詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

白井知子『秘の陸にて』

2007-11-20 20:09:19 | 詩集
 
秘の陸にて
白井 知子
思潮社、2007年10月31日発行

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 強烈な詩集である。「ハクトウワシの托卵」。その冒頭。

人のかたちに
あやうく堰きとめられた六十兆の細胞

 人間を「六十兆の細胞」として把握する視力。そしてそれを「あやうく」と感じる感受性。そのふたつが交錯して、人間が人間ではなくなる。人間を描いているのだが、描いているうちに人間を超越する。詩のなかで「人間」が変化してしまうのだ。つまり、それは白井自身が変化するということでもある。

地上をかすめる精密な鳥影
あの瞬間だった
領袖がぶあつい手袋をぬぎすて 白い腕を 上空にふりあげたのは
一撃で殺戮をはたすハクトウワシ
低空飛行の兵士の眼球がくりぬかれ
えぐれた眼窩へ
空中托卵されたのだ
領袖にかいならされた猛禽
ハクトウワシの托卵が
埋めこまれた
    (谷内注・「眼窩」の「か」の文字は本文は「穴かんむりに果」)

 戦闘機のパイロットをハクトウワシが襲う。それも単に襲うのではなく、パイロットの眼を奪い、そこに卵を産みつけていく。その結果、パイロットは人間ではなくなる。野生のハクトウワシになる。

兵士は戦場にかえってくる
うっすら体毛だけがへばりつき
ちぢまっていく四肢のわき まがった鉤爪が
生えてくる

 ハクトウワシ。アメリカの鳥。野鳥。そこからアメリカの空軍パイロットを連想する。どうしても、そう連想してしまう。そのため、私などは、ついつい、アメリカを、あるいはアメリカ兵を、あるいはアメリカの国策を批判する視点でことばをつないでしまいそうになるが、白井はそんなに簡単に「政治的」にはならない。「人間」に踏みとどまる。

俯瞰された戦場の村 国境の小さな町
あの瞬間の いのちの
心音で波うつのだ
三十八億年かけたいのちに突きあげてくる拍動が
刻々と渦まき
眼窩を緊めつけるのだ
泡だつ血だまりから
兵士の脳漿が啜られる

また ひとつ
擬卵が割れる ずりおちる目蓋
陰画の俯瞰図が生ぬるい風に反転する

えぐられた眼窩の横顔を
泥みどろの月の光にさらして
かれらは戻ってくる
轍の跡 赤錆びた鉄橋づたいに
ザッツ ザッツ ザザッツ
ザッツ ザッツ ザッ
心音に緊めつけられ 緊めあげられ
人間から 解かれることはないのだ

 ここには人間の遺伝子とハクトウワシの遺伝子の戦いが、つまり苦悩がある。白井は、人間を超越し、ハクトウワシをも超越し、そのどちらでもないもの、どちらでもあるものへと変化して、苦悩を語る。
 どちらかに身を寄せるのではなく、ハクトウワシと人間の両方になる。ふたつの細胞が互いに侵犯しあい、強烈な苦悩にかわる。--その苦悩を白井のことばは追いかける。追いつく。追い抜いて、白井自身の声として、ここに書き記す。
 この苦悩を白井は「共喰い」と言う。「ミレニアム解剖透視図」の2連目。

寒々とすき間だらけになったところへ
植えこまれたのは
クローン牛 羊 豚 赤毛ザル ネズミの真珠色の臓器
遺伝子操作をうけた闖入者
たがいの不慣れな凹凸を擦りよせては
うらやんだり 蔑んだり のぼせあがった各臓器
神妙な体位で こっそりパートナーを物色しにかかる
が 落ちぶれたおのれの不恰好さにくじかれ
ののしりあう始末だ
なだめにかかるヒトの脳は
狂いだした免疫系で拒絶され 笑い藻木になるばかり
ついには こぞって凶器になりはて 共喰いがはじまる

 このブラックな笑いは強靱な視力と繊細な感受性がからみあってはじめて生まれる笑いであり、批判である。
 苦悩、変身を描きながら、白井は必死になって人間そのものの細胞を復元しようとしている。傷ついた人間の細胞を、詩によって復元しようとしている。どんなに変身しても、その奥に生きている人間の細胞があるはずだと、それを輝かしたい、という強い強い欲望を感じる。

コメント
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