高良留美子『崖下の道』(思潮社、2006年10月31日発行)。(その1)
高良がこの詩集でつきつめようとしている問題は「間」である。たとえば私とあなたの「間」に何があるか。「狭い海」。
「わたしたちの間にあったのは」何か。高良は「少女の右手がむなしく搔いた海だった」と目に見えるものを提示しているが、もちろんその「間」にあったのは海だけではない。目に見えないもの、ことばにできないものが、そこにはあった。
このことばにできないものを、高良はできうるかぎりことばにしようと努める。それが1連目に書かれている「逡巡」である。ただし、高良は「断言できない」と断っている。「断言できない」のは「わたし」のこころに起きたことと、少女のこころに起きたことの両方である。両方であるからこそ「断言できない 断言できないが……」と2回繰り返されている。
「断言できない」と断りながら、それをことばにしようとする誠実さ、真摯さが、高良のことばを清潔なものにしている。
そこから「祈り」のようなものが生まれている。わたしを「間」にさしだそうとする何かが生まれている。わたしを何かに、今までのわたしではないものに変えてしまわなければ「間」はとりかえしのつかないものになるかもしれないと感じるこころが、切実に伝わってくる。
私たちは人と接するが、そのとき私たちは、私とあなたの「間」にあるものをとおして接している。それはたとえば「少女の右手」、そしてその右手に対するこころの揺らぎ。わかっているようでわかっていな何か、正直に語ろうとすればするほど、あいまいなもの、正確ではないものが増えてくる何か。
そこに「思想」がある。正確に書こうとすればするほど正確ではなくなるもの、常に疑念を呼び込むもの、そんなふうに疑念を積み重ねるしかないもののなかに、あるいは疑念を積み重ねることのなかにこそ「思想」がある。
いつか、私たちは、その「思想」を自分の肉体で実現しなければならない。その「思想」に自分の肉体を投げ出し、自分が自分でなくなってもいいと覚悟し、何かをしなければならない。
それができるか。
できるかどうかわからない。
その不安を高良は、とても正直にことばにしている。「できるだろうか」と自問している。その正直さにも私は「思想」を感じる。「できるだろうか」という自問は、できるかどうかわからないと言ってしまうのに等しい。そう発言するとき、その発言に対して、どんな批判がかえってくるかわからない。その批判は高良を傷つけるかもしれない。しかし、高良は傷ついてもかまわないと覚悟して、できるかどうかわからない、できるだろうか、と自分自身を疑っている。
「思想」は自分をいつわらぬことから始まり、常に自分自身への疑問の形でうごめく。
*
人と人との「間」。「間」を「あいだ」ではなく「ま」と呼べば、それは「魔」にもなる。人と人との間にあるものは不確実なものである。不確かなものである。少女にさしのべた手のように、具体的なもの、たとえば肉体であっても、それは不確かなものになる。こころが不確かだからである。
「魔」は不気味である。人間の力がおよばない何かである。さしのべた手は、たじろげは、少女をみはなす手に一瞬のうちにかわってしまう。そのとき手は救いではなく絶望にかわってしまうだろう。だからこそ、不確かではあってもそれを「信じる」ということも起きる。ただひたすら信じて身を任せるということも起きる。
「狭い海」の少女にさしのべられた手--それは善意の手であるが、その善意であっても「逡巡」がある。「魔」と呼ぶべき「暗い部分」がある。「暗い部分」がありながら、それでもそれを見ないようにして(?)、人間は「善意」を信じる。そうやって生きている。信じれば「魔」が「真」になることを、自分の味方をしてくれることを私たちは体験的に知っているのかもしれない。信じたものだけが実現するということを体験的に知っているのかもしれない。
確かに「魔」は信じる力によって「真」にかわることがあるのだ。「魔」さえもが信じる力に迷って「魔」ではいられなくなるのかもしれない。
「魔力」は、そういう不思議な力について書かれた作品である。
幣原と民の「間」にあったもの。それは「呪い」である。幣原を呪う「魔」である。そして、その「魔」が「戦争放棄」という考えを幣原にもたらした。幣原が自らの力で考えたのではなく、国民の呪いが「魔力」(見えざる力)として働いて、その考えを幣原にもたらしたのである。
それは「魔」のささやきである。「魔」のささやきであるけれど、幣原が「ささやき」に形を与え、具体的なことばにしたとき、それは幣原を「呪い」から救い出した。国民は幣原を「呪う」ことをやめ、幣原のことばに身を投げ出した。国民が全身でしではらのことばを信じたとき、「戦争放棄」ということばは「真」へ転化した。平和を築くための土台になった。
高良は、こういう転化を肯定している。こういう転化をことばのなかで実現したいと願っているのだと思う。わたしとあなたの間にはさまざまなことばがある。そのなかから、どのことばを選び出し、定着させるか。それよって世界はかわりうるのだ。
高良がこの詩集でつきつめようとしている問題は「間」である。たとえば私とあなたの「間」に何があるか。「狭い海」。
その女の子はすこし変わった形の右手をもっていた
(それだけで この国では一つの運命を荷うのに充分だ)
その子がわたしの方へ泳いできたとき
わたしは手をさしのべた
顔に疲れが出はじめていて
右手がわたしの手に一番近かったのに
その子は右手で水を掻き
左手でわたしの手につかまった
わたしが手をひっこめると思ったのだろうか
わたしがだじろぐと?
