金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

人間ドック考

2006年05月31日 | 健康・病気

昨日日本橋ハートクリニックの人間ドックに行った。年に一回の定期健診であり、結果はまだ出ていない。しかし体重やお腹周りの数値を見ると、メタボリック・シンドロームかその予備軍とは言われそうだ。運動については世間一般の人に劣るとは思わないが、飲み食いも結構する方なので脂肪が蓄積しやすいのだ。このメタボリック・シンドロームであるが、一説では40歳以上の日本人男子の半分がメタボリック・シンドロームかその予備軍ということである。自己弁護する訳ではないけれど、一定年齢以上の半分もの人がかかる症候を病気といって良いものなのだろうか?例えば豚は太っているが、あれは病気なのか?そういえば「太った豚になるよりは、痩せたソクラテスになれ」と言った学者がいたが、本当はソクラテスは太っていたとのこと。これは全くの余談だが。

勿論メタボリック・シンドロームをそのまま放置して動脈硬化などを引き起こしてはいけないのだが、半数の人が同じ様な症状を抱えるのであれば、大袈裟に言えばそれは最早「病気」というよりも種としての宿命のようなものかもしれないと思うのである。宿命だからと開き直れと言うつもりはないが、宿命として見据えることで対応策も出てくるのではないだろうか?

ところで人間ドックにかかるのは、随分久しぶり(これまでは会社の産業医さんのお世話になっていた)だが、昔に較べて感じが良くなっているのには感心した。これは決してハートクリニックが最後に粗品とお食事券を呉れたから誉めているのではない。看護婦(士)さんやお医者さんが親切・丁寧なのである。そういえばこの前ちょっとしたことで、このクリニックにかかったことがあるが、やはり先生が丁寧だった。

もう少し一般化して考えると、全体的にこの頃お医者さんの対応が親切になっている様な気がする。以前はフレンドリーでなく「診てあげる」「診察が終わればさっさと帰りなさい」「余計質問なんかするんじゃない」という態度のお医者さんが多かったが、この頃は症状について丁寧な説明をする医師が増えている様な気がする。これは大変良いことである。

その原因は何なのだろうか?色々あると考えられるが、人口減少と医師の数の増加から来る競争激化が「医師も客商売である」という当たり前の原点への回帰を可能にしたのではないだろうか?一方産業医については、どうも患者と同じ目線でものを見て対策を考えようという意欲が感じられないのである。これは産業医が企業の一職員と化し、機械的に患者を処理しているからだ。つまり産業医には競争原理が働かないからサービスを向上させるモチベーションがなくなっているのだ。

人間ドックは隠れた病気を早期発見する良いチャンスなので、親切で安心できる病院を使うことをお勧めする。手頃だという理由だけで会社の施設に任せては(勿論そのサービスが良ければ良いが)いけないないものの一つであると私は思っている。

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アンジェリーナ・ジョリーの出産

2006年05月30日 | 日記・エッセイ・コラム

日によって有名人に関するニュースが多い時と少ない時があるが、今日(5月30日)など多い方ではないだろうか?死亡関連では岡田真澄さんとロシア語通訳でエッセイストの米原万理さんの逝去が報じられていた。少し変わったところではアンジェリーナ・ジョリーが、アフリカはナンビアでブラッド・ピットの子供を生んだという話。

私は今の今までアンジェリーナ・ジョリーに特段の関心がなかったが、彼女が出演した映画「すべては愛のために」(原題 Beyound Borders)に関するちょっとした思いでがあるので、少し彼女のことを調べてみた。なに、調べるといってもインターネットで百科事典Wikipediaを拾い読みするだけである。なおちょっとした思い出は最後に述べよう。

英語版wikipediaによると、ジョリー(Angelina Jolie)はロス・アンゼルス生まれの30歳。Angelinaはイタリア語で小さな天使という意味だそうだから、ロス・アンゼルスと多少因縁がありそうだ。さてジョリーは2度結婚して2度離婚。自分が生んだ子供はいないが、二人の養子を持っている。30歳というと我が家の長女より2つ年上なだけだが、まだ一回目の結婚話もない(と父は思っているが)娘に較べて何とも忙しいことである。

