうという人は滅多にいないようだ。間違いがなければ良いが・・・と思わぬではない。