欧米の銀行が震源地となり、株式市場や為替市場がボラタイルになっている。昔日本では銀行が安全の代名詞に使われた時代があった。私は競馬をやらないが、勝ち馬が決まっているような安全レースを昔「銀行レースと 呼んでいたなぁ、まだ使われているのかしらん?」と思い、グーグルで検索してみた。検索エンジンにかかった件数はわずか7百件である。ほぼ死語同然と考えてよいだろう。
FTは「銀行はどうしてこんなに混乱を引き起こすのか?」「どうしてこの業界は利益が上がるのか?」 「どうして従業員はそんなに高い給料を支払われるのか?」という疑問を掲げ、その答は同じだと言う。そしてその答は銀行がハイリスクを取るということだ。銀行はリスクを取る一方「公益事業的機能」を提供しているので、公的セクターが補助金をだす。銀行はこれをあてにしてスペキュレーションを行うというのだ。これでは銀行レースという言葉が死語になっても何の不思議はない。
FTは銀行セクターを特徴付ける属性は「収益性」だという。収益性を測定する最も重要な指標はROE(株主資本収益率)だ。97年から2006年の間の英国の銀行のROEは20%だった。アイルランド、スペイン、ノルディック諸国の2006年のROE
も20%だ。米銀のROEは12%を少し超えたあたりで、ドイツ、フランス、イタリアの銀行もこれに近いレベルだ。もっともこれらの話は邦銀以外の話である。
私が邦銀の直近のROEを見たところ、三菱UFJが7.66%、三井住友銀行が10.49%、中央三井が3.35%と押しなべて低い。そして従業員の給料もそれ程高くはなくなっている。わき道にそれるが、DODA(デューダ)のHPから引用すると、30-34歳クラスで一番給料の高い仕事は「投資銀行」で887万円、二番目が「運用会社」で880万円、邦銀(メガ、地銀)の法人営業担当は6番目で639万円だ。この資料を見て思うことは、単に邦銀という区分ではなく、法人営業という業務部門で給料が出ていることだ。法人部門は投資銀行等へ転職するステップボードと考えられているのかもしれない。
話を戻してどうすればROEをあげることができるかというと、分子である利益を増やすか分母である自己資本を減らせば良い。自己資本を減らすということは借入金や社債を増やすということで、これをレバレッジを効かせるという。銀行が高いROEをあげることができるのは自己資本比率が低いからである。
ではどうしてその様な低い自己資本比率で不測の事態を乗り越えていけるかというと明示的・暗示的な幾つか公的保証があるからだ。それは中央銀行からの資金供与や預金保険の形を取っている。またこれらの安全装置があるので、銀行はより多くのリスクを取っている・・・とも言える。もちろん政府も馬鹿ではなく、銀行に自己資本規制を設けたり、様々なリスク管理を求めているのだが。
銀行と従業員の関係を見ると~あくまで外国の銀行の話だが~短期間の業績に対して高い報酬が支払われる仕組みになっている。これがSIVのようなストラクチャーを生み出すインセンティブになり、銀行がリスクの高い取引を行う原因の一つになっている。
FTはこの仕組みを変えないと問題は繰り返されると言う。仕組みを変えるには「銀行を公共財としてリターンを規制する。あるいは自己資本比率の下限を引き上げる」といった規制強化の方向か「銀行を利益追求産業とみなして、市場経済のルールにゆだねる」という方向が考えられるが、後者は受け入れることができないとすると前者になる。
今欧米の銀行は火達磨になっている状態なので、直ぐに自己資本比率の引き上げの動きにはでないが、事態が落ち着いてくるとこの動きがせわしなくなるだろう。そうすると銀行はそれ程儲かる商売ではなくなり、従業員のペイが下がる。ペイが下がるとアグレッシブな連中が他の業界に移り、銀行には保守的で退屈な従業員が増えることになる。その頃には再び「銀行レース」という言葉が復活するということがあるのだろうか?