詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ステファン・ルツォヴィッキー監督「ヒトラーの贋札」

2008-02-03 14:53:35 | 映画
監督 ステファン・ルツォヴィッキー 出演 カール・マルコヴィクス、アウグスト・ディール、デーヴィト・シュトリーゾフ、アウグスト・ツィルナーマルティン・ブラムバッハ

 ていねいなていねいな画面づくりだ。
 冒頭の、主役の背広の、背番号(?)を縫い付けていた部分だけ色変わりしているところなどに、この映画の誠実さがあらわれている。主人公は第二次大戦中、ナチスにとらえられていた。そして、贋札をつくることでいのちをつないできた。背広の背番号のぬいつけのあとは、彼がアウシュビッツにいたことを象徴している。そして、その象徴が、単に主人公の悲劇を象徴するだけではなく、彼のこころも象徴している。そんなふうに展開して行く映画の、導入にふさわしい、静かで落ち着いた映像である。
 背番号に隠されていた部分だけ、背広は、もとの生地のままの色をしている。なまなましく、なまめかしく、そのことが逆に悲劇を具体的に語っているのだが、そのふいにあらわれた生地の色のように、いつまでもいつまでも、昔のままの色が、こころのなかにもある。
 その、こころの生地のことが、この映画の主題である。
 主人公たちはヒトラーの命令で贋札をつくっている。贋札を流通させることでアメリカ経済を破綻させるというのがヒトラーの作戦である。その作戦に従事しているかぎり主人公たちは生きていることができる。しかし、自分たちがそうやって生きるということはヒトラーに加担することであり、同胞の死に加担することでもある。いのちか、正義か。極限の状況の中で主人公たちは揺れる。絶望だけが深まる。
 そして、絶望しながらも、やはりいまそこに生きているいのちのために、仲間のために、できる限りのことをする。仲間が結核に感染し、苦しんでいればなんとか薬を手に入れようとする。偽ドルを完成させたくないという思いで仕事をしない男に対しても、強要はしない。彼の判断をあくまでも尊重する。ただ生きたいというだけではなく、生きながら、生きることでなんとかそれぞれの意思を明らかにしたいと思う。ひとそれぞれの意思を裏切るようなことはしたくないと思う。最低限、仲間を裏切らないという正義を守ろうとする。ひととひととのつながりを守りたいと思う。絶望しながらも、彼らは、仲間に対してすこしずつやさしくなっていく。--そういうこころの動きを、私は、こころの生地と呼ぶ。
 色彩を抑えた画面がとても効果的だ。収容所なのだから派手な色がなくて当然といえば当然なのだが、主人公たちの無彩色の服の色がとてもいい。室内の無彩色の、光と影がとてもいい。否定され、殺されたいくつもの色の内側で、その暗い色の内側で、人間の肉体がかなしくいのちを燃やし続けているのだ。そういう炎を浮かび上がらせる色だといってもいい。(ティム・バートン監督の「スウィニー・トッド」の作為的な暗い色とはまったく違う。)
 主役のカール・マルコヴィクスはマックス・フォン・シドーにちょっと似ている。はじめてみるが(何かに出ているかもしれないが、意識したのははじめてである)、秘めた力を感じさせる。冷静、沈着、ときには冷酷にさえ見えるが、その肉体の中で絶望の炎が燃えている。熱い熱い涙となって、流れもする。彼のなかにある不思議な光が、ひとをひきつける。贋札づくりを命じるナチスの指揮官さえもひきつける。指揮官のこころさえも裸にさせる。
 この映画につかわれている色彩は少ない。数少ない色のなかにある色の変化、たとえば冒頭の背番号で隠されていた部分と日にさらされ続けた部分の色の違いのような、微妙な変化--それを見るための映画である。こころの、微妙ないろの変化を見るための映画である。舞台がかぎられ芝居のような映画でもあるが、この微妙な色の変化は、たしかに映画でしか伝えられないものを持っている。
 2008年の正月映画にはおもしろいものがなかったが、ようやく映画らしい映画が登場した。
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森川雅美「山越」

2008-02-03 11:17:49 | 詩(雑誌・同人誌)
 森川雅美「山越」(「あんど」8、2008年01月20日発行)
 きのう読んだ三井葉子の文体が暴走しない文体ならば、きょう取り上げる森川の文体は暴走する文体である。ことばが暴走するとき、そこにもし意味があるとすれば「快感」という意味である。ただことばを暴走させることの快感。ことばのスピードに肉体がついて行けない。肉体では追いつけないスピードを味わうことである。もちろん頭も追いついては行けないのだけれど、肉体と違って頭というのはときどきアナログではなくデジタルである。簡単に言うと、肉体は移動するとき1センチ、1メートル、1キロという具合に一歩ずつ進んで行くしかないが(たとえ電車や飛行機に乗るとしても同じである)、頭は1センチのあと一気に1キロを考えることもできるし、5万キロから1ミリへももどることができるだけではなく、999999ミリと1000000 ミリさえ区別ができるのである。肉眼では1センチ四方の紙に描かれた999999角と1000000 角、円の区別はできないだろうが、頭はらくらくと区別ができる。こういう区別は、しかし、錯覚である。錯覚である、というのは「日常」では「無意味」である、ということでもある。そして、この「無意味」のなかで、頭は「快感」に酔うのである。頭だけができること、そのことを発見し、酔いしれる。

わらが落ちている掴む手もない均一な水面に
にぎやかに祭礼は通りすぎ背中から鋭角に刺
しぬかれ狭まった隙間を抜ける風の音は耳骨
をゆらし瞬時の山の端は明かるみ点滅するパ
ルスが不定期に信号を停止し高速で引き戻さ
れるくだものの腐敗する甘やかなかおりは漂
い(略)

 ことばはどこまで無縁なことばと結びつくことができるかが試されている。詩はだれもがいうように突然の出合いである。無関係なものの出合いである。その出合いの瞬間に飛び散る火花(錯覚)が詩である。森川は、いわば詩の「王道」を「王道」であることを利用して暴走しようとしている。
 そういうことを前提にした上で、私には、森川の作品に対する不満がある。

 前回、森川の作品を取り上げたとき、私は森川の作品は頭だけで書かれている、と批判した。肉体が不在である、と批判した。こうした作品に、頭だけで書かれているという批判が不当である、という見方があると思う。少し、私のいう不満について補足しておく。
 私には、森川のことばが真に頭だけで書かれているとは感じられない。頭の快感というには不純物が多すぎる。(前回は肉体の側から批判したので、今回は頭の側から批判しておく。)たとえば、

わらが落ちている掴む手もない均一な水面に 

 この1行は「均一」ということばが美しい。「均一な水面」というときの「均一な」が一瞬錯覚を引き起こす。鏡のような水面を私は想像するが、こういうときに日本語は「均一な」とはいわない。いわないけれど、そのいわないはずのことばをとおして、そういう水面が目の前に出現してくる。その瞬間、私の頭は酔いしれる。あ、こんなふうに「均一な」ということばをつかってもいいんだ、と知らされ、その発見に酔いしれる。かっこいいじゃないか、と思う。森川はすごいなあ、と思う。
 しかし、その「均一な」を浮かび上がらせる「背景」にげんなりさせられる。この1行の背後には「溺れるものはわらをも掴む」ということわざがあるのだが、その存在がげんなりさせる。ことわざはことばであってもことばではない。すでに肉体化した「知恵」である。頭、頭脳というものはそういうものを振り切って存在する。そういうものを振り切ったときに、頭になる。森川のことばのなかでは、肉体と頭が明確に区別されていない、と私はどうしても思ってしまう。
 「にぎやかに祭礼は通りすぎ」の「にぎやか」にも同じものを感じる。「にぎやか」と「祭礼」では頭が入り込む余地がない。つまり、そこでは頭は暴走していない。かといって、たとえば三井葉子の句点「。」のように暴走を拒否しているわけでもない。単に肉体が顔を出し、その存在によってスピードが落ちているだけである。「山の端は明かるみ」も同じだし、「点滅するパルス」も同じである。
 森川のことばにあっては、肉体の充実を頭が阻害し、頭の暴走を肉体が妨害する。これをもちろん肉体と頭の混淆、あるいは肉体と頭の混沌、というふうに定義し直し、そこから森川を高く評価することも可能なのだろうけれど、もし森川が肉体と頭の混沌を目指しているのなら、もっと意図的に「ぐちゃぐちゃ」なものを書いてほしい。中途半端すぎる。

一滴の水は枝の先端から落ちようとしガラス
質の表層を滑り溜まる光の屈折するどうだん
つつじが落首しただならぬ影を追う現象にぼ
くたちの眼球に音づれるスパークする言葉を
ひとりずつ手折り

 「ただならぬ影」の「ただならぬ」のとんでもないブレーキ。こういうことばに出合うと、森川は頭でことばを書いているのではなく、惰性(肉体へ退化した頭、思考を停止した頭)でことばを動かしていると思ってしまう。頭の中にこびりついている肉体、すでに余分な皮下脂肪になってしまっている部分を意識的に洗い落とさないと、真の暴走の快感はないだろうと思う。森川は暴走しているつもりだろうけれど、見学している(?)私には、暴走するポースをとって止まっているように見えるのである。

コメント (1)
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