詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

和合亮一『入道雲入道雲入道雲』(思潮社)

2006-11-06 23:22:03 | 詩集
 和合亮一入道雲入道雲入道雲』(思潮社)(2006年10月25日)。
 何度読み返しても美しいという感想しか思い浮かばない2行がある。23ページに出てくる。

色のない駅のおもてから色のないえきのうらてへと
紫色の窓を背負って走ってゆく子供の「お使い」である

 こういう行に出会ったとき、私は、その行にこそ詩人の「思想」があると思って何度も読み返すのだが、ほかの行とつながらない。和合のなかでは明確な文脈があるのだろうけれど、私には見当がつかない。
 なぜ、今、ここに、この行が登場したのかわからない。
 わからないままさらに繰り返して読んでいると、私の中に、何か「美しい」という感覚とは別の、私にはない何かが浮かび上がってきた。
 「駅のおもて」に対して「駅のうらて」と和合は書く。「駅のおもて」から「駅のうら」へと書かず、「おもて」から「うらて」へと「て」を付け加える。「て」は方向を示している。
 「方向」の意識が、和合の場合、とても強いのだ。
 存在を、ただそこにある存在として見るのではなく、常に動いているもの、ある「方向」をめざしているものとして見ているのかもしれない。
 その動き、運動に何かが付け加えられ、具体化するとき、それが美しく見えるのだろう。駅の表から駅のうらてへ単に子供が走るのではなく、「紫色の窓を背負って」走る。余分なもの(?)が付け加えられる。そのとき、その余分なものが方向を決定しているように感じられるのだ。過剰なものと方向が一体となって、今ここにあるものとは違った「宇宙」のようなものが見えてくる。
 「過剰」と「方向」、それが「宇宙」なのである。和合にとっての「世界」なのである、と私には思えてくる。
 作品の冒頭から、「過剰」と「方向」が描かれている。

 ハイウェイを濡らす僕の死後の雨
 ドゥカティ …… 僕の死後にはじめて雨の降る日
みずみずしいヘルメットに映る 脳死の景色 それは
僕の死後にきみが見る テレヴィではないだろうか

 「過剰」は「死後」である。「死後」は「僕」にとっては存在しないだろう。「過剰」というのはそういう意味である。「方向」は「きみ」である。「僕」からはみだしたもの、たとえば「僕の死後」が「きみ」の方向へあふれだしていく。
 もちろん、和合は死んでなどいないから、これは「仮定」あるいは「想像」の話だが、そういう架空の世界へとはみだしてゆくことばのすべては「過剰」なものだが、それが「きみ」へと向かうとき、そのことばはすべてラブソングになる。ラブレターになる。
 ここに書かれているのは、「過剰」な和合の思い、和合の肉体から離れ、飛び散っていくことばである。それは「きみ」へ「きみ」へと突き進んでゆく。「きみ」が受け止めるかどうかはラブソングやラブレターにとってどうでもいいことである。ラブソング、ラブレターにとって大切なことは、思いがことばになることによって、書いている本人を救い出すことだからである。ことばが、過剰なことばが出口(方向)がないまま溜まり続けたら、その重さのために和合自身が破滅するだろう。
 和合自身を破滅させることばを、「きみ」へ向けて放り出し続けるということは、いわば「自殺」しながら、常に「自殺」から回復することでもある。
 矛盾のなかで疾走しつづけることば。それは、和合の書いていることばで書き換えれば「ドゥカティ」に乗ってハイウェイを「きみ」へと向かって疾走する姿に似ている。二輪車だから、止まっていては倒れる。倒れないためにひた走る。そして、そのスピードのなかで「宇宙」と一体になる。「宇宙」という広大なもの、膨張し続けるものだけが、「過剰」をそのままのみこんでくれるのである。

 こうした作品は、立ち止まって読んでも楽しくはない。ただ読みとばし、気に入った部分だけを、疾走するバイクのハンドルを眺めながらみつめるように、瞬時瞬時に記憶するだけでいい。
 たとえば、次の3行を。(50ページ)

    昨晩ずっと
独楽を
   蔵王を回していた

 この3行は、まさに独楽そのもののように、同じ場所で高速で回転することによって立っている。ドゥカティ、そのバイクの動きと対立する。
 しかし、しかし、しかし。
 この3行は、なんとも強烈である。「方向」をもって過剰をあふれさせるものと、「方向」を拒否して、今、ここに存在し続けるために回転するものと、2種類の動きが和合のことばのなかにはあるのかもしれない。
 『入道雲入道雲入道雲』は「入道雲」と「入道雲入道雲」の2部構成でつくられた詩集だが、「入道雲」にはバイクが、「入道雲入道雲」には「蔵王(独楽)」が登場する。
 私にはバイクが登場する「入道雲」の方が疾走感があって読みやすい。蔵王(独楽)は重すぎる。
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パク・クァンヒョン監督「トンマッコルへようこそ」

