金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

【イディオムシリーズ】Virtuous cycle(好循環)

2014年06月30日 | 英語

Virtuous cycleは「好循環」という意味だ。イディオムではないが、現在の日本の状況を説明する英語という意味で取り上げた。

WSJに次の一文が出ていた。

Jobs creation is a linchipin for what Mr. Abe calls a "virtuous cycle" in which income growth spurs consumption, which then lifts corporate profits and spending.

雇用創造は安倍首相が「好循環」と呼ぶサイクル、つまり所得の伸びが消費を刺激し、それが企業の利益と支出を高めるというサイクルのかなめである。

先週金曜日に厚生労働省が発表した雇用統計によると、有効求人倍率は1.09倍。100人の求職者に対して仕事が109あるという状態だ。これは1992年6月以降で一番高い数字だ。

RBS証券に西岡チーフ・エコノミストによると、消費税引き上げの圧力は予想の範囲で、海外経済が相対的に安定していることや、安倍内閣の法人税を30%以下に引き下げるという決定などは企業が雇用を増やす上で「心地よい風」になっていると言う。

人手不足は消費者として感じることが増えてきた。昨日昼に大手町で食事をしてその後コーヒーを飲んだが、オーダーした料理がテキパキと運ばれてこない。スタッフの数がかなり少ないように思われた。

労働需給がひっ迫し、生産能力の余剰感が減ってくると企業は商品・サービスの価格を上昇させることを試みる。

消費者の目でみると、企業は商品本体の価格を引き上げる前に以前は無料で提供していたサービス(配送・取り付けなど)を細かく見直し、実質的な値上げを図っていると思われるケースに気が付く。

雇用改善が人件費の上昇につながり、それが消費を拡大し、経済が好循環に移ることは基本的に好ましい。だがその好循環のサイクルに入ることができない人がいる。それは収入がインフレにあまり連動しない人である。具体的には年金生活者である。

今の年金受給者は将来の年金受給者より相当得をしている、と言われているから我慢しなければならないことかもしれないが。

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緩やかなインフレ策で国の債務は減らせるのか?

2014年06月26日 | 社会・経済

今日(6月26日)の午後はモーニングスター社が主催する「相続税制改正セミナー」に参加した。ホテルオークラ東京で開催されたセミナーは資産家とおぼしき300名以上の参加者で活況を呈していた。主催はモーニングスター社だが、私は協賛の三菱UFJモルガン・スタンレー証券がかなり費用を負担したセミナーだと思っている。セミナー参加料は無料だが、同証券はセールス対象となる(私は別だが"(-""-)")見込み顧客リストを手に入れることができるのでpayoffするとそろばんをはじいているのだろう。

さてちょっと期待していた作家・石田衣良さんは体調不良で講演できず。ピンチヒッターで登場したのが藤巻 健史参議院議員だった。同氏は日本国債ディーラーとして20年ほど前東京市場ではちょっと名前の知られた存在。同年代だし、かって同じ同じ銀行にいたこともあるので悪口をいうつもりはないが、今日のお話は少し極論だと感じた。

何が極論か?というと同氏の話では「確率は低いけれど1ドル=1,000円という超円安が来る可能性がある」ということだった。その理由は日本の財政収支の悪さと国の借金の多さである。藤巻氏の主張は財政破たんが1990年代の韓国のような通貨安を招く可能性がる、というものだったと思う。この点について私は1ドル=1,000円は話を際立たせるためのレトリックだとしても、国の財政担当者がインフレ策を取ろうと考えているという判断自体には間違いはないと考えている。

荒い数字でいうと、日本の国の借金は1千兆円で税収は40兆円そこそこ。40兆円の税収があっても年間の財政赤字は40兆円である。このまま行けば借金は減るどころか増え続ける。消費税を更に2%いや更に10%あげてた程度ではとても返済できる借金額ではない(なお国の借金をゼロにする必要はない。GDPと同じ程度の借金はあっても良いだろうと私は思っている)

増税で国民生活を破たんさせないで借金を減らす方法はあるのか?というとそれはインフレを起こすことである。インフレは常に借金の実質価値を減らす。

インフレで国の経済の名目的な規模が大きくなると税収も当然増える。一方債務元本は名目貨幣価値で固定されているからインフレが進んでも債務額は変わらない。インフレは常に債務者の味方であり、債権者(国債の保有者、大部分は日本の個人・銀行・生保)の敵なのである。

分りやすい例として仮に年率4%でインフレが進むと20年後に貨幣価値は半分になっている。1千兆円の債務は額面通りで変わらなくても、その間に現在5百兆円のGDPは名目的に1千兆円に拡大しているから、国の債務は制御可能な範囲に入る訳だ。

