金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

国防が喫緊の課題の時、専門家の任用が必要ではないだろうか?

2017年07月30日 | ニュース

南スーダンでのPKO活動に関する日報問題で稲田防衛相が辞任した。

稲田防衛相については、都議選強の応援演説等でも不適切な発言があり、資質の面からも防衛相は不適任と判断されるので、辞任は当然だと私は思っている。日本で防衛相が辞任し「空白」が生じた時、たまたま北朝鮮がICBMの発射実験を行った。

北朝鮮は朝鮮戦争の休戦記念日にICBM実験を行うと観測されていたから、稲田防衛相の辞任は「たまたま」だったに過ぎない。

しかし北朝鮮が全米の主要都市をICBMの射程圏に置く実験に成功したという衝撃的なニュース(ただし核弾頭を実装するにはもう少し時間がかかるそうだ)を前にして、国防問題の素人を自衛隊のトップに据えることに不安を覚える人は多いのではないだろうか?

日本が頼りとする米国の国防長官はジェームス・マティスという退役海兵隊大将。アメリカ中央軍司令官などを歴任したいわば戦争のプロだ。日米韓が協力して、北朝鮮のICBM問題に対処するべき時に、国防問題に関する知見の乏しい人物をカウンターパーティの防衛相に任命することは好ましいことではないと私は考えている。

ここで考えないといけない問題は「文民統制」であろう。文民統制という考え方は本家のアメリカでも強い。米国の国家安全保障法は、国防省のトップは文民でなければならないとし、軍人は退役後7年間は国防長官になれないとしている。

しかしマティス氏の場合は、退役後7年経過していないので、大統領がこの条文に対するウエイバー(制限解除)を議会に求め、議会は多数決で承認した。上院においては、圧倒的多数がマティスの国防長官就任を承認したというから、政治的駆け引きの材料にはならなかったということだ。

日本では民主党政権時に元航空自衛官の森本敏氏が防衛大臣に任命されたことがある(他にも元陸上自衛官の中谷元氏が防衛大臣に任命されたことがある)。森本氏については「初めて防衛大臣に民間人が任用された」と話題になった。民間人という意味は政治家でないという意味だったが・・・

私は国防で(他のことでもそうだろうが)大切なことは、言葉遊びをせずに、事実を直截に国民に伝えるということではないか?と考えている。南スーダン問題の発足は「現地派遣PKO部隊が戦闘行為があったと報告したのに対し、稲田防衛相が戦闘というと憲法違反になる可能性があるので、武力衝突という言葉を使った」ことにあるのだろう。

国際紛争は生き物であり、PKO部隊派遣当時に紛争問題が解決していたとしても、再発の可能性はある。その事実を歪めてはいけないだろう。国民もまた紛争や戦争は相手のある話で、日本側の規定どおりに動くものではないことを理解する必要がある。臨機応変が必要なのだ。

現地の司令官は隊員の安全を守り、任務を遂行するためには、現実的に対応する必要がある。ただその対応がルールを超えた場合は、後で必要な説明行う義務を負っていると考えるべきなのだ。そしてそのルールが現実に合わない場合はルールを変えるべきなのだ。現実は事実であり変えることはできないのだから。

その説明責任をアカウンタビリティという。

医者・弁護士等専門家と呼ばれる職業に求められるのは、このアカウンタビリティだ。医者や弁護士が顧客のために行った行為の最終責任は顧客が負うことになる(手術の結果は医者ではなく患者が引き受けなければならない)。

同様に政治家が決めたことの最終責任は総て国民が負うのである。ゆえに政治家は意思決定について、国民に対する説明責任があるのだ。

専門家の責任の取り方は辞職すれば済むというものではない。

政治家はこのアカウンタビリティを放棄して、言葉の遊びに陥ってはいけない。

国家に安全保障上のリスクが高まっている現在必要なのは防衛相に国防の専門家を持ってくることだろう。

それは必ずしも、自衛官出身者の任用を意味するものではないが、紛争・軍事的衝突が発生した時、現地の司令官があげる報告をきちんと受け止め、国民に必要な説明を行う能力と責任感のある人物を任用して欲しいものであると思う。