2006-11-06 23:08:30 | 映画
監督 パク・クァンヒョン 主演 チョン・ジェヨン

 私がいちばん気に入ったシーンは村の先生がテキスト片手にケガをしている米兵と会話するシーン。
 「ハウ・アー・ユー?」
 「ケガをしているんだから、ハウ・アー・ユー?はないだろう」(というような意味合い)
 横の大人たちに。
 「おかしいなあ、ハウ・アー・ユー?と挨拶したら、アイム・ファイン、アンド・ユー?と相手が答え、そのあとアイム・ファイン、で会話が終わることになっているのに、変だなあ」
 大笑いしてしまった。
 私は福岡のシネリーブル博多で18時20分からの回を見たが、ほかの人は笑わない。それでも、気にせず、大声で笑ってしまった。

 私は「いい意味」で大笑いしたつもりだったが、しかし、映画を見ているうちに、この映画には大きな問題(瑕疵)があって、その問題というのは、実は、私が大笑いしたシーンに集約されていることに気がついた。(笑い続けて映画を見ながら、実は、私は最後の最後でとても不愉快になってしまった。不機嫌になってしまった。)
 何が問題かというと、トンマッコルの人々は「子供のように純粋」なのはいいけれど、それはあくまで「大人」が見た「子供のような純粋さ」にすぎない。「子供のような純粋さ」が、この映画では理想化されていて、現実が置き去りにされている。
 人が出会ったら挨拶する。それはそれでいいけれど、その挨拶は一種類ではない。そんなことは、どんな村に住んでいても同じだろう。ケガをしている人に対して「ごきげんいかがですか?」とは絶対に聞かない。「どうしたんですか? 痛くないですか?」と聞く。子供だって、それくらいこのは気がついている。
 今、目の前に起きていることを無視して、挨拶は「ご機嫌いかがですか」「はい、元気です。あなたは?」「私も元気です」という挨拶をすると考える方がおかしいだろう。そういうことが「おかしい」ということから出発する必要があるのに、「理想の会話」どおりの会話が成立しないのはおかしい、奇妙だ、というところから出発してしまっては、何もかもが単なる空想に終わってしまう。
 どんな戦争批判も絵空事になってしまう。

 「どちらが攻めてきたんだ」「北だ」。「争いもなく村を統治する方法は?」「充分に食べさせることだ」。--さりげなく差し挟まれた会話は痛烈に北朝鮮を指弾している。そこに韓国の主張がストレートに出ている。
 戦争批判、反戦映画の衣装をつけた、強烈な北朝鮮批判である。そういう批判が、ファンタジーを装って展開されるところに、私はなんだかうさんくさいものを感じてしまう。こんなふうに安直に戦争を批判しても、結局、どんな戦争回避策も引き出せないだろうと思う。
 この映画自体、最後は、理想(子供のように純粋に生きる人々を守る)ために、その理想を愛する人が身を犠牲にするということで、「平和」を守る。
 そんなことでいいのかな?
 北朝鮮側の兵士も、韓国側の兵士も、そして米兵も「平和」の「聖地」を守り抜く。そのために何人かは犠牲になる。犠牲になることが、結局、美化されていないだろうか。「理想」のために、現実の人間、戦争で死ぬとき人は血を流して死んでいく、ということがないがしろにされていないだろうか。
 死んでいく人に対して「ハウ・アー・ユー?」と挨拶しているようなところがないだろうか。「理想」のために死んでいく人は「アイム・ファイン」と答えるのが正しい会話であって、「痛くてうめいているのがわからんのか」と怒る人間は変だ、ということにつながらないだろうか。

 倉庫に手榴弾が投げ込まれ、ポップコーンができるというすばらしいシーンなど、美しい映像がたくさんあるけれど、最後に北朝鮮の兵士、韓国の兵士が、アメリカの爆撃を誘導して死んでいくシーンを見て、私は、かなりぎょっとした。
 「美しい理想郷」「理想の聖地」を守るために、「理想郷」から離れた場所で戦争をする、そこで犠牲になることで「聖地」を守る--これって、ブッシュがイラクでやっていることのパロディー? 「アメリカ民主主義」という「理想郷」を守るために、イラクを架空の敵地に仕立て上げ、そこを「誤爆」させる。「誤爆」を誘発するのは、もちろん米国本土からやってきた米兵である。もし、そこまで意識化されているのなら、この映画はほんとうに「反戦映画」と呼ぶにふさわしいけれど、違うだろうなあ。

 「理想」を守るために犠牲になる--というような美談には気をつけよう。

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