監督 トニー・ギルロイ 出演 ジョージ・クルーニー、ティルダ・スウィントン、トム・ウィルキンソン、シドニー・ポラック
「ボーン・アルティメイタム」のトニー・ギルロイ監督作品。「ボーン・アルティメイタム」の冒頭の新聞記者が殺されるまでのシーンのすばらしさ(カメラワーク)が忘れられない。今回も少し似たシーンがあるが、あれほどの緊迫感でかなり劣る。
この映画の見どころは役者のつかい方である。
ジョージ・クルーニーは目が大きく、美形である。その男が弁護士を演じる。ただし、この弁護士は「汚れ役」である。だらしない弁護士で、ギャンブルにおぼれている。担当も敏腕弁護士が手がけないような、「もみ消し」(フィクサー)専門である。「汚れ役」というのは美形が演じるととても魅力が出る。非情さが輝き、あ、こういう悪人になってみたい、という気持ちにさせられる。ジョージ・クルーニーには、そういう非情さがない。特徴的な目、口元が非情とはかなり遠い。甘いのである。その分、今回のようなだらしなさがずいぶん似合う。ミミ・レダー監督によって磨き上げられた役者だが、女性の心をくすぐるような、甘ったれた雰囲気が、だらしなさとなじみ、なかなかおもしろい。だらしなさ、甘さにつけこまれ、組織に利用されていく過程が、リアルになっている。
そして、このジョージ・クルーニーの非情さを欠いた甘さとは逆に、敏腕の女弁護士が非情を売り物にしている。この対比がおもしろい。
ティルダ・スウィントンは、起伏の少ない顔(ジョージ・クルーニーと対極的である。また、トム・ウィルキンソンとも対極的である。)で、非情を「理性的・理知的」へと昇華させて見せるのだが、これがなかなかすばらしい。鏡の前で、浴びせられるであろう質問を想定して、何度も答えを練習するシーンがすばらしい。(このシーンは「ボーン・アルティメイタム」の監督ならではのさばきである。)そして、この繰り返される練習に作り上げられた非情が、最後の最後、一気に崩れてゆくのだが、その顔の奥に、フラッシュバックのように、かつての繰り返しの練習が行き来するのである。この「練習」は映像としては存在しないのだが、見ている観客(私)の意識のなかでフラッシュバックが起きる。ジョージ・クルーニーを見つめ、必死になって冷静さ、非情さを守ろうとするのだが、つまずく。練習でつまずいても、何度かくりかえすことで乗り越えてきたが、今回は、練習(想定)を超えていて、がたがたと崩れる。これが、とてもリアルなのである。
ティルダ・スウィントンはこの映画で「アカデミー賞助演女優賞」を獲得しているが、それにふさわしい演技である。彼女の演技を見るだけでもこの映画を見る価値がある。というか、この演技を見ないことには彼女については何も語れないだろう、という気さえする。
彼女のこの演技があって、いわばジョージ・クルーニーの情のストーリー、情が非情に勝つというストーリーも説得力を持つ。キャスティングが映画をささえていると言える。
*
ティルダ・スウィントンを見るなら、
トニー・ギルロイ監督作品を見るなら、
「ボーン・アルティメイタム」のトニー・ギルロイ監督作品。「ボーン・アルティメイタム」の冒頭の新聞記者が殺されるまでのシーンのすばらしさ(カメラワーク)が忘れられない。今回も少し似たシーンがあるが、あれほどの緊迫感でかなり劣る。
この映画の見どころは役者のつかい方である。
ジョージ・クルーニーは目が大きく、美形である。その男が弁護士を演じる。ただし、この弁護士は「汚れ役」である。だらしない弁護士で、ギャンブルにおぼれている。担当も敏腕弁護士が手がけないような、「もみ消し」(フィクサー)専門である。「汚れ役」というのは美形が演じるととても魅力が出る。非情さが輝き、あ、こういう悪人になってみたい、という気持ちにさせられる。ジョージ・クルーニーには、そういう非情さがない。特徴的な目、口元が非情とはかなり遠い。甘いのである。その分、今回のようなだらしなさがずいぶん似合う。ミミ・レダー監督によって磨き上げられた役者だが、女性の心をくすぐるような、甘ったれた雰囲気が、だらしなさとなじみ、なかなかおもしろい。だらしなさ、甘さにつけこまれ、組織に利用されていく過程が、リアルになっている。
そして、このジョージ・クルーニーの非情さを欠いた甘さとは逆に、敏腕の女弁護士が非情を売り物にしている。この対比がおもしろい。
ティルダ・スウィントンは、起伏の少ない顔(ジョージ・クルーニーと対極的である。また、トム・ウィルキンソンとも対極的である。)で、非情を「理性的・理知的」へと昇華させて見せるのだが、これがなかなかすばらしい。鏡の前で、浴びせられるであろう質問を想定して、何度も答えを練習するシーンがすばらしい。(このシーンは「ボーン・アルティメイタム」の監督ならではのさばきである。)そして、この繰り返される練習に作り上げられた非情が、最後の最後、一気に崩れてゆくのだが、その顔の奥に、フラッシュバックのように、かつての繰り返しの練習が行き来するのである。この「練習」は映像としては存在しないのだが、見ている観客(私)の意識のなかでフラッシュバックが起きる。ジョージ・クルーニーを見つめ、必死になって冷静さ、非情さを守ろうとするのだが、つまずく。練習でつまずいても、何度かくりかえすことで乗り越えてきたが、今回は、練習(想定)を超えていて、がたがたと崩れる。これが、とてもリアルなのである。
ティルダ・スウィントンはこの映画で「アカデミー賞助演女優賞」を獲得しているが、それにふさわしい演技である。彼女の演技を見るだけでもこの映画を見る価値がある。というか、この演技を見ないことには彼女については何も語れないだろう、という気さえする。
彼女のこの演技があって、いわばジョージ・クルーニーの情のストーリー、情が非情に勝つというストーリーも説得力を持つ。キャスティングが映画をささえていると言える。
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