今月下旬のかぐらスキーには珍しく同じ大学山岳部の仲間3人で出かけました。NさんとYさんです。Yさんはまもなく55歳になり、役職定年を迎え子会社に転籍するとのことでした。「責任ある立場を離れるのでもっと遊ぶことができます」とYさんは言います。本当のところはもう少し責任ある仕事を続けたかったのかもしれませんが、会社員の宿命ですからそのように割り切るのが良いと思います。
「人生には組織の壁よりももっと登るべきものがあり、世渡りよりももっと渡るべき素晴らしいものがある」と私は考えています。
10年後輩のYさんと私は別の銀行に入ったのですが、二つの銀行が合併した結果今では2人は同じ銀行のOBです。
さてその銀行で少し前に「トップクラスの役員が部下の部長を殴り、それが問題となり役員を辞任し子会社に転籍する」ということがあったそうです。
組織の壁を登り、登った地位を守るというプロセスの中で、人は往々にして謙虚さを忘れ、踏み越えてはいけないOBラインを越えてしまうという一例かもしれません。
年金基金など人様のお金を運用する信託銀行では、投資対象の会社のコンプライアンス(法令遵守)体制やガバナンス(企業統治)体制をチェックし、それらに問題のある先を敬遠するようになっています。その銀行においてコンプライアンスやガバナンス以前の問題が起きたことは残念なことです。
この出来事の背景を知りませんし詮索する気もありませんが、私は会社員は「組織の壁よりももっと登るべきものが人生にはある」ということを考えていればこのようなことは起きなかったのではないか?と思っています。
「登るべきもの」は人それぞれです。私の場合は単純明快に登るべきものは「山」なのですが、高尚な人は「人の道」とか「芸術の高み」と考えるかもしれません。
ついでに言えば「人の世よりも渡るべきものが人生にはある」とも私は考えています。これまた私の場合は単純明快に渡るべきものは「黒部源流などの沢や雪の尾瀬ヶ原のような大雪原」なのですが、人によっては「古典の海」などを上げるかもしれませんね。
「無刀取り」を編み出し、剣聖と言われた柳生石舟斎に「兵法の舵を取ても世の海を渡りかねたる石の船かな」という歌があります。剣聖と言われた石舟斎も戦国末期は群雄に圧迫され、柳生の里に逼塞せざるを得ませんでした。柳生家が将軍家指南役として活躍するのは、石舟斎の次男・但馬守宗矩の時代からです。宗矩の剣の腕前は遠く石舟斎には及びませんでしたが、世渡りは上手だったのですね。
退職後に長いシニアライフが待っているこれからの時代。
組織の壁を登ることに汲々とし、世渡りに神経をすり減らして会社生活を送っていると、本当に登るべきものや渡るべきものを見失う可能性があります。無論アウトドアライフを楽しんできたYさんにそれの懸念はありませんが。