詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

高良留美子『崖下の道』(その4)

2006-11-16 23:34:00 | 詩集
 高良留美子崖下の道』(思潮社、2006年10月31日発行)。(その4)
 この詩集には、どうしても忘れることのできない詩がもう1篇ある。在日韓国人を描いた「夢の交差点で--鄭京黙 久保覚に」。遺稿集を読みながら、高良は鄭京黙のなかに「間」が存在することを発見する。タイトルの「鄭京黙 久保覚に」のなかに、すでに1字の「空白」(間)が存在するが……。

かれの本名、生まれたときからかれのものであった名前は、多くの人に知られることはなかった。わたしはかれの口からその名前が--たとえ日本読みでも--発音されるのを聞いたことはない。わたしがその名前を知ったのは、かれの遺稿集の最後の年譜の欄によってであった。かれが自分の名前のなかに“黙”の字をもっていたことが、わたしを考え込ませる。

 鄭京黙は彼自身について沈黙する。ここに鄭京黙の複雑さがある。沈黙の奥には「鄭京黙」がいて、その沈黙と高良との間には「久保覚」がいる。高良は、久保覚との「間」を生きているが、鄭京黙はそのとき同時に鄭京黙と久保覚との「間」も生きている。そして、その「間」を他人には(日本人には)見せないように、沈黙している。隠している。
 しかも、それは鄭京黙がそうしたいからという理由からだけではないのだ。私たち、つまり日本人が何らかの形で鄭京黙に沈黙を強いているのである。久保覚であれ、と強いているのである。--そういうことがあると認識しているからこそ、高良は「わたしを考え込ませる」と書くのである。
 
 常に鄭京黙と久保覚とのあいだに「間」が存在すること--そのことが鄭京黙にどんな影響を及ぼしているか。

 かれは有能な男だった。緻密な頭脳と実にねばり強い根気をもっていた。とりわけ、言葉に敏感だった。その敏感さはおそらくかれの二つの名前の亀裂のなかから生まれてきたに違いない。かれは言葉を発する脳髄の動きを捉えることかできた。かれはそれを書物にし、人びとに発信した。

 「間」は「亀裂」と呼び換えられている。そして、そこから「言葉に対する敏感さ」(言葉を発する脳髄の動き)が飛び出す。それは「魔」である。人々のこころを捉え、魅了するる「魔」である。たとえていえば、幣原の「戦争放棄」という考えである。「魔」ではあるけれど「真」でもあるものだ。つまり「思想」である。「思想」であるがゆえに、それをことばにするには「ねばり強い根気」もいるのである。
 そうしたことを理解した上で、高良は、次のように書く。

日本の戦後の言葉と思想がかれのような人によって支えられていたことを記すことができる。

 鄭京黙に「沈黙」を強いたものは、実は戦後の日本である。もちろんそこには高良も含まれる。含まれていると、高良は自覚している。わたしたち日本人が在日韓国人の「沈黙」を強いた。
 「支えられていた」と高良は書いているが、これは、そうした事実と向き合い、そのことを反省することでかろうじて日本の戦後の言葉と思想は、なんとかまっとうなもの(真)であることができたという意味だろう。もし、鄭京黙が、つまり、沈黙を強いられている人からの声が一言も発せられなかったら、私たちはもっと違った生き方、侵略戦争の延長線上を生きていたかもしれない。
 そういう反戦が、この1行にはこめられている。

 一方、 高良は、単純に鄭京黙を尊敬しているわけではない。鄭京黙のなかに存在する「魔」にも目を向けている。鄭京黙と久保覚の「間」は「魔」をも噴出させることを、きちんと書いてもいる。「間」が「魔」でありうることを認識するからこそ、「間」を「真」にかえるにはどうすべきかを考えようとするかのように。

かれは同時にしばしば信じられないほど無責任だった。(略)無責任どころか、人によっては--それがしばしば女性に対してだったことがわたしを傷つける--ひどい苦しみを与えることすらあった。日本人へのうらみ、憎しみがどのよう形でかれの心に居座っていたのか、わたしは知らない。ただそのような仕方で自分の在り方を--かれが一人の他者であることを--わたしたちに示したのだろう。

 「間」のなかで「魔」にも「真」にもなる。それは、鄭京黙にも制御がきかないことかもしれない。だからこそ、鄭京黙は「ねばり強く」「言葉を発する」。そして、その動きは、もちろん鄭京黙以外の人間には制御することができない。だからこそ「他者」なのである。
 この「他者」こそ、実は「間」をつくりだす力である。

 この「他者」の発見は、ここではとても不思議な形、親しみや愛情だけではなく、一種の反発、不信も含める形で書かれているが、これが高良の正直なところだと思う。「他者」に対して覚えるのは「共感」だけではない。
 「他者」対する反発、不安、不安からの自己防御--同じことが、人間の生きているあらゆる現場で起きる。
 そう思って読み返すと、「狭い海」で起きたことも、「他者」の発見だったことがわかる。
 「少女の右手」は、形をかえてあらわれた「鄭京黙」でもあったのだ。少女は、彼女の右手が「鄭京黙」であることを知っている、そして高良も少女の右手が「鄭京黙」(その本名は知らされていないけれど--つまり、間接的に、その存在を想像しているだけで、直に触れたことはないけれど)であるということを知っていると認識している。
 「他者」はいつでも私たちをたじろがせる。「他者」に対して何ができるかと、問いかける声がどこからか聞こえる。
 たじろいで引き下がることもあれば、たじろぎを隠すために暴力的にふるまうこともある。
 これは侵略戦争のとき起きたことでもあるが、今、現実に起きていることでもある。さまざまな差別や暴力の連鎖は、常に「他者」に向けられている。

 「他者」に対して何ができるか。「他者」がつくりだす「間」、「他者」に向けられる「魔」、それをどう乗り越え、「真」をどう実現するか。つまり「他者」とどう生きることができるか。高良自身を問い詰める「狭い海」の最後が切実に思い出される。

あの海の幅は狭かったけれど
いまわたしはあの海を越えて
少女の右手をつかまえにいくことができるだろうか
海の幅はほんとうに狭く
少女のからだは沈みかけていて
眼は助けを求めているかもしれないのに


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