藤巻氏はこの過程で一度クラッシュが起きる可能性がある程度あると判断し、それをリスクシナリオとしたポートフォリオを組むべきだと示唆するのだる。

激しいクラッシュが起こるのか?仮に起こるとするとその規模と影響はどの程度なのか?ということに私の想像はまだ及ばない。

しかし、この国の巨大な借金の残高を考えると、かなりのインフレを起こす、ないしは少なくともインフレが起きるという予想を市場に想起させないと国の借金返済の道筋が描けないところまで来ていることは事実だと思っている。

つまり国は国債の保有者等を踏みつけて、借金の実質的な切り下げを図ろうとしている訳だから、資産を持つ側もインフレヘッジを考える必要がでてきた、という説明には説得力があると私は感じている。

破壊的なクラッシュが起きるかどうか?という点について私はやや楽観的である。その理由は次のとおりだ。日本国債のリスクが高まると本来円安が起きるはずである。円安は日本企業の輸出競争力を高めるとともに、エネルギー等輸入物価の上昇を通じてインフレを引き起こす可能性が高い。これらのことが国債償還リスクを緩和する方向に作用する、という見立てなのだ。

ただし経済は生き物。大きな筋書通りに走るという保証はない。

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おじさん達、ローマ史談義で酒飲むのも良いね

2014年06月26日 | うんちく・小ネタ

昨日(6月25日)は某学会の研究部会の後、数名で飲みに行った。最初は某国立大学の女性教授も入って中々良い感じ。教授が帰った後、3人のおじさんで飲み会を続けていたところ、ギリシア・ローマ史の話になった。飲み仲間の一人が上智大学でギリシア史を専攻したことが話題になったことが話の始まりだった。その人Gさんはギリシア史を勉強したというと欧米では一目置かれますよ、と少し自慢げに言った。

「アメリカの政治体制というのは独立戦争後に、すごく頭の良いアメリカの政治家がどこの国の政治体制に範を求めるべるきか検討して、共和制ローマの政治システムを導入することにしたのです」とGさんは言う。これは米国では教養ある人の間では広く知られている事実であり、ギリシア・ローマ史に通じているGさんが彼の地で一目置かれるというのは納得のいく話だった。

三権分立の起源がローマまでたどることができることや上院Senatorの起源がローマの元老院にあることは周知のとおり。

また米国の大統領とローマの執政官(コンスル)の対比を考えるのも面白い。民主政治の一つの欠点は「船頭多くして船山に登る」ところにあるが、この欠点を補っているのが執政官のシステムだ。コンスルは任期1年で当初は再任が認められなかったが、やがて再任が許容されるようになり、次第に独裁官に近づいていく。そして権力の座は長くいると腐敗するということを熟知していたローマの知恵は大統領を二期で終わらせるという形で生きている。

おじさん達で通常酒を飲むとゴルフの話になったり、先輩後輩の思い出話や職場の愚痴(今では昔のことだが)になったりすることが多い。だがGさんのように一緒に仕事をしたことのない人と少し高尚な話をしながら酒を飲む、というのは大変良いことである。

ローマに話を戻すと、無担保融資と担保付融資とどちらが安全か?という問題をふと思い出した。古代ローマでは無担保融資は貴族(または上流市民階級)のみが可能な取引であり、担保付融資は奴隷でも可能な取引であった。なぜなら担保付融資というのは質屋の取引であり、借金返済ができなくなれば、債務者は質物を失う。でも債権は担保で保全されているから、奴隷でも担保になるものを持っていればできた取引なのだ。一方無担保融資を受ける貴族の担保は実は「信用」である。一度信用を失うと彼は再び取引することはできない。だから貸し手は借入人の「信用」に対して金を貸すのである。

これがcovenantsを元にした優良企業向け企業与信の根幹をなしているのだ。

このような歴史的背景を考察しなかった一部の邦銀は、企業向け無担保融資より、担保価値を重視した米国の不動産融資で不良債権の山を築いたという苦い経験がある。

これは歴史に学ばなかったツケと言わざるを得ないだろう。

国際化やグローバリゼーションという言葉が叫ばれる。だが本当の国際化とは何か?真のグローバリゼーションとは何か?ということはあまり真剣に問われていないのではないだろうか?

たまには酒を酌み交わしながらの、ギリシア・ローマ史談義は意義があると感じた次第である。

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動き始めた「相続法制」の変革

2014年06月26日 | 社会・経済

昨日(6月25日)日本相続学会の研究部会に出席した。その部会で法務省の「相続法制検討ワーキングチーム」の検討状況に関する説明があった。

ポイントは次のとおりだ。

  • 遺産分割により、生存配偶者がそれまで居住していた建物から退去せざるを得ない事態を防ぐため、生存配偶者の居住権を保護するための方策が必要ではないか?
  • 介護負担が増える中で、家族による介護(相続権のない嫁による介護を含めて)の貢献分(寄与分)を反映させる方法を検討する必要があるのではないか?
  • 遺言により被相続人が特定の相続人に家業を継承させようと思っても、遺留分の存在によりその意思が実現しない場合があるので、何らかの対策が必要ではないか?