わたしは眼をそらして笑ったが
そのときのことを忘れない
その子がもし右手でつかまったら
わたしの手の筋肉は
少しも緊張しなかっただろうか
わたしの眼の端には
少しのたじろぎも現れなかったろうか
わたしには断言できない 断言できないが……
きっと少女はそれを感じるのがいやだったのだ
それを疑うのが
あのときわたしたちの間にあったのは
少女の右手がむなしく搔いた海だった
あの海の幅は狭かったけれど
いまわたしはあの海を越えて
少女の右手をつかまえにいくことができるだろうか
海の幅はほんとうに狭く
少女のからだは沈みかけていて
眼は助けを求めているかもしれないのに
「わたしたちの間にあったのは」何か。高良は「少女の右手がむなしく搔いた海だった」と目に見えるものを提示しているが、もちろんその「間」にあったのは海だけではない。目に見えないもの、ことばにできないものが、そこにはあった。
このことばにできないものを、高良はできうるかぎりことばにしようと努める。それが1連目に書かれている「逡巡」である。ただし、高良は「断言できない」と断っている。「断言できない」のは「わたし」のこころに起きたことと、少女のこころに起きたことの両方である。両方であるからこそ「断言できない 断言できないが……」と2回繰り返されている。
「断言できない」と断りながら、それをことばにしようとする誠実さ、真摯さが、高良のことばを清潔なものにしている。
そこから「祈り」のようなものが生まれている。わたしを「間」にさしだそうとする何かが生まれている。わたしを何かに、今までのわたしではないものに変えてしまわなければ「間」はとりかえしのつかないものになるかもしれないと感じるこころが、切実に伝わってくる。
私たちは人と接するが、そのとき私たちは、私とあなたの「間」にあるものをとおして接している。それはたとえば「少女の右手」、そしてその右手に対するこころの揺らぎ。わかっているようでわかっていな何か、正直に語ろうとすればするほど、あいまいなもの、正確ではないものが増えてくる何か。
そこに「思想」がある。正確に書こうとすればするほど正確ではなくなるもの、常に疑念を呼び込むもの、そんなふうに疑念を積み重ねるしかないもののなかに、あるいは疑念を積み重ねることのなかにこそ「思想」がある。
いつか、私たちは、その「思想」を自分の肉体で実現しなければならない。その「思想」に自分の肉体を投げ出し、自分が自分でなくなってもいいと覚悟し、何かをしなければならない。
それができるか。
できるかどうかわからない。
その不安を高良は、とても正直にことばにしている。「できるだろうか」と自問している。その正直さにも私は「思想」を感じる。「できるだろうか」という自問は、できるかどうかわからないと言ってしまうのに等しい。そう発言するとき、その発言に対して、どんな批判がかえってくるかわからない。その批判は高良を傷つけるかもしれない。しかし、高良は傷ついてもかまわないと覚悟して、できるかどうかわからない、できるだろうか、と自分自身を疑っている。
「思想」は自分をいつわらぬことから始まり、常に自分自身への疑問の形でうごめく。
*
人と人との「間」。「間」を「あいだ」ではなく「ま」と呼べば、それは「魔」にもなる。人と人との間にあるものは不確実なものである。不確かなものである。少女にさしのべた手のように、具体的なもの、たとえば肉体であっても、それは不確かなものになる。こころが不確かだからである。
「魔」は不気味である。人間の力がおよばない何かである。さしのべた手は、たじろげは、少女をみはなす手に一瞬のうちにかわってしまう。そのとき手は救いではなく絶望にかわってしまうだろう。だからこそ、不確かではあってもそれを「信じる」ということも起きる。ただひたすら信じて身を任せるということも起きる。
「狭い海」の少女にさしのべられた手--それは善意の手であるが、その善意であっても「逡巡」がある。「魔」と呼ぶべき「暗い部分」がある。「暗い部分」がありながら、それでもそれを見ないようにして(?)、人間は「善意」を信じる。そうやって生きている。信じれば「魔」が「真」になることを、自分の味方をしてくれることを私たちは体験的に知っているのかもしれない。信じたものだけが実現するということを体験的に知っているのかもしれない。
確かに「魔」は信じる力によって「真」にかわることがあるのだ。「魔」さえもが信じる力に迷って「魔」ではいられなくなるのかもしれない。
「魔力」は、そういう不思議な力について書かれた作品である。
“軟弱外交”の担い手 幣原喜重郎は
敗戦の日 電車のなかで
当局を呪う“野に叫ぶ”民の声を聞いた
そして組閣の大命を受けたその年の十月
戦争放棄の考えがかれの頭を訪れたのだ
幣原はのちになって書いている
「それは一種の魔力とでもいうか
見えざる力が私の頭を支配したのであった」と
昭和二十二年一月二十四日のマッカーサー元帥との会談で
戦争放棄の条項を憲法に入れることを提案したのは
幣原であったとのちにマッカーサーも証言している
幣原と民の「間」にあったもの。それは「呪い」である。幣原を呪う「魔」である。そして、その「魔」が「戦争放棄」という考えを幣原にもたらした。幣原が自らの力で考えたのではなく、国民の呪いが「魔力」(見えざる力)として働いて、その考えを幣原にもたらしたのである。
それは「魔」のささやきである。「魔」のささやきであるけれど、幣原が「ささやき」に形を与え、具体的なことばにしたとき、それは幣原を「呪い」から救い出した。国民は幣原を「呪う」ことをやめ、幣原のことばに身を投げ出した。国民が全身でしではらのことばを信じたとき、「戦争放棄」ということばは「真」へ転化した。平和を築くための土台になった。
高良は、こういう転化を肯定している。こういう転化をことばのなかで実現したいと願っているのだと思う。わたしとあなたの間にはさまざまなことばがある。そのなかから、どのことばを選び出し、定着させるか。それよって世界はかわりうるのだ。