金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

旅の準備の楽しさ~芭蕉を訪ねて(1)

2006年08月31日 | うんちく・小ネタ

今年は9月の中旬にやや遅い夏休みを取って、ワイフと立石寺と月山辺りに行く計画を立てている。山形で芭蕉の足跡を訪ねてみる予定だ。旅の楽しみは現地に行く前から始まっている。昨夜は少し涼しかったので、クーラーを付けずに久しぶりに「奥の細道」を読んでみた・・・・。

芭蕉の山形への旅は尾花沢に紅花問屋で富豪の清風(鈴木 道祐)を訪ねるところから始まる。「かれ(清風)は富める者なれども、志いやしからず」と芭蕉は述べる。これは徒然草第十八段「人は己れをつゞまやかにし、奢りを退けて、財を持たず、世を貪らざらんぞ、いみじかるべき。昔より、賢き人の富めるは稀なり。 」を下敷にしたものだ。芭蕉を読むことは日本や中国の古典を訪ねることにつながるので時空の旅を楽しむことができる。

さていよいよ芭蕉は立石寺に向かい、ここで「閑(しずか)さや岩にしみ入る蝉の声」という名句をものにする。時期は新暦で7月13日であった。この蝉がいかなる蝉かということについて斉藤茂吉と漱石門下の芭蕉研究者・小宮豊隆の間に論争があったと聞く。茂吉はアブラゼミだと主張し、小宮はニイニイゼミだと主張し譲らなかった。最後に実際に芭蕉が訪れた時期に山寺を訪ね調べたところ、この時期にアブラゼミは鳴かないということでニイニイゼミで決着したということだ。

ところで芭蕉を俳諧の道に誘ったのは、芭蕉が若い時近習として使えた藤堂良忠だったが、彼の俳号が蝉吟(せんぎん)である。芭蕉は奥の細道に旅立つ前年若くして死んだ良忠の嗣子良長(よしなが)の屋敷の花見に招かれ往時を追憶し句会を催している。そういうこともあって蝉という言葉に特別の愛顧を受けた蝉吟への思いが重なっている様な気がしてならない。芭蕉は苔むした岩山に鳴く蝉の声を聞きながら、若くして死んだ旧主を偲んでいたに違いない。また短い命の限りを鳴く蝉に人間そのものの果敢なさを感じていたのに違いない。

日本現代詩の巨人萩原朔太郎は「芭蕉私見」の中で次のように述べている。

「芭蕉の心が傷んだものは、大宇宙の中に生存して孤独に弱々しく震えながら、葦のように生活している人間の果敢なさと悲しさだった。・・・・・釈迦はその同じ虚無の寂しさから出家し、遂に人類救済の悟道に入った。芭蕉もまた仏陀と共に、隣人の悲しみを我が身に悲しみ、友人の死を宇宙に絶叫して悲しみ嘆いた。」

朔太郎の言葉は芭蕉に対する最大級の賛辞だろう。芭蕉のリリシズムが二百年の歳月を越えて、現代の詩人の心を打ったのだ。

私が立石寺を歩く9月10日頃もニイニイゼミは鳴いているだろうか・・・などと旅を想像することは楽しいものである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沢登賛歌

2006年08月30日 | 

趣味は?と聞かれる時、細かい説明が面倒なので「山登り」と答えているが、本当は「沢登と山スキー」と答えるのが私にはより正確な答である。更に沢登りを「登攀系」「ゴルジュ系」「ナメ系」に分けると今の私はナメ系である。ただしこの辺りになると関心のない方には全くチンプンカンプンだろう。少し解説すると「登攀系」とは大きな滝の登攀等岩登り的な要素を追求するもの、「ゴルジュ系」とは大きな淵などを泳いだりしながら突破することを目的とするもの、「ナメ系」とは比較的傾斜は緩くツルンとした岩=スラブで構成される明るい谷を登ることを目的とするものである。

Koinomata 写真は恋の又川上部の大ナメ滝

Sawajitate 沢登は目標を決め、計画を立て、装備を準備するところから始まっていく。左は沢登の主な道具だ。左上が沢靴、裏がフエルト張りで濡れた岩でも滑らない様にできている。右がスパッツ、靴の中にごみや小石の進入を防ぐとともにすねのプロテクターでもある。その前がヘルメット。その前がシュリンゲとアイスハンマー、カラビナ、ハーケン等。いずれも登攀道具と呼ばれるものだ。その前がザイル、これでパートナーを確保したり、急ながけから懸垂下降で下ったりする。その横が電池式の蚊取り線香。一夜のキャンプに欠かせない。

このような道具を持って沢を遡行するのだ。思えば一般登山道を歩くいわゆる夏山登山はレールの上を歩くサラリーマン生活のようなものだ。道には道標があり所によっては踏み出さない様にロープで歩くところが区切られている。コースタイムで管理され、夜は満員の山小屋でワイワイ言いながら寝る。荷物は軽く、危険性は少なく健康には良いが、心を振るわせる感動に出会うことも少ない。

