詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

豊原清明「ようかいの映画詩」

2008-09-19 12:10:53 | 詩(雑誌・同人誌)
 豊原清明「ようかいの映画詩」(「白黒目」13、2008年09月発行)

 リズムといえばいいのだろうか。ことばの切り替えがとても気持ちがいい。「映画詩」とあるが、映画のカメラの切り換えに似ている。映画はスクリーンで見ていると連続しているように見えるが、ほんとうはいたるところに断面がある。カメラはいつも切り替わっている。長回しのカメラもあるけれど、たいていは数えきれないくらいの切り替えがある。そして、そうした切り換えがスムーズなとき、映画にひとつのリズムができる。このリズムの善し悪しで映画の善し悪しが決まる。
 豊原清明のことばの切り替えは良質の映画のカメラの切り換えに似ている。「ようかいの映画詩」の冒頭。

昨夜 僕らは母とけんかして
僕らのけんかの種の僕が
母に襲う真似をして
それは僕のジョーダンだったのだが
僕らの母は身に危険を察して
真夜中、旅をした
その晩、僕らは薬を飲んで
じっくりと眠った

 家の中。最初の1行は部屋の全景。最初は人は動いていない。ことばが飛び交う。そして、少しずつ人のことばが肉体を駆り立てる。それが3行目だ。そこからカメラは、また引いて行く。部屋の全体。母の部屋を横切って(左から右、右から左、あるいは手前から奥、奥から手前でもいい)シーン。母のいなくなった部屋。ここまでは1台のカメラが動き回って撮るとおもしろい。(「ぐるりのこと」の二人のけんかのシーン、冒頭に登場する長回しのように。)
 そして「真夜中、旅をした」。夜の街を歩く母の姿。ロング。この街のシーンはその1行が短いように、瞬間的なショットでいい。
 一瞬の街の表情をとらえたあと、カメラはまた家のなかにもどってくる。無言。無言のまま、薬を飲み、寝室へ移動する「僕」。カメラは、今度はだれもいなくなった部屋、その「空気」だけを映している。そうすると、記憶のなかに、街を歩く母のショットがよみがえり、さびしさのようなものが劇場に漂う。
 翌朝のシーンもいい。

朝になって、父は苦虫を潰して
パンとコーヒーをしてくれた

 ことばがはじまる前の不思議な感じ。朝の光のさわやかさ(戸外から自然の光が、「歩いても 歩いても」の台所のように、部屋の中にふりそそぐといい感じだ)と、父の表情の対比。(山崎努のような顔でやってもらいたい)。それからパンとコーヒーの温かな感じ。そこにあるのは、ことばにならない矛盾。そうしたものをカメラはことばをもたないがゆえにきちんと伝える。そして、ことばが動きはじめる。会話がはじまる。

昨夜、大声挙げて
父は鼓膜が破れたと言うので
直って欲しいと 祈った
父は確かに右耳が
聞こえない感触があった
昨日は--
今朝、部屋に戻って
僕らはなかしくなったけれども

 会話と、一瞬のフラッシュバック。無音のまま、父の動きだけを映した、昨夜のけんかのときの一瞬のシーン。それから、僕のアップ。ただし、顔だけではなく、胸から上。控えめに、「いのり」が表情を横切る瞬間を、そしてそれが「かなしみ」にかわっていく瞬間を感じさせるだけの長さで。
 読みながら、スクリーンが見えてくる。

 2連目は1連目の「かなしくなったけれども」の「けれども」という不思議な余韻をひきずって、記憶への旅である。父の無音のシーン(フラッシュバック)と呼応するようにしてつながる。--この呼応は天才的である。「無音」から、切り詰められた最小限の「ことば」、幼い会話への転換……。

小学生の頃 同級生が
「昨日 僕の親 リコンした。」
と薄く笑み
「今日の晩御飯(カップラーメン)や。
いっしょに食べて…。」
と言った
「かわいそう」僕は半分食べて
身の毛が震えた
自分のウチに帰ったのだ
それは僕の罪であった
全部食べて 遊ぶべきであった
「お母さんは夜の1時に帰ってくれるねん。」
と、彼は言った
「君は寝んと待っとるんか?」
と僕は冷たく言った
「うん。」
彼は黙りこくった
もう少し話しはあるがそれはヒミツ
だから
三十一歳で「母恋し」はダメなのだ
一人の個人にならねばならない

 ことばは長いけれど、このシーンは映画の全体のなかでは非常に短い。カメラは頻繁に僕と友だちの表情をアップで行き来し、行き来するたびにそのあいだの「空気」が濃密になる。(カメラの切り替えが速く、しかも瞬間瞬間の人間の表情をアップでとらえると、スクリーンからあふれる「空気」はとても濃密になる。感情の動きに観客が引き込まれて行くからである。)
 そして、その「空気」の濃度が高まったところで、突然、終わる。友だちのアップのあと、二人の全身が(少なくとも腰から上が)映り、しかも動かないシーン。その、一瞬の「間」。その「間」のなかに、「彼は黙りこくった」からの5行の世界。動かないミドルショットの余韻。そこに「ヒミツ」や「「母恋し」はダメなのだ/一人の個人にならなければならない」という「思い」が入り込んで切る。

 このあと、短い短い最終連がある。それは、2連目の余韻をさらにしっとりと深めるシーンである。ここに書いてしまうのがもったいない。
 ぜひ、「白黒目」13で読んでください。



夜の人工の木
豊原 清明
青土社

このアイテムの詳細を見る
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする