金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

安倍は小泉の遺産に二度苦しむ

2007年07月31日 | 政治

世の中のことはおよそ「禍福はあざなえる縄の如し」と考えるべきだろう。例えば少子化政策と経済発展もその例である。日本は高度経済成長時に少子化政策を取った。このため教育費等を削減し、基幹産業育成に税金を投入することができたので、高度成長を達成することができた。しかし今この少子化が将来の経済成長や社会福祉に暗い影を投げている。ひと時の成功は将来の負担になっていることは多い。

小泉前首相の5年間人々は「痛みに耐えて」改革を受け入れた。しかしこのことは人々が小泉前首相の政策を支持していたことを意味しないという分析がある。コロンビア大学の日本専門家ゲーリー・カーティス教授は「人々は小泉の政策が好きだから彼を支持したのではない。小泉が好きだから小泉をサポートしたのである。」と言う。私も基本的にこの分析に賛成だ。

小泉というカリスマがいなくなった時、小泉マジックから解き放たれた人々に残るものは何か?それは彼の政策への不満である。今回の参院選挙で自民党は四国で一議席も取れなかったが、高知県の有効求人倍率の中にその答がある。全国の有効求人倍率は求職者100人に対して106の仕事があるが、高知県では僅かに48だ。

つまり安倍首相は小泉改革の反動をもろに受けた訳である。もっともこれを持って安倍首相に参院選敗北の責任なしなどとは思わない。安倍首相の大きな問題は「国民のムードを読めない」ということと「対立する勢力に中途半端な対応をとった」ことだろう。

「国民のムードを読めない」ということについていうと、安倍首相は何故辞任しないのか?という疑問が起きる。又何故自民党の有力者が辞任を求めないのか?という疑問も起こる。

後者についていうと「自民党に首相に対立するような有力者がいなくなった」という見方ができる。これも小泉改革の一つの結果なのである。対抗勢力をたたき出してしまったので、時の首相にものを言う大物がいなくなったということなのだろう。

安倍首相が何故辞任しないのか?ということについて私はマスコミ情報以上の判断材料を持たないが、推測するに「後継者がいないのですぐに辞められない」という判断が一部働いているかもしれない。これが正しいとすると安倍首相は小泉の遺産にここでも苦しんでいることになる。(もっとも単に権力にしがみついているだけかもしれないが)

小泉改革と今回の自民党の敗北は傾斜した経済政策は将来反動を生むということの見本だろう。しかし傾斜もしない替わりに総ての利害関係者に媚びた経済政策は国の緩慢なる衰退につながるということも事実なのだ。

このことを再度国民に問うためにも衆院解散と総選挙はいずれ避けられないだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

泣きっ面に蜂の安倍政権

2007年07月30日 | 政治

私のブログへのアクセスが増えているので、中身を見ると「自民党大敗」という項目からの検索が多かった。自民党の大敗はかなり前から予想し、ブログに書いていたがこれは自民党に反省を促し、何とか頽勢を盛り返して欲しいという思いからである。私自身は長年の自民党支持者だし今回も自民党に投票した。自民党だけが市場型資本主義への改革を推進しうると考えているからだ。

ただし赤木農林大臣が北京から帰国した時、成田空港で飛行機から直接呼び寄せた車で逃げた時は「こりゃいかん」と思わざるを得なかった。車を飛行機まで呼び寄せるのは職権の濫用である。このようなことをしていては国民の信頼を失うに決まっている。

ファイナンシャルタイムズ(FT)は自民党の敗北理由を3つ挙げていた。第一がダーティな資金問題を含む政治スキャンダルの連続。第二が安倍首相のカリスマ性の欠如。カリスマ性がないのに、「憲法改正」「愛国主義教育」「戦争犯罪の否定」といったテーマを推し進めた。しかし選挙民はこれらのことより、経済問題に関心があった。最後が年金問題に対する対応のまずさである。

私が一つ付け加えるなら「勢い」である。孫子によると戦いの勝ち負けを決するものは「勢い」である。孫子は「激水の疾(はや)くして石を漂わすものは勢いなり」(兵勢編)という。激しい水の流れは石をも押し流すということだ。今回の参院選で言えば民主党は上手く勢いをとらえたため、地すべり的な勝利を収めることができた。

ところで「泣きっ面に蜂」といったのは今週米国議会で「第二次大戦における日本の慰安婦問題で謝罪を求める」決議が行われる見通しだからだ。この決議に法的拘束力があるとは思わないが、日本の戦争犯罪に対する国際世論の高まりは避けることは出来ないだろう。安倍首相は約20万人と言われる韓国人・中国人の慰安婦が誘拐され軍隊の売春宿で働かされたという証拠はないと主張しているが情勢は厳しい。

私は慰安婦問題の事実関係を判断する十分な資料を持ち合わせていないので事実の判定は留保するが、「日本の戦争犯罪を否定する」姿勢に欧米・アジア諸国がこぞって拒否反応を示したことは十分留意せねばなるまい。更に言うと欧米・アジア諸国とも日本の「愛国主義教育」には相当な警戒感を持っているということも留意せねばならない。国際社会とは「思うこと」がそのまま通じる程簡単な世界ではない。

安倍首相にとって暫くはなっき面に蜂になりそうだ。ついていない時はトコトンつかないものである。つかない時は降りて次に機会に備える方が良いのだが、その機微を当事者が理解することは常に難しい。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏の夕暮れ太鼓の響き

2007年07月29日 | まち歩き

今日(7月29日日曜日)午後4時から田無の駅前で田無フェスティバルがあった。よさこいソーランなどを地元や近在近郷の人が集まって太鼓と踊りで披露してくれるお祭りだ。午後2時頃から激しく降出した雨が止み、涼しい風が吹いていたのでワイフとフェスティバルを見に行った。

