暗夜/戦争の悲しみ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 全24巻(第1集)) (世界文学全集 1-6)バオ・ニン,残雪河出書房新社、2008年08月30日発行このアイテムの詳細を見る |
池澤夏樹=個人編集世界文学全集のI-06。今回の芥川賞の作品がおもしろくなかったので、中国の現代作家はどんな作品を書いているのだろう、という興味から読んでみた。残雪というのはカフカの中国版かもしれない。簡単に言うとは、ことばをひたすら動かしてゆく。現実に則してして動かすというよりも、ことばを現実から切り離して、ことば自身でどこまで動いてゆけるかを実験している。言語実験という意味では、「現代詩」に近いかもしれない。
ことばがこんなふうに動くなら、現実だってこんなふうに動いてもいい。精神が動くなら、その精神に現実があわせたっていい。
実際、どのような進歩も、まず想像力があって、その想像力をどう具体化するかということでおこなわれてきたのだから、小説が、いままでなかったような世界を描くということは、そういう世界がやがては実現できるかもしれないということでもある。想像と空想の違いは、それを実現しようとする意志があるかどうかにかかっている。想像は創造につながるが、空想は創造にはならない。ただ、小説の場合(文学の場合)、「創造」は物理的現実に対応しなくてもいい。精神に対応さえすればいい。つまり、小説を読んで、あ、こんなふうに考えることができる、こんなふうに正しくも間違えることもできるという自由が浮かび上がればいい。
「時が滲む朝」は政治的な「自由」をテーマに書かれていたが、残雪の作品は、ことばの「自由」がテーマだともいえる。三木清のことばにしたがえば、言語というのはその国民の精神の到達点である。どこまで精神を「自由」に遊ばせることができるか、ということを追求するのも非常に重要なことなのだ。
「不思議木の家」という作品がある。その冒頭。
この建物は実に背が高い。
この「実に」に「詩」がある。ことばの冒険はそこから始まっている。「実に」という副詞はなくても建物の高さが変わるわけではない。 100メートルが 200メートルに変わるわけではない。変わらないけれど「実に」とことばを動かすことで、事実を「実感」にかえる。「実に」の「実」は「実感」の「実」なのである。そして、その「実」は「感じ」を隠しているのである。
以後、「感じ」を強調するように、ことばは動いていく。
外壁は長い木の板を横に重ね、なかの材料もすべて木だ。木目もあらわなその板は年代を経てすでにまっ黒になり、少し離れてみると、ただもうぼうっと黒いばかりだ。家の形はごくありきたりだが、ありきたりでないのはそれが信じられないほど高いことだ。健在が普通の木であることからすれば、こんな高い建物が建てられるとは信じがたい。
「信じられない」「信じがたい」。くりかえされる「信じる」の否定。それは「信じる」ということよりも「実感」として強烈である。それまでの常識では把握できないものがそこに存在する。それは「信じることができない」。そして、信じることができないとき、人には何ができるだろうか。ただ「感じる」ことしかできない。それも、「なま」な形で感じることしかできない。いままでの(既知の)「感じ」を超越しているからだ。
そして逆説めいたことになるけれど、このいままでの「感じ」を超越する存在は、どんなふうにして超越するかというと、「超越」を構成するものが「普通」のものばかり、という条件を前提にして超越するのである。「普通の木」ということばが出てくるが、「普通」を組み合わせることで、「信じられない」ということが生じる。「普通の木」ではなく現代科学の最先端の素材をつかった建物なら、それがどんなに高くても「信じられない」ということはない。「普通の木」だから「信じられない」のである。知っているもの。なじんでいるもの。それは「感じ」にとてもなじんでいる。なじんでいるからこそ、それが異様な形になってあらわれると「信じられない」という意識を呼び起こし、それまでの「感じ」をひっくりかえす。頼るものがなのにない、「なま」の状態にしてしまう。いわば、「感じ」を「無防備」にしてしまう。「無防備な感じ(感覚)」は、接したものを「実感」として受け止めるしかなくなる。
「実感」の「実」は「直接」という意味でもある。「直」は「ただ」でもある。「実感」とは「ただ・感じる」ことしかできない。そこには余分なものはない。
小説は、こうした世界へぐいぐいと進んでゆく。
常に「普通」のことがらを全面に出しながら、そこに「普通」を超えることがらを結びつけ、「実感」を修正できないように(普通にもどらないように)、次から次へと動いていく。「普通」と「超越」がくりかえされて、言語空間が濃密になっていく。
現代の中国にも文学はあるのだ、と安心できる一冊である。「時の滲む朝」の口直し(目直し?)にはもってこいの一冊である。
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