池井昌樹「矢」(「歴程」549 、2008年03月31日発行)
とても短い詩である。全行。
「あめのよあけ」からはじまる「あ」の繰り返し、「あの」の繰り返しがこころの動きに拍車をかける。途中に挟まる「ねどこでひとり」が加速するための踏み切り台(?)のような感じで働いている。「ねどこ」ということばの、あたたかい響きが、まぼろしの雨に、とてもよく似合っている。
感動する、という作品ではないが、リズムに、自然にこころが重なってしまう。
「あのまちにふるあめのおと」とこの行だけ長くしたのも効果的だ。こころが加速して、そこではいつもの倍の距離をこころが動いていることが納得できる。こころはいつでも加速する。「矢」に限らず、現実の存在のスピードは最初が一番早くてしだいに遅くなる。しかしこころは逆に最初はゆっくりだ。そして、リズムをととのえながら加速し、現実を突き破っていく。
私はセンチメンタルは嫌いだが、唯一、池井の書くセンチメンタルだけは好きである。
とても短い詩である。全行。
帰心矢のごとし
でも
かえるところのないぼくの矢は
どこへかえればよいのだろう
どこをさまよいつづけるのだろう
あめのよあけは
ねどこでひとり
あのまちのいろ
あのまちのおと
あのまちにふるあめのおと
めをつむり
尾羽うちからし
「あめのよあけ」からはじまる「あ」の繰り返し、「あの」の繰り返しがこころの動きに拍車をかける。途中に挟まる「ねどこでひとり」が加速するための踏み切り台(?)のような感じで働いている。「ねどこ」ということばの、あたたかい響きが、まぼろしの雨に、とてもよく似合っている。
感動する、という作品ではないが、リズムに、自然にこころが重なってしまう。
「あのまちにふるあめのおと」とこの行だけ長くしたのも効果的だ。こころが加速して、そこではいつもの倍の距離をこころが動いていることが納得できる。こころはいつでも加速する。「矢」に限らず、現実の存在のスピードは最初が一番早くてしだいに遅くなる。しかしこころは逆に最初はゆっくりだ。そして、リズムをととのえながら加速し、現実を突き破っていく。
私はセンチメンタルは嫌いだが、唯一、池井の書くセンチメンタルだけは好きである。
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