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聖地へ旅を計画中・・・

2017年07月28日 | シニア道

今年の秋はネパールのゴサインクンドという聖地へトレッキングをしてみたいと考えている。

ゴサインクンドは首都カトマンズの北にあるランタン山系の入り口にある標高4千mを超える高地で108つの湖があると言い伝えられている。

108というのな仏教が教える煩悩の数である。そう、そこは仏教徒とヒンドゥ教徒がともに聖地としてあがめ、毎夏多くの人が巡礼に訪れる。エルサレムがキリスト教・ユダヤ教・イスラム教という一神教の聖地であるのと軌を一にするのだろう。

私は特に強い宗教心を持っている者ではないが、聖地には魅了される。

古来聖地に憧れる人が多かったので巡礼の旅というものが盛んだったのだろう。こんなことを言っては宗教心の強い人には叱られるかもしれないが、聖地巡礼には遊びの要素もある。代表的なものは日本のお伊勢参りや落語で有名な大山詣などだろう。

もっとも五体投地をしながら聖山カイラスの周りをまわる熱心な仏教徒の姿を見ると遊びの要素など微塵もないとも思うが。

人はなぜ聖地を憧れるのだろうか?

それはひと時なりとも「聖なる環境に身を置き至高体験をしたい」からだと私は考えている。至高体験というのは、欲望五段階説で有名なマズローが唱えた概念で「深い感動を伴う個人としての最高の体験」を指している。

我々俗っぽい人間は「悟り」などとは程遠いが、ひと時なりとも至高体験をすることでこの世界と人生のすばらしさを感じることは可能だ。

高い山の上で朝日が昇るのを見ると多くの人が素晴らしいと感動する。その感動が至高体験なのだ。「至高」に比較級があるのは変だが、やはりより聖なる場所から朝日を拝む方が「至高」度合いは高いのではないだろうか?と思い、4千mを超えるヒマラヤの聖地へトレッキングという現在の巡礼の旅にでようと私は考えている。

もっとも宗教心の乏しい私の巡礼は、一日山を歩いた後はビールを飲んで歓談のひと時を過ごす。ただ高度が上がるにつれお酒の量は減ってくる。高山病を警戒して体があまり受け付けなくなるようだ。恐らく4千mを超える宿泊地ではお酒は一滴ものまないかと思う。また高所では肉はなく野菜中心の食事になる。

高所への巡礼の旅は、自然に潔斎するようにできているのである。そしてそれが至高体験につながっていくのだろう。

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アマゾン、増収ながら大幅減益で株価急落。しかし慌てることはないだろう。

2017年07月28日 | 投資

昨日(7月27日)アマゾンは市場取引終了後に四半期決算を発表した。決算内容は日本の新聞でも見ることができるので、詳述しないが、前年同期比25%の増収ながら、配送センター等への投資負担が大きく、利益は前年同期比77%減収となった。

アナリストの事前予想では1株当たり利益は、1.42ドルだったが、決算では0.4ドルにとどまった。このため時間外取引でアマゾンの株価は3.2%下落している。

従来アマゾン株の投資家は、トップライン(売上高)の伸びに注目し、ボトムライン(利益)の伸びにはあまり注目しないと言われていたが、77%の減益には驚いた人がいるのだろう。あるいはアマゾンの株価は年初来4割近く上昇しているので、これを潮時に利益確定の売りが出たのかもしれない。

しかし私はアマゾンの株価については、強気の見方を変えていない。それはアマゾンには小売業の在り方を根底的に変える破壊力があるからだ。あるアナリストによると、今年末に米国でアマゾンのプライムサービスの会員は全家計の5割に達するという。