Taiko115

写真は沖縄の太鼓だ。太鼓のリズムが夏の夕暮れの町に心地よく響く。シャッター速度を1/15秒に落としてバチの動きを出してみた。

Shishimai1

獅子舞が出てくる。余りの迫力に子供が少し怖そうな顔をしている。

Shishimai2

高円寺しのぶ連という団体の太鼓と阿波踊りが良い。私と余り年の変わらなさそうなおじさんが一心不乱に太鼓をたたいている姿に感動を覚えた。

Shinobu125

これもバチさばきのスピード感をだすためシャッター速度を1/25秒にして撮影する。オリンパスE510には手ぶれ防止がついているので、手持ちで低速シャッターを使ってもぶれないので気持ちが良い。

よさこいソーランは田無の人が踊っていた。青い衣装が海の波を思わせる。

Soran160

P8280518

家に帰って夕食を食べていると又激しい雨が降り雷鳴が轟いた。田無フェスティバルの太鼓も腹に響くが、雷鳴は百倍も迫力があった。梅雨明け宣言も近いだろう。

今開票が進んでいる参院選挙は自民党の大敗だ。ここでも太鼓が響いている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

共産主義は日本企業に学べ

2007年07月29日 | 社会・経済

中国の経営者の間で「共産主義について学びたければ、日本企業で働け」というジョークがある。これは昔聞いたことがある話だが、最近のエコノミスト誌にも出ていた。

エコノミスト誌の話は、日本の中国への投資が減速しているという記事の中に出てくるもので、話のポイントは以下のとおりだ。

  • 来年春上海で完成する101階建のワールド・ファイナンシャル・センターは中国の経済力と日本との連携の重要性のシンボルである。
  • 現在日本は香港、バージン諸島(タックス・ヘイブン)について三番目に中国に対する直接投資が多い国だ。しかし中国の工業基地としての魅力や巨大な新しい市場としての魅力は日本の実業界で等しく共有されている訳ではない。
  • 幾つかの企業は中国から他の国にオペレーションを動かそうとしているし、またいくつかの企業は日本にもって帰ろうとしている。日本の中国に対する投資額は2005年の65億ドルから06年には45億ドルと30%減少している。
  • 中国に工場を持つ日本の電子工業メーカーは大部分ローエンドの仕事を中国で行っている。これは知的財産権の盗用を避けるともに、開発現場と製造現場を近くに置くことで技術革新を促進するという狙いがある。
  • 日本企業の中にはオペレーションを中国からベトナムやインドに移そうとしている企業も出てきている。これは中国の製造コストが相対的に高くなっていることが大きいが、日本と中国とビジネス慣行が違うことにもよる。

ここでエコノミスト誌が最初に掲げた中国のジョークに話がつながる。中国人というのはアメリカ人に近い能力主義的な考え方を持っていて、日本の企業社会の年功序列主義とは相容れないところが多い。また日本人は現地人に権限委譲することが下手だから、日本企業の中国現地法人の中では中国人が昇進することは難しい。これらのことと歴史的な反日感情が相まって、日本企業の中国進出の重しになっている。

中国人は思考方法の基盤部分で米国人に近いところがある。例えば発展を続ける沿岸部と取り残された奥地をつなぐ重要な都市が重慶だが、中国人は重慶を西部開拓のハブになったシカゴに例えて考えたりする。西部開拓時代にシカゴが鉄道、水運の要になったように、重慶を巨大都市化して内陸部開発のハブにするという訳だ。

<cf_floatingcontent></cf_floatingcontent>

米国人並みにアグレッシブで、もう少し倫理的規律が緩い人達だけにお付き合いしていくのは中々大変である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちょい食べ文化・東京

2007年07月28日 | うんちく・小ネタ

金曜日の夜少し飲んでから帰宅する時、山手線で品川まで乗り過ごしてしまった。神田から山手線に乗り池袋で同僚と別れ高田馬場で降りる予定だったが、池袋-高田馬場の僅か二駅の間に寝入ってしまった次第だ。

品川駅で小腹が空いたので、冷たい蕎麦を食べた。これがシコシコして中々美味しかった。品川駅の新幹線口寄りにはecute品川というワンランク上のショッピング・レストラン街があり、ここは実家に帰る時のみやげ物選びなどにちょくちょく利用している。ちょっと気に入っている空間だ。それ故か意図せざる時まで品川駅に引き寄せられる傾向があり、この日もつい蕎麦を食うはめになった次第だ。

品川駅構内には蕎麦の他すし屋などもあり大変流行っている。大変成功しているエキナカの活用例だろう。

このちょいと食べるというのが、日本の文化だと私は考えている。ことの起こりは江戸だ。金回りの良かった江戸の職人さん達は体を資本と考えて、日頃栄養の良いものを食べていたと聞く。当時は病気になるとたいした治療法もないので、日頃から健康を維持しておくことが肝要だったのだ。そこで小腹が空くと寿司や蕎麦などを食べていたのである。

海外でもこれ程駅周辺でちょい食べ文化が発達しているところは多くないだろう。ニューヨークのグランドセントラルには有名なオイスターバーがあるがレパートリーではも品川駅に及ぶまい。そのオイスターバーも駅ビルのアトレ4階に入っている(まだ行ったことはないが)ので、品川駅の充実振りは大変なものだ。

私はこのちょい食べ文化は日本が世界に誇ることができるものの一つだと考えているが、問題がない訳ではない。江戸の職人さんは栄養を取って健康維持に努めたが、我々は「上がりの蕎麦やラーメン」で余計なカロリーを蓄積することが問題になっている。偉大な文化を継承することは中々大変なことである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする