監督 シェカール・カプール 出演 ケイト・ブランシェット、ジェフリー・ラッシュ、クライヴ・オーウェン、サマンサ・モートン、アビー・コーニッシュ
「エリザベス」(★★★★)の続編。
ケイト・ブランシェットが女王の悲しみをドラマチックに演じている。彼女の皮下脂肪の少ない顔が激変し、顔がそのまま表情、こころになる。目の色の変化など、ぐいぐいひきこまれていく。
それはそれでいいのだろうけれど、あまりにドラマチックに演じるので、女王のふるまいが演技なのか、それとも実際の行動かわからないような部分が出てくる。
よろいに身を固めて軍を鼓舞するところが特にそうだ。はるかに軍勢の多いスペイン軍を迎え撃つイギリス軍。勝ち目はない。それでも女王は鎧に身を固め兵を鼓舞する。「イギリスの自由を守るために戦い、天国で会おう。あるいは運がよければ、この荒野で再び云々」という具合である。とても感動的である。けれど、女王はほんとうにそう感じて兵を励ましたのか。あるいは、そんなふうに兵を鼓舞することが女王の役目だと感じ、そう振る舞ったのか。そんな疑問がふと浮かんできてしまう。もしそこに女王ではなく王がいから、たしかにそうするであろうと感じてしまう。そして、そのことが、もしかすると女王はこころに不安をかかえながらも(王でも不安をかかえているだろうけれど)、演技として、そう演じているだけなのではないのか、疑問に感じてしまうのである。
そしてそのことが、この映画全体の印象を微妙に変えてしまう。
映画はスペイン軍との戦いを背景にしながら、女王の孤独、男への思いに自由に身を任せられない苦悩・悲しみ、その「人間性」を中心に描いているのだけれど、そこに描かれているのはほんとうにひとりの女性の悲しみなのか、という疑問が忍び込んでしまう。
たとえば恋しい男にキスを迫る。それはほんとうにキスがしたいからなのか、それともそんなふうに男を誘うのが男と二人きりになった時に女がするべき行為だからだからだろうか。そんな疑問である。
もちろん、この映画では女王はほんとうにキスをしたくてキスを迫るのだし、侍女に嫉妬するのもほんとうに嫉妬しているからなのだが、それらの演技があまりに真に迫っているので、演技じゃないのか、と逆に疑問が生まれるのである。ほんとうに感じていることは、こんなふうに劇的な表情として肉体のなかに(生活のなか、くらしのなかに)あらわれないのではないだろうか。どこかに「ためらい」みたいなもの、あらわしきれないものを含んでいるのではないだろうか、という疑問が生まれ、何か生身の人間をみた感じがしないのである。
もちろんケイト・ブランシェットが演じているのは庶民ではなく女王なのだから、そこにはおなじ人間であっても表情に違いかあるかもしれない。絶対的な1人と、その他大勢の人間では表情の役割が違うだろうから、そういうものを反映した演技といえばいえるのだろうけれど。
私はケイト・ブランシェットが大好きだが、この映画に関して言えば、表情の激変の演技を見るのは、ちょっとつらい。ドラマチックであることが「嘘」につながって見えてしまう。「演技」として見えてしまう。役者は演技をみせるものであるが、その演技は演技であってもストーリーに属したものではなく、役者個人の肉体に属したものでないとおもしろくない。ストーリーに付属しているだけの演技なら女優が演じる必要はない。肉体は必要はない。ストーリーだけなら小説でもいいし、アニメでもいい。(小説にしろアニメに白、小説には小説の文体、アニメにはアニメの文体、役者で言えば肉体というものがあり、それはそれで別の論になるのだが。)ケイト・ブランシェットの演技力が裏目に出た映画である。
ケイト・ブランシェットに比べると非常に損な(?)役所を演じているサマンサ・モートがなかなかよかった。つまらない役なのだけれど、なんだかほれぼれと見とれてしまった。そこには、この映画のケイト・ブランシェットが欠いている肉体の不透明さがあった。クライヴ・オーウェンはコスチュームプレイがあっていない。表情が現代的すぎる。過去の時代の顔ができない。そのために、もともと間が抜けたような顔が、この映画ではいっそうノーテンキに見えてしまう。完全な配役ミスである。
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ケイト・ブランシェットの「エリザベス」なら、やはり前作の方がすばらしい。