広瀬弓「つごもり」(「現代詩手帖」2007年11月号)
新人欄。藤井貞和が選んでいる。
このスピードがいい。「池」といっておきながら、「池の姿ではなく、縄文土器の壺の広口であった。」というスピードがいい。こうしたスピード感あふれることばを読むと、この作品が広瀬という署名がついているにもかかわらず、私は、あ、藤井貞和だと思ってしまう。
終わりから2連目。
ここにも藤井貞和を感じる。「変若水」にわざわざ「をちみず」とルビを振っているそのこだわりと、ふいにあらわれる古いことば(?)の華やぎに藤井貞和を感じる。ことばの違和感、そしてその違和感を利用して世界を輝かせる手法に藤井貞和を感じる。
詩は、誰でも、自分の好みに合わせてことばを読む。書いた人がどう感じたかは、たぶん詩を読むときには重要ではない。読む人がそのことばを快感に感じるかどうかだけが重要なのだ。
投稿欄の作品を読む楽しさは、もちろん新しいことばの感覚に出会うということが最大の楽しみだが、もうひとつ、選者の「好み」がくっきり浮かび上がってくるところがとても楽しい。
「変若水」を、広瀬のように、広瀬よりもはやく使ってみたかった、という藤井貞和の声が聞こえてきそうな詩であった。
新人欄。藤井貞和が選んでいる。
眠れないでいると、わたしの胸の上に、ケンの夢に現れる「あふれずの池」が、暗い洞穴を開いた。胸の上では池の姿ではなく、縄文土器の壺の広口であった。
このスピードがいい。「池」といっておきながら、「池の姿ではなく、縄文土器の壺の広口であった。」というスピードがいい。こうしたスピード感あふれることばを読むと、この作品が広瀬という署名がついているにもかかわらず、私は、あ、藤井貞和だと思ってしまう。
終わりから2連目。
「池の中から上がっておいでよ、変若水(をちみず)あびたでしょ」私は壺に手を入れ、ケンの手を握って呼んでいる。
ここにも藤井貞和を感じる。「変若水」にわざわざ「をちみず」とルビを振っているそのこだわりと、ふいにあらわれる古いことば(?)の華やぎに藤井貞和を感じる。ことばの違和感、そしてその違和感を利用して世界を輝かせる手法に藤井貞和を感じる。
詩は、誰でも、自分の好みに合わせてことばを読む。書いた人がどう感じたかは、たぶん詩を読むときには重要ではない。読む人がそのことばを快感に感じるかどうかだけが重要なのだ。
投稿欄の作品を読む楽しさは、もちろん新しいことばの感覚に出会うということが最大の楽しみだが、もうひとつ、選者の「好み」がくっきり浮かび上がってくるところがとても楽しい。
「変若水」を、広瀬のように、広瀬よりもはやく使ってみたかった、という藤井貞和の声が聞こえてきそうな詩であった。