伝記物を読んでいて、リーダーシップについて学ぶことがある。
たまたま永井路子の「岩倉具視」の中で見つけた言葉もその一つだ。
「一台の馬車につけられた数頭の馬が、思い思いの方向に車を引張ろうとするように、一人一人が主役のつもりでひしめきあい傷つけあううちに、いつの間にか流れがかえらえてゆく」
正確にいうことこの文章は永井が初めて出した「炎環」のあとがきにある文章ということだ。
永井は岩倉具視の人生を見つめながら、明治維新は少数の英雄が作り出したものではなく、思い思いの方向に走ろうとした群像によって作られたのだろうと述べる。
この一文から何を学ぶか?
一つの答は「活力ある企業を作るには馬~役職員ー~を自由に走らせる」ということだ。思い思いの方向に走ろうとするから馬は力を出す。思い思いの方向は合成されるとあるベクトルを生む。もっとも思い思いの方向が真逆に向いていると打ち消されてベクトルは生まれない。組織のリーダーは自分が描いている方向と正反対の方向に走ろうとする馬は馬車から外さざるを得ないが、多少の方向のズレであればむしろ力一杯走らせた方が良いのだろう。
活力のある社会は、方向感にズレがあっても元気な馬をどれだけ馬車につけることができるかどうかで決まるのだ。
このことはアマゾンやグーグルなどアメリカのIT企業が大きな成果を上げていることを想起すると納得がいく。
もし相対的に今の日本の社会が活力に乏しいとすれば、それは方向感は多少ずれているかもしれないけれど力のある馬が早々と馬車から外されていることにあるのではないだろうか?