日経電子版マネー研究所にコラムニストの大江英樹氏が「お金より深刻な老後問題 暴走老人は孤独が育てる?」という短文を書いていた。
年を取ると周囲とうまくコミュニケーションが取れず、やけになり暴走し、時として傷害・暴行事件を起こすという趣旨だ。大江氏は「毎日同じパターンの生活を繰り返すと脳が劣化する」「脳の中の前頭葉が委縮すると感情抑制機能が低下し、性格が先鋭化する」と述べ、それを防ぐには数ではなく質の高い友人や家族との繋がりを高め老後の孤立を防ぐのが有効だと述べている。
そのとおりだと思う。
敷衍してその具体策を考えてみよう。
一番手軽な方法は何か仕事を続けることだと私は思う。可能であれば70歳くらいまで仕事があれば良いと思う。多くの場合仕事は昔の職場の外にあるだろうから、新しい仕事の仲間ができる訳だ。その仕事の仲間は心を許せるような友人でない場合が多いだろう。だがそれでよいのだ。
そんなに親しくならなくてもそこには「軽い付き合い」があるはずだ。軽い付き合いというのは、相手の中にズカズカ入っていかないという遠慮を伴う。長いサラリーマン生活の中で我々はこの遠慮という感覚が少し麻痺しているかもしれない。遠慮の麻痺が進行するとパワハラやセクハラにつながる可能性が高くなる。
また長年の職場の仲間というものはあるフレームワークを共有している。フレームワークというのは、ものの考え方や交際方法である。フレームワークは便利なもので、考えずに行動できるから脳が疲れない。
だが第2第3の職場にしろボランティア活動にしろ、新しい仲間との付き合いではこのフレームワークは役に立たない。むしろマイナスに作用することもあるだろう。そして大江氏流にいえばフレームワークの中に留まっていると前頭葉が委縮することになる。
だから私はシニアになったら、疲れるけれど一度フレームワークを飛び出そう!と提案したい。
だが実際周りを見ているとフレームワークの中に留まろうとしている人が多い。たとえばお酒を飲む時や遊びに行く時は昔の仲間に限るというタイプだ。
電子メールの書き出しや署名に「何らかの所属団体」の名前を書きたがる人も時々目にする。これは現役時代〇〇会社××部の△△です、といったお作法に慣れ過ぎているからだろう。こういう人は会社を辞めても、学生時代のクラブOB会の誰々といったメールを書くケースが多い。所属団体はその人の属性を端的に表す点で便利なのだが、我々は実は色々な属性を持っている。複数の名刺を持っている(実際に作るかどうかは別として)と考えても良いだろう。
ある特定の所属団体の名前を書くということは、この多様な属性を隠すことになると私は考えているし、一つの属性が多様な繋がりを生む可能性を減らしている場合もあると考えている。
「脳を委縮させない」「暴走化しない」ために私の方法論は大江氏とは少し異なる。つまり薄い付き合いでも付き合いは多い方が良い。薄い付き合いをうまく維持するのは遠慮感覚であり、遠慮感覚は従来のフレームワークを捨てることから始まる。フレームワークを捨てるためには一度特定のグループへの帰属意識を捨てて「素の自分」に戻ろうというものだ。
その中から深い付き合いが生まれてくるならそれを大切にすれば良いと思う。