監督 三池崇史 出演 伊藤英明、佐藤浩市、伊勢谷友介、香川照之、桃井かおり、クエンティン・タランティーノ
いいなあ、すっごくいいなあ。時代考証なんてどうでもいい、ただ「男」のアクションを撮ってみたい、という欲望のままに動いていく。いいなあ、ほんとうにいいなあ。この無責任さ(?)というか、純粋な欲望というか。そのために次々に文化を越境して行く。アナーキーを通り越して、これは強烈な越境ゲーム、人は文化をどこまで越境できるかに挑戦した傑作である。
考えてみれば、黒澤明の「用心棒」も時代考証なんて気にしていないんじゃないだろうか。「七人の侍」だって、いったいいつの時代? 山田洋次の「たそがれ清兵衛」「武士の一分」などとはまったく違って、いまではない時代、侍がいた時代--というだけの設定で黒澤の映画は動いている。「事実」ではなく、純粋な「夢」が描かれている。三池の映画も、全編を貫くのは純粋な「夢」である。「夢」がかけだすとき、人間の欲望がぎらぎらと輝いて見えてくる。
無法者が生きる時代。無法者としてしか生きられない時代。そこで人間はどんなふうにかっこよく生きられるか。どんなふうに強く生きられるか。どんなふうにやさしく生きられるか。人間をしばりつけている制度が解体し、生な欲望だけが突っ走るとき、そこには人間の肉体だけが強烈なにおいを放つ。
役者では、伊勢谷友介と桃井かおりがその期待に応えて、鮮やかにふるまっている。
文化の越境でいえば、侍なのに拳銃だらけ、さらに佐藤浩市の平清盛がシェークスピアを読み、「おまえらシェークスピアぐらい読めよ」と啖呵を切ったり、伊勢谷友介の源義経が武士道を説くなんて、いいねえ。無法者なのに、ボスは「力」だけではなく「教養」もアピールしたいんだよねえ。なかなか「かわいい」ではありませんか。ロマンチックじゃありませんか。
私はロマンチックなものは苦手なんだけれど、こんなふうにロルンチックのどこが悪い。人間はみんなロマンチックでセンチメンタルだと開き直って、そのロマンチックとセンチメンタルを爆発させるために、なんでもやってしまうというのは好きだなあ。純粋でいいなあ、とほれぼれする。
赤と白がまじりあった薔薇の名前が「ラブ」とか、ねえ、しらふじゃ恥ずかしくて(酔っていても恥ずかしくて)いえないようなことが、こういう映画では平気でいえるんですよ。
最後のクライマックスの日本刀と銃の決戦。まあ、昔の流儀でいけば、弾丸を真っ二つにする日本刀が勝つんだろうけれど、そんな律儀なカタストロフィーを否定して、「武士道」なんて糞くらえ、という感じもいいなあ。
血の鮮烈さを見せるために、唐突に雪が降る、とも恥ずかしくて、とてもいい。(薔薇が咲いている季節に、雪、だからねえ。かっこいいとしかいえません。)
木村佳乃(?)の、いったいどこの国のダンスという踊りもいいし、桃井かおりの「ばあさん」なのに拳銃ぶっ放し、暴れ回るというのも、おいおい、ほんとうは何歳の設定なんだよ、といいたくなるようなご都合主義もいいねえ。
タランティーノも大はしゃぎだね。こんな映画を撮りたかった。日本はやっぱり「天国だ」なんて思っているんじゃないだろうか。
主題歌をうたっているのが北島三郎というのも文化を越境していておもしろい。
今年のベスト10には入らなくても、50年後にはベスト10に入るかも--という、時代を超えてしまった映画です。
いいなあ、すっごくいいなあ。時代考証なんてどうでもいい、ただ「男」のアクションを撮ってみたい、という欲望のままに動いていく。いいなあ、ほんとうにいいなあ。この無責任さ(?)というか、純粋な欲望というか。そのために次々に文化を越境して行く。アナーキーを通り越して、これは強烈な越境ゲーム、人は文化をどこまで越境できるかに挑戦した傑作である。
考えてみれば、黒澤明の「用心棒」も時代考証なんて気にしていないんじゃないだろうか。「七人の侍」だって、いったいいつの時代? 山田洋次の「たそがれ清兵衛」「武士の一分」などとはまったく違って、いまではない時代、侍がいた時代--というだけの設定で黒澤の映画は動いている。「事実」ではなく、純粋な「夢」が描かれている。三池の映画も、全編を貫くのは純粋な「夢」である。「夢」がかけだすとき、人間の欲望がぎらぎらと輝いて見えてくる。
無法者が生きる時代。無法者としてしか生きられない時代。そこで人間はどんなふうにかっこよく生きられるか。どんなふうに強く生きられるか。どんなふうにやさしく生きられるか。人間をしばりつけている制度が解体し、生な欲望だけが突っ走るとき、そこには人間の肉体だけが強烈なにおいを放つ。
役者では、伊勢谷友介と桃井かおりがその期待に応えて、鮮やかにふるまっている。
文化の越境でいえば、侍なのに拳銃だらけ、さらに佐藤浩市の平清盛がシェークスピアを読み、「おまえらシェークスピアぐらい読めよ」と啖呵を切ったり、伊勢谷友介の源義経が武士道を説くなんて、いいねえ。無法者なのに、ボスは「力」だけではなく「教養」もアピールしたいんだよねえ。なかなか「かわいい」ではありませんか。ロマンチックじゃありませんか。
私はロマンチックなものは苦手なんだけれど、こんなふうにロルンチックのどこが悪い。人間はみんなロマンチックでセンチメンタルだと開き直って、そのロマンチックとセンチメンタルを爆発させるために、なんでもやってしまうというのは好きだなあ。純粋でいいなあ、とほれぼれする。
赤と白がまじりあった薔薇の名前が「ラブ」とか、ねえ、しらふじゃ恥ずかしくて(酔っていても恥ずかしくて)いえないようなことが、こういう映画では平気でいえるんですよ。
最後のクライマックスの日本刀と銃の決戦。まあ、昔の流儀でいけば、弾丸を真っ二つにする日本刀が勝つんだろうけれど、そんな律儀なカタストロフィーを否定して、「武士道」なんて糞くらえ、という感じもいいなあ。
血の鮮烈さを見せるために、唐突に雪が降る、とも恥ずかしくて、とてもいい。(薔薇が咲いている季節に、雪、だからねえ。かっこいいとしかいえません。)
木村佳乃(?)の、いったいどこの国のダンスという踊りもいいし、桃井かおりの「ばあさん」なのに拳銃ぶっ放し、暴れ回るというのも、おいおい、ほんとうは何歳の設定なんだよ、といいたくなるようなご都合主義もいいねえ。
タランティーノも大はしゃぎだね。こんな映画を撮りたかった。日本はやっぱり「天国だ」なんて思っているんじゃないだろうか。
主題歌をうたっているのが北島三郎というのも文化を越境していておもしろい。
今年のベスト10には入らなくても、50年後にはベスト10に入るかも--という、時代を超えてしまった映画です。