前2者はいわば「法の支配」を強化して、弱者の保護を図ろうという流れであり、最後の項目は「私的自治」を拡大して、被相続人(遺言者)の意思を尊重しようとする流れだろうと私は感じた。

相続法制の変革を巡る議論は、現代の「法の支配」と「私的自治」の流れを考える上でも中々興味深い問題だ。「法の支配」という点では「遺言がない場合は民法は『このように遺産を分けるのが一番良い』という法定相続分を示している。また遺言書があっても相続人の「遺留分」を侵害することはできないと定めている。これは「近代国家・法の強制力・争いになった場合の裁判制度」という枠組みである。

一方「遺言書の力」を高めようとする流れは「私的自治を拡大し、争いが起きた場合はADR(裁判外紛争解決)を重視しよう」と流れと軌を一にすると考えてよいだろう。大雑把にいうと前者がフランス的で後者はアメリカ的ということになるのだろう。

法律は国民の意識や実際の生活慣習、経済的環境などの変化を後追い的に反映して変わっていく。たとえば昨年12月には「非嫡出子の相続分が嫡出子の相続分と同等になるように改正された」ことも一例だ。

要介護度者や認知症患者の数が増えることも法制度の設計者は考慮する必要があるだろう。また不動産市場の変化も論点になるかもしれない。相続に関する意識調査アンケート結果を見ると「親は不動産を一番残したい財産」にあげるが、「子は必ずしも不動産を残してほしい財産とは考えない」などのミスマッチが見られる。

親の世代には高度成長期で不動産価格が上昇し続けたとか住宅ローンを借りるのが大変だったなどという記憶が刷り込まれている。一方デフレと経験し、住宅ローンも借りやすくなった子の世代には不動産に対する特別な思い入れはない。これがミスマッチの大きな原因だ。

はたして短期間に相続法制が大きく変わるのかどうかは分らない。しかし来年の相続税制の改正の次にくる相続問題の一大トピックであることは間違いない。また「私的自治の拡大」ということに着目すれば、日本でももっと積極的に遺言書を活用しようという動きが高まる可能性もある。

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成長戦略、株にプラスだったが問題解決には未達

2014年06月25日 | 社会・経済

昨日(6月24日)安倍首相が正式に発表した新経済戦略。法人税引き下げや規制緩和が柱になっているが、その評価についてWSJは「株式投資家には歓迎すべき幾つかの理由があるが、日本が抱える大きな問題を解決するには不十分」という評価を下している。

株式投資家が歓迎する理由は、法人税の減税とGPIFの株式投資割合を増やすことなどだ。政府は約36%の法人税率を30%以下にするという方針を打ち出している。仮に税率が29%になるとTOPIX銘柄の企業収益は6-7%増加すると野村證券は予想している。

もっとも新成長戦略では目標は設定されているが、いかにしてそれを達成するからは明示されていない。たとえば法人税減税分を代替する財源をどこに求めるか?という具体策が示されていない。

労働市場の改革では年収1千万円以上の専門職に対してホワイト・カラーエグゼンプションを導入することを認める方針だ。このホワイトカラー・エグゼンプションについては「労働時間を自由裁量にする変わりに残業代が支払われない」という説明が行われている。ポイントは「自由裁量」に焦点をあてるか「残業代が支払われない」に焦点をあてるかである。私が昔アメリカで仕事をしていた時、新卒クラスの現地社員を何人か採用したことがあったが、将来融資業務等でオフィサーになることを目指している連中の希望は「残業代はいらないからホワイトカラー・エグゼンプションで採用して欲しい」というものだった。これは残業代を貰うと「クラーク」(事務職)扱いになるからである。人生のスタート点でクラークのスタンプを押されるのは嫌だ。自分は「自由裁量」で自分の人生を切り開くホワイトカラー・エグゼンプションを選択したいというものだった。このような経験もあり私は専門職は年収に関わらずホワイト・カラーエグゼンプションで良いと考えているので、政府の成長戦略には物足りまさを感じている。

もっとも市場が注目していたのは、解雇ルールの緩和だったがこちらはほとんど進展がなかった。

WSJはGiven Japan's suddely tight labor market, this would seem the time to experiment with such moves.

「日本の突然の労働市場の逼迫を考えると、これは新しい試み(解雇ルールの緩和等)を試すチャンスだったと思われる」と述べている。

さて株式市場が新成長戦略を受けて今後上値を目指すか?という点について私は否定的な見方を持っている。少なくとも短期的にはだ。

というのは法人税の減税やGPIFの資産配分変更については株式市場は先月末からのラリーで先取りしているからだ。だからむしろそれ以上の良い材料がないと少し売られるだろう。

そしてもう少し長い目では、投資家たちは新成長戦略の工程表とそれを遂行する安倍内閣の意思の強さを確認しにいくだろうと思っている。

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