ジョリーは自分はバイセクシュアルと公然と言っている。幾つか刺青をしていることでも有名だ。People's Magazineという雑誌では世界の100人の美女の中でも最も美人に選んでいる。

このPeople誌には、Wikipediaからリンクが貼ってあってクリックすると直ぐ飛んでいけるので、とても便利だ。Wikipediaというのは、ボランティア的に運営されている百科事典で日本語版もあるが、英語版の充実ぶりは凄いものだ。

さてPeople誌の最新版によれば、ピットはジョリーの二人の養子を養子とする手続きを行なうそうだ。これが結婚へのステップになるらしい。日本的に考えると結婚すれば、養子は自動的に自分の養子になりそうな気がするのだが、海外ではそうではないようだ。

というようなことが分かったが、このアンジェリーナ・ジョリーという女優、奔放さというか自己主張の強さといった点で日本の30歳程度の女優とはかなり違いそうだ。

ところで映画「すべては愛のために」に関するちょっとした思い出というのは、この映画が上映された2年位前、私には色々な話をした若い女性の友達がいて、この映画の感想等もメールや電話で話をしたことを思い出したことである。その人はジョリーとは正反対の大人しい日本的な人と私には思えたが、映画には感動していた様だ。ひょっとすると女性の中には大なり小なりジョリーが住んでいるのかもしれない。

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目線の高さ

2006年05月29日 | うんちく・小ネタ

最近若い人と仕事の話をすると「遠くを見ていないなぁ」と感じることが多くなった。若い人といっても、40歳位なので世間一般的な意味では決して若くない。こちらが年を取ったということである。我々の会社も世間のご多分に漏れずここ数年リストラ・リストラで頑張ってきたが、この過程で中間管理職は「いかにやるか?」ということだけにとらわれ過ぎて「何故やるのか?」というより本質的な疑問を発することを忘れたようである。その結果足元のゴミは見えるが、地平線の風景は全く見えなくなってしまった様だ。

ここでいきなり余談になるが、地平線までの距離は一体どれ位だったか?計算して見たくなった。私の一つの悪いところは脱線するところだが、これも脱線の最たるものだ。

前提として地球の半径を6,370km、人の眼の高さを1.7mとして三平方の定理で計算してみると、海抜ゼロメートルで地平線までの距離は4.65kmとでた。ところで私はよく山に登るので、山の高さ毎に理屈の上で見える地平線までの距離を計算してみた。

すると海抜1千メートルで112.9km、2千メートルで159.6km、3千メートルで195.5kmまで見えることが分かった。無論実際には大気中の水蒸気等でそれ程見えることはないと思うが・・・

若いビジネスパーソンに時々で良いから山に登ることを薦めてみようか?などと考え始めている。1千メートル程の山で良いから頂上に立ってみると良い。100kmの視界はないにしろ天気が良ければ相当な範囲の世界が見えるはずだ。

今日本の会社に必要なことは、頭を高く上げて色々なものの地平線に思いをめぐらすことなのだろう。

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人生の主導権を取り戻せ

2006年05月29日 | リーダーシップ論

今朝の日経新聞「会社の金言」というコラム欄に大新東(ジャスダック・車両運行)の川島隆明会長が常々社員に「人生の主導権を我が手に取り戻せ」と説いていると書いてあった。日経の記事は「オーナー企業では時に経営がトップ任せになり、社員が自分で考える習慣が失われる」「自分で考えたことを議論してこそ会社も社員個人の人生も豊かになると(会長は)いう」と続ける。

この記事だけでは川島会長が「会社の中で自分の意見を言え」といっているのか「個人の人生の中で会社と個人生活のバランスを取り社畜にならず、人としての主導権を取り戻せ」と言っているのかは良く分からない。前者であれば極当たり前の会社における訓示だろうが、後者であるとすれば中々の卓見だと言いたい。

ここでは後者ということにして話を進めよう。人生の主導権を取り戻せということについては先人の名言が幾つもある。一つは「随所に主たれ」という禅語だ。

兼好法師の徒然草にも幾つかの言葉が出てくる。世俗の黙し難きに随ひて、これを必ずとせば、願ひも多く、身も苦しく、心の暇もなく、一生は、雑事の小節にさへられて、空しく暮れなん。」

要は俗事に追われていると人生は空しく終わってしまうというのだ。これは徒然草を貫く主題だろう。しかしこれは事業主側にとっては危険な思想であるかもしれない。つまり真に人生の主導権を取り戻そうとすると、会社のことより私生活の方が大事という人間ばっかりになってしまうかもしれない。一方妻や子供達をそこそこに満足させ家庭の中でも、ある程度の信頼と尊敬を得ていくには仕事人として、きっちりした仕事をしていなければならない。

自分の会社の目先の儲けだけを考えても、社会との調和が取れなければ事業は長続きしない。

このようなことから私は人生はバランスだと考えている。仕事人として家庭人として市民として一個人としてのそれぞれの局面で主体的に生き、バランスを取っていく。日本人の一人一人がそういう生き方を大切にする時、この国は良い方向に向かうと考えている。

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雨上がりの神代植物園(その2)

2006年05月28日 | まち歩き

私が「ゴルフよりも花の写真を撮る方が好きだ」と言うと、親しい友達は恐らく「ウソだ。冗談でしょ」と言うだろう。実際先週・今週・来週と3週間続けてゴルフに行く様では花の方が好きといっても信じてもらえないかもしれない。しかし今は、野山を歩いて花や美しい景色に出会う方がゴルフよりより心が充実する・・・というのは本当のところだ。従ってわずかな時間を見つけて花を見に出かけるのである。

さてこのブログは日曜日の午後、雨上がりに神代植物園を歩いた時の話なのだが、バラ園に向かう頃から急に青空が広がってきた。

Rosegarden バラ園には沢山の人が訪れていた。ちょっと目を引いたのは、若い女性で一眼レフを構えた人が多かったこと。撮影会でもあったのだろうか?

ところで私は今一つバラの花に乗り切れないところがある。バラは美しいには美しいが人工美の極致の様な気がする。美しすぎて陰がないのである。

とはいうものの、バラの花弁は精緻を極める。雨の水滴を少し残したバラの写真を何枚か記念に撮った。

Helentraubel

ヘレン トラウベル(Helen Traubel)と言う花だ。将にバラらしいバラと言える                         

               

ブルーリバー、青い河という程ではないが少し紫がかった花弁である。匂いは嗅がなかったが、強い香があるということだ。

Blueriver

                                  

アナベル(Anabell)Anabell

             

ポリネシアン サンセット(Polynesian Sunset)

Polynesiansunset

どうしてこの花がポリネシアの日暮れなのかは知らないが、ばら色の花が沢山咲いている花だ。

             

サムライ 真っ赤な花にサムライの熱い心を見たのだろうか?

Samurai

他にももう少し写真を撮ったのだけれど、掲載するのはこれだけにする。繰り返しになるが今の私にはバラの鮮やかさが少しきつすぎる様である。

公園の出口に近いところの池で亀達が日光浴をしていた。亀もこのところの悪天候で体が冷え切っていたに違いない。

Turtle

神代植物園を歩いていると、お年寄りを車椅子に乗せて公園をつれて歩いているボランティアの人達に出会う。心温まる風景である。暖めなければいけないのは亀の甲羅だけではないのだと思いながら、私はすっかり蒸し暑くなった植物園を後にした。

最後にカルガモの写真を1枚載せておこう。鳥の写真は眼に焦点があうことがポイントだが、この1枚は良く合っている様だ。

Karugamo

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