アマゾンの方針は目先の利益を度外視して、先行投資でマーケットシェアを奪うというものだ。シェアを奪われる既存の小売店にとってはたまったものではないが、その勢いは凄まじい。

長い目でみると私はアマゾン株の上昇余地は大きいと考えている。

話は変わるが、昨日厚労省が発表した簡易生命表によると、2016年生まれの女性の半数は90歳まで長生きし、男性も4人に1人は90歳まで長生きすることが示された。

寿命が延びることは喜ばしいが、国や家計は長生きリスクを考える必要がある。長生きする人が増えると年金の支払い負担が増えるからだ。

個人では長生きリスクに備えて、超長期的な資産をポートフォリオに組み込んでいくことが必要だ。超長期的な資産はグローバルな株式インデックス投資で形成するのが、一番賢明な方法だが、それだけでは面白みが乏しい。

ポートフォリオのトッピングとして、余裕があればアマゾンのような成長株も少し入れておくと面白みがでると思う。面白みというのは、将来大きく値上がりすれば、売却して、思い切って豪華な旅行に使うなどという意味だ。ただし株式投資だから目論見が外れることもある。

その時はケチケチ旅行で辛抱、という訳だ。人生にはそのような賭けがあってもよいだろう。アマゾンはその賭けに値する株だと私は思っている。

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お金のかかる趣味を2つもつのはNG?

2017年07月27日 | シニア道

時々日経新聞のマネー研究所からニュースレターが入る。今日はテーマは「趣味とバカンス」でお金のかかる趣味を2つ(以上)持つのは家計を圧迫する、家計が圧迫されると定年後も見据えると一生付き合える趣味ではなくなるから、お金のかかる趣味は一つにしてお金のかからない趣味と組み合わせて楽しみなさいというものだった。

記事によるとお金のかかる趣味は「スポーツ」「旅行」「車」「グルメ」「カメラ」などで、お金のかからない趣味は「読書」「カラオケ」「料理」「ガーデニング」などだ。

確かに美味しいものを食べるにしても、自分で作るのとレストランに行くのではお金のかかり方は違う。趣味やレジャーというものは、人生に楽しみを与えるものだから、趣味に溺れすぎて人生が狂うようだと本末転倒というのが、ライフプランナーの方達が示す一般的な処方箋であることは間違いない。

だが趣味の中には、お金のかかる趣味が必然的に2つ(以上)重なる場合がある。例えば「登山」や「旅行」と「カメラ」という組み合わせだ。総ての登山者や旅行客がお金のかかる一眼(レフ)カメラを持っている訳ではない。むしろ最近ではスマートフォンのカメラ機能が飛躍的に良くなっているので、もっぱらスマートフォンをカメラに使っている人も多い。

しかしながらデジタル一眼愛好者としては、やはり素晴らしい景色をあの手この手を加えて、より素晴らしく再現したいと思うものである。素晴らしい景色やシャッターチャンスは街中にもあるが、やはり山や海など遠方に出かけると素晴らしい景色に会う可能性は高くなる。

という具合にある種のお金のかかる趣味は必然的に他のお金のかかる趣味と結びつくというのが私の意見だ。

ではそのような趣味は止めるべきなのか?

それはその人の価値観と懐具合によって決まるというしかない。

趣味や遊びというと人生のサイドディッシュのようなものだ、という人がいるが、私は必ずしもそうは思わない。

「仕事は楽しく遊びは真剣に」という言葉を社是としている会社がある。その会社の社長さんは私のスキーの師匠なので、時々私はこの言葉を引用させて貰っているが、趣味も一流と言われるほど極めることで、何かが見えてくるのではないだろうか?

