世の中のことはおよそ「禍福はあざなえる縄の如し」と考えるべきだろう。例えば少子化政策と経済発展もその例である。日本は高度経済成長時に少子化政策を取った。このため教育費等を削減し、基幹産業育成に税金を投入することができたので、高度成長を達成することができた。しかし今この少子化が将来の経済成長や社会福祉に暗い影を投げている。ひと時の成功は将来の負担になっていることは多い。
小泉前首相の5年間人々は「痛みに耐えて」改革を受け入れた。しかしこのことは人々が小泉前首相の政策を支持していたことを意味しないという分析がある。コロンビア大学の日本専門家ゲーリー・カーティス教授は「人々は小泉の政策が好きだから彼を支持したのではない。小泉が好きだから小泉をサポートしたのである。」と言う。私も基本的にこの分析に賛成だ。
小泉というカリスマがいなくなった時、小泉マジックから解き放たれた人々に残るものは何か?それは彼の政策への不満である。今回の参院選挙で自民党は四国で一議席も取れなかったが、高知県の有効求人倍率の中にその答がある。全国の有効求人倍率は求職者100人に対して106の仕事があるが、高知県では僅かに48だ。
つまり安倍首相は小泉改革の反動をもろに受けた訳である。もっともこれを持って安倍首相に参院選敗北の責任なしなどとは思わない。安倍首相の大きな問題は「国民のムードを読めない」ということと「対立する勢力に中途半端な対応をとった」ことだろう。
「国民のムードを読めない」ということについていうと、安倍首相は何故辞任しないのか?という疑問が起きる。又何故自民党の有力者が辞任を求めないのか?という疑問も起こる。
後者についていうと「自民党に首相に対立するような有力者がいなくなった」という見方ができる。これも小泉改革の一つの結果なのである。対抗勢力をたたき出してしまったので、時の首相にものを言う大物がいなくなったということなのだろう。
安倍首相が何故辞任しないのか?ということについて私はマスコミ情報以上の判断材料を持たないが、推測するに「後継者がいないのですぐに辞められない」という判断が一部働いているかもしれない。これが正しいとすると安倍首相は小泉の遺産にここでも苦しんでいることになる。(もっとも単に権力にしがみついているだけかもしれないが)
小泉改革と今回の自民党の敗北は傾斜した経済政策は将来反動を生むということの見本だろう。しかし傾斜もしない替わりに総ての利害関係者に媚びた経済政策は国の緩慢なる衰退につながるということも事実なのだ。
このことを再度国民に問うためにも衆院解散と総選挙はいずれ避けられないだろう。