岩登りは独立独歩の一匹狼そのもだ。酒や食事をコントロールして、筋肉を鍛え垂直の壁に挑む。ストイックであり極限のスポーツだ。しかし足元から数百メートル切れ落ちた岩壁の上の舞踏に心の高まりを覚えた若い日は私にとってもう過去のものになった。

沢登は道のない沢を自分で沢と対話しながら登りやすいところを登っていくロハスな山旅だ。そこには道標もなければ、山小屋もない。多少危険なところもあるがそれを補って余りある豊かな水と焚き火の饗応がある。お酒もほどほどに飲んで沢音を聞きながら眠るのが良い。

Narumizugentou 写真はナルミズ沢源流部のナメ。

明るい岩肌を爽やかな水が音もなく流れるナメ滝をヒタヒタとたどる時つくづく「沢登をやっていて良かった」と思う。そしてこの美しい地球でも希な美しい沢達に恵まれた日本に生まれ育ったことを本当に幸せだと思うのである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

図書館がスモールビジネスを助ける~米国の話だが

2006年08月29日 | 社会・経済

ウオール・ストリート・ジャーナルにアメリカでは「図書館がスモールビジネスを支援している」という記事が出ていた。かってアメリカに駐在した時時々図書館に行ったことがあるが、アメリカ人は良く図書館を利用していた。またライブラリアンlibrarianが概ね友好的で知的なサポートを行なってくれたことを思い出す。ライブラリアンに相当する職種を日本では司書というが、実際は似てて非なるものだ。従って敢えてライブラリアンという言葉を使おう。また日本の図書館の多くが公営無料貸本屋であるのに比べ米国の図書館は実業に有用な情報の拠点という気がした。これに関する私見は後述するとして、記事のポイントを紹介しておこう。

  • 新興企業家達はオフィススペースや調査アシスタント、メンター(助言者・顧問)、マーケット・データベースを地方の図書館で無料に探すことが出来るかもしれない。
  • グーグルの時代になって起業家達は、自宅のコンピュータから簡単に情報にアクセスできるようになったが、図書館も改革を試みている。幾つかの図書館は本来の姿としてスモールビジネスのインキュベーダーになっている。
  • カンサス州オーバランドのある起業家は「ライブラリアンは我々の調査部門になっている。彼等は我々の無給のスタッフであり真に貴重なものだ」という。図書館毎に資源は異なるが、大部分の図書館は年に数千ドルかかる幾つかの商業データベースに加入している。例えばリファレンスUSAというデータベースが持つ数百万件の事業主と家計に関するセンサスデータとライフスタイルデータベースは強力なマーケット調査ツールとなりうる。起業家達はニューヨーク市のブルックリンにペットショップが何店舗あるか、それはどこに位置しているか、住民の収入レベルはどうかそして彼等は犬を所有する傾向があるのかどうかということを見つけることができる。
  • オートバイのクリーニング・キットを作ったある企業は、ターゲットとしたいオートバイディーラーをデータベースで抽出し、クレジットレーティングを調べ、優良なスコアを持つディーラーだけのメーリングリストを作成した。ブルックリン公共図書館内ビジネス図書館のスーザンは「このような情報は人々の知識に基づいた意思決定の助けになる」という。
  • 多くの図書館は授業や交流機会を増やすことで起業家を誘引することに務めている。例えば10年前に門戸を開いて以来、ニューヨーク図書館の科学・産業・ビジネス図書館は20の無料の講座で6万4千人の人々を教育した。テーマはパテント・商標からカスタマイズしたリストの作成にわたった。同図書館のマクドナルド役員は「図書館が行なっていることは、人々をウエッブサイトや本の情報に触れさせるだけではなく、専門家をフェイス・ツー・フェイスで人々と話させることに移っている」と言う。

さて私が日頃利用する図書館というと、西東京市の図書館である。そこには日頃の読み物はあるが、専門的な本やビジネスに直結する資料等はない。有料のオンライン・データベースを利用できるという話も聞いたことがない。図書館で本の受け渡しをしている人が司書の資格を持っているかどうかは分らないが、元々本のストックが限られているので専門的な本の有無について相談する気にもならない。これは勿論現場の人々の責任ではなく、この様に図書館を利用してきた我々市民や行政の責任である。

しかし情報・データベースを産業のインフラと考える時、米国は進んでいるなぁと言わざるを得ない。ここで学ぶべきは次の点だろう。

  • マーケッティングに役立つデータベースをそろえ、それを出来るだけ多くの新興企業等が使える様にすること。
  • 中小企業等に知的・情報的支援をするための大企業や富裕層からの免税寄付を認めること(米国では企業の寄付で図書館等が運営されている部分がある)。
  • 図書館を無料の貸し本屋から脱皮させ、情報の集約拠点として活用することを考えること。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ユーロが150円を越す理由

2006年08月29日 | 金融

ウオール・ストリート・ジャーナルによれば、ユーロが対円で150円を越えて強くならないことに賭けてエキゾチックオプションを張っている筋がポジションを守るため、現物を売ってユーロ高を防いでいるということだ。このオプションはワンタッチ、ダブルノータッチ、リバースノックダウン等と呼ばれるもので、米国や欧州のヘッジファンドやアジアの中央銀行が保有しているらしい。しかしこのオプションの満期がまもなく到来するという。

オプションが満期になると抵抗勢力がいなくなり時間の問題でユーロが150円を越えることは間違いなさそうだ。一端150円を越えるとユーロ高の弾みがつくだろう。

この背景には日本は先週発表された消費者物価指数が0.2%と低く、日銀が年内に利上げするという観測が後退しているが、欧州中央銀行はインフレを抑制するために数ヶ月以内に金利を引き上げると予想されていることがある。

欧州・日本の金利が乖離することで、ユーロ高が更に進むと考えられる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゼニイレ沢、スラブの饗応

2006年08月28日 | 

Zeniiresawa_1

8月27日(日曜日)白毛門のゼニイレ沢を遡行した。ゼニイレ沢は白毛門頂上付近から、西に下り湯檜曽川に流れ込むスラブ(滑らかな岩)の沢だ。写真は今年6月上旬一ノ倉沢出会いから望遠レンズで撮影したゼニイレ沢の全貌だ。

以下行動概要。26日(土曜日)午前8時15分西東京市の自宅をM君の車で出発。水上で今夜のすき焼きの肉など買ってから、一ノ倉沢出会いまで車で往復。ゼニイレ沢には全く雪は残っていないことを確認した。

その後湯檜曽川沿いの道を車で5分程北上した駐車場まで車で入り、マチガ沢出会いにタープを張って一夜の宿とした。車を下山口の白毛門駐車場に戻しに行ったM君の帰りを待って岩魚釣を開始した。私はマチガ沢から下流へ、M君は上流へ向かうが魚影は殆どなく、1時間程で岩魚釣は断念。その後ルアーとフライの2人組みが上流に向かっていった。夕刻二人の釣果を聞くと岩魚が一匹ということ。湯檜曽川で岩魚に期待するのは困難な様だ。夜半小雨続く。

Shiradan036

左の図は谷川岳-マチガ沢(左)-ゼニイレ沢-白毛門の断面図である。平均斜度はマチガ沢が28度で、ゼニイレ沢が29度である。一ノ倉沢を別格とすればこの付近でもっとも傾斜の強い沢がゼニイレ沢であることが分る。沢の困難さは平均斜度のみで決まるのでなく、最大傾斜や水量、岩の層など複数の要素が絡む。しかし傾斜のきつい沢が概して手強いことに変わりはない。

Zeniire1

27日午前6時10分マチガ沢出会い発。暫らく湯檜曽川の右岸を歩いて、ゼニイレ沢の出会い到着。ガレが上流まで続き、水は伏流している。ガレを過ぎると長大なナメが広がっている。暫らく登って傾斜が少し強くなったところで、M君が「ザイルを出しましょう」と言うので、9m×40mでアンザイレン。3ピッチ100m程登ったところで傾斜が落ちたので、ザイルを解いた。ここでナメの状況が分かり、慎重に行けばザイルを使わなくても行けると見極めたので、これ以降ザイルを使うことはなかった。

その後小滝が連続したり、100mクラスのナメ滝(写真)が出てくるが、どこをナメと呼びどこをナメ滝と呼ぶか余り区別をつけにくい。今日は雲が低く垂れ込め、対岸の谷川岳も白毛門頂上の上部岸壁は見えないが、天気が良いと中々の高度感だろう。スラブ帯を登るポイントは水流から余り離れないことだ。側壁に寄り過ぎるとトラバースが大変になることがありそうだ。

上部逆くの字滝を過ぎた辺りで沢が二分しているところに出会う。左俣の方が水量が多く明るく見えたので、左俣に入ってしまうが、ここは右が本流でベストルートであった。100m程登ったところで間違いに気が着いたが、このルートを辿った遡行記録もあるので、そのまま進むことにした。ナメと小滝を越えていくと水は藪の中に消え10時20分尾根の頂上に着く。ここから白毛門直下までは根曲がり竹と石楠花等が密生する藪を1時間程漕ぐこととなった。11時10分頃白毛門へ登る一般道の登山客を右手に見ることが出来た。最後は藪をトラバースして11時20分登山道に出た。藪漕ぎで夜来の雨をまとっていた藪と格闘したため、上着までずぶぬれで結構寒い。白毛門頂上まで15分程度だろうが、割愛して下山。Zeniire2Zeniire3

ゼニイレ沢遡行の参考タイム(「上越の谷105ルート」)は3時間半だが、私達は5時間強かかった。藪漕ぎのロスもあるがやはり歩くピッチが遅そかったのだろう。今日の私は風邪気味で喉が痛くて全く調子が上がらなかった。しかし風邪を別にしても四捨五入すると私も60歳である。ピッチが上がらなくても致し方がないことかもしれないと慰めつつ、白毛門の長い下山路を辿った。体は疲れていたが心の中にはゼニイレ沢のスラブ帯を堪能した喜びがふつふつと沸いていた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする