詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

古賀忠昭が死んだ

2008-04-22 11:03:04 | 詩集
 古賀忠昭が死んだ。やっと死んだ、という思いが私にはある。古賀は1年ほど前はがきをくれた。「不治の病にある。死ぬ前に、詩の感想をきかせてほしい」というものであった。その詩というのは「ちのはは」である。

もうすぐ しぬので こうこくのうらにかきます
しぬと じごくにゆくので かえってこれんので しぬまえに こうこくのうらに
かきます

 書き出しの3行は、今では、古賀の遺言のように感じられる。「はは」を借りて、古賀自身を語っているのである。
 感想はすでにこの「日記」に書いたことがあるので繰り返さない。

 古賀と私は面識がない。30年ほど前に一度手紙をもらったことがある。古賀が「九州文学」に小説を書いていたころである。小説のタイトルも内容も忘れてしまった。感想書いたかどうかも忘れたが、たぶん書いたのだろう。それで手紙をもらったのだと思う。そして2度目のはがきが先の「不治の病」である。「るしおるに書いた。本を買って送るのがふつうなのだろうけれど、本屋へゆくことも叶わない。申し訳ないが、買って、読んでほしい」というものであった。なんだか詩への執念のようなものを感じた。
 その後、いつまでたっても古賀は死ななかった。そのうち詩集『血のたらちね』が出版された。そして丸山豊記念現代詩賞を受賞した。あ、しぶとい。死なない男だ、と私は正直あきれ返ってしまった。
 ところが3月に受賞して、あっけなく死んでしまった。新聞の死亡記事は10行足らずであった。ほんとうにあっけない。だが、その10行のなかにも、丸山豊賞のことは書いてあった。よかった。安心しているだろう。
 しかし、私は、とても無念である。ここまで強い執念で生きてきたのだから、もっと生きてほしかった。もっと書いてほしかった。
 古賀にしてみれば、評価を得てほっとしたのかもしれない。
 死は、人間を、そんなふうにして気がゆるんだ瞬間に奪いさってゆくのかもしれない。一度も会ったことはないが、涙が流れた。



 もうひとり、今年他界した詩人に山本哲也がいる。古賀と同じく福岡に住んでいる。古賀が土着のことば、口語で語るのに対し、山本は標準語で語る。その標準語は九州のひとの標準語とは完全に違う。論理が違う。構造が違う。私は最初、そのことに驚いた。九州の詩人の作品はかならずつっかかるところがある。しかし山本のことばには私をつまずかせるものがない。九州弁が含まれていない。つい最近になって山本が関東の出身と知って、あ、なるほどと思った。
 これに対して、古賀はあくまで口語で書く。口語へ帰っていく。肉体へ帰っていく。ここまで肉体へ帰っていくことばを書く詩人はいない。肉体に帰って行き、そこから強靱な文体を作り上げた。
 古賀は最後に丸山豊賞をもらったが、それだけては少なすぎるだろう。もっともっと評価されていい詩人である。


血のたらちね
古賀 忠昭
書肆山田

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コメント (4)
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