そして真剣に遊ぶ人が仕事に新しい価値をもたらす可能性は高いのではないだろうか?と私は考えている。

長い人生を破綻なく過ごすには、生活費のコントロールを含めてマネープランが重要であることは間違いない。しかしお金はより良い人生を送るための手段であり、目的ではない。

趣味に対して私の意見は「一流」と呼ばれる域に達するような趣味を持つべきだ、ということだ。「一流」というのは、何とかコンクールで受賞するといったことではないが、少なくとも仲間から頼りにされるレベルだろうと思う。そのような域に達するには、何事であれ、お金と時間はかかるものだ。

そういった意味ではマネー研究所が「お金のかかる趣味は1つにしなさい」というアドバイスには傾聴するべきところがある。

人生にとってお金と時間は限りがあるので、二兎を追う余裕はないからだ。

ただ実際に私の友人や知り合いを見ていると、結構マルチに多少お金のかかる趣味を楽しんでいる人がいることに気が付く。

これは仕事の世界で「何をやってもそつなくこなす」人がいるのとどこか共通するところがありそうだ。実は「そつなくこなす」人は個々の仕事に精通しているというよりは、如何にしてその仕事の肝を抑えるか?というある種のメタ学習法に通じているのである。

同じように複数の趣味を楽しむことができる人は「遊びを習得する」学習法に通じているのではないか?と私は考えている。

結局のところ「お金のかかる趣味を二つもつのはNG」というのはごく一般論で、キャパシティがあれば、お好きにどうぞということになる。ただ趣味はサイドディッシュに過ぎないから程々に、という視点は私には味気ないものに見えるのである。

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団塊世代が完全に離職するとインフレが始まる?

2017年07月27日 | 社会・経済

2日間続いた米連邦公開市場員会は、政策金利の据え置きを全員一致で決定した。労働市場では完全雇用に近い状態が続いているが、賃上げ圧力が弱くインフレが連銀目標の2%に到達しないためだ。

日銀は先週今年のインフレ見通しを前回予想の1.4%から1.1%に引き下げ、2%インフレ目標達成時期を1年伸ばして2019年頃とした。

日銀のインフレ目標達成時期の先送りは、オオカミ少年的になっているが、「物価が上昇しないのは団塊世代がまだ働いているからだ」という仮説が正しいとすれば、19年ごろにはインフレが始まる可能性はある。

この仮説はCNBCのOld age may be the secret to finally awakening long-dormant inflationと言う記事に出ていた。

政府の調査によると団塊の世代(1947年~49年生まれ)の男性は70歳の多くは70歳まで働きたいと希望している。

野村証券は団塊の世代が完全に仕事を離れ始めると失業率は0.9%低下すると予想している。5月の失業率は急に上昇して3.1%だったが、4月の失業率は2.8%だったので、2.8%をベースに考えると2019年頃には失業率は2%を切る可能性があるということになる。失業率が2%を切ると、野村證券は時間給が年間2.5%上昇する可能性があると推定している。

CNBCの記事は日銀の中曽副総裁が広島での講演で幾つかのサービスセクターで人件費を減らすために、営業時間を短縮するのみならず、商品・サービス価格の上昇がみられると述べたと報じている。

またIMFのエコノミストは「高齢者層や子どもなど非勤労層が総人口に占める割合が高いとインフレ傾向が強まり、勤労者の割合が高いとディスインフレ傾向が高い」と述べている。

この仮説が正しいかどうか?はにわかには判断がつかない。

その理由は「仮にインフレが始まるとすると、インフレの影響を強く受けるのは年金受給者であり、年金受給者層は少しでも所得を増やそうとしてアルバイト等を続けるので、賃上げ圧力がそがれる」「年季受給者層は生活防衛のため、財布の紐を一層締めるので、物価上昇圧力が緩和される」とも考えられるからだ。

従ってこの仮説が正しいかどうかはここ2,3年の団塊世代の完全退職とインフレ動向の関係を見ないと分からないだろう。

仮に仮説が正しかった場合、政府や日銀が長年目指してきた物価上昇目標が達成されることになるが、それはインフレに悩む大量の年金生活者を生むことになる。それはそれで大きな問題だと思うのだが・・・

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