詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

テリー・ジョージ監督「帰らない日々」(★★★★)

2008-09-04 01:47:53 | 映画
監督 テリー・ジョージ 出演 ホアキン・フェニックス、マーク・ラファロ、ジェニファー・コネリー

 交通事故により最愛の息子を奪われる。警察の捜査は進まない。業を煮やした父が弁護士に調査を依頼する。そして、その弁護士が加害者だった……。
 厳しいストーリーである。この厳しいストーリーをカメラは揺るぎない映像でとらえていく。息子(兄)を失ってバランスをくずしてゆく一家。父と母(夫と妻)が傷つけあい、娘(妹)がおびえる。どうしていいかわからない。
 一方、依頼された弁護士は父親が自分を覚えていないのを知り、安心すると同時に良心の呵責にも悩まされる。自分は何もかも知っているのに、父親は何も知らない。そして知らないことを利用して生きている。さらに複雑なのは、弁護士自身にも息子がいるのだが、その息子は離婚した妻のところにいて、週に1回会うだけだということだ。弁護士は、いわば、生きたまま息子を失っている。息子を失うことの悲しみを知っている。もし、自分が自首すれば、さらに息子を失うことになる。息子から嫌われるかもしれない。そういう不安のために、いっそう自首する機会を失ってゆく。
 双方の苦悩を、主演の3人がリアルに演じている。
 ホアキン・フェニックスとジェニファー・コネリーは互いを傷つけることしかできない。力をあわせなければならないのに、互いを頼りあうことすらできない。慰め合うためのセックスもできない。体もこころも完全にばらばらになる。この姿を、カメラは慎み深くとらえている。こころの奥に踏み込むのでもなく、遠ざかるのでもなく、慎み深く、ただそばにいるという感じでとらえている。たしかに、カメラはそばにいるのだ。ちょうど、ふたりの心、体から息子が消えていないように。まるで死んでしまった息子のかわりに、そっと二人が苦悩するのをみつめているかのようである。そして、まるで、「お父さん、お母さん、頑張って生きて」と訴えているようである。そうなのだ。この映画は、見ていて、自然に「お父さん、お母さん、頑張って。壊れずに、ちゃんと生きて」と思わず祈らずにはいられない感じの映像で構成されているのである。
 娘(妹)を演じるエル・ファニングが、良心の苦悩をみつめながら、傷つき、しかし、いちばん先に立ち直る。兄の冥福を祈るために、ピアノを演奏する。その美しい姿に両親は少し立ち直る。この直後、父は、ふいに加害者の顔を思い出す。娘の力が父親を現実に引き戻したような感じである。この感じが、なんともいえず生々しい。
 だが、父親の、この現実への生還が、新しい不幸を引き寄せる。父親の悲しみ、憤りは、怒りに変わる。怒りは父親を破壊し、暴力に、復讐に駆り立てる。このときの変化がすごい。さらに怒りのなかで壊れてしまった父親が、最後の最後、加害者に銃を向けながら、緊張でことばが出なくなるシーンが圧巻である。
 夢のなかで金縛りにあったとき、ことばが出ないときのように、いいたいことがあるのに舌と喉が動かない。動いても、聞き取れるような声にならない。このシーンをホアキン・フェニックスが迫真の演技で演じる。結局、ホアキン・フェニックスはマーク・ラファロを殺すことはできない。ホアキン・フェニックスの、人間の、最後の良心が、彼を踏みとどまらせたといえば、そうなのだろうけれど、私はこの瞬間にも、やはり息子の視線を感じる。息子がそばにいて、父親に「お父さん、壊れたらダメ、頑張って生きてよ」とささやいているように感じられる。
 この聞こえない声、描かれない息子の姿に答えるように、ラストシーンで、ホアキン・フェニックスではなく、マーク・ラファロがビデオカメラをとおして息子に語りかける。自首するにいたった契機を語る。なぜ、すぐに自首できなかったか。息子を愛していたからだ、と。息子にとって、父の犯したことは、つらい現実を引き寄せるかもしれない。友だちにいじめられたりするかもしれない。それは心苦しいけれど、お前と過ごしたこの何日かはとても幸せだった……と。
 このラストシーンは、事故で死んでしまった少年の声の裏返しでもある。「お父さん、お母さん、妹よ、ぼくは死んでしまったけれど、いっしょに生きていたときはとても幸せだった。ぼくが幸せだったことを忘れないでね」と言っているように感じられるのである。
 どんな日常にも、たとえば映画には描かれていないものがある。映画が日常を描く。そのときに、映像にならない何かが常にその映像のそばにある。そうしたものを、この映画のカメラは正確に伝えている。それぞれの登場人物のそばにきちんと立って、その人を支える別の人間(そこにはいないけれど、その人をつきうごかしている人間)の存在と、そのことば、その声を代弁するように、正確に伝えている。
 死んでしまった少年は、父親が復讐にかられて殺人者になるようなことがないように祈っている。そして加害者がいつかは気がついて自首してくれることを祈っている。人間がそんなふうにして、きちんと再生することを祈っている。たぶん、この再生の祈りは、妹(エマ・フャニング)に最初に届いたのだろう。子どもどうしの、純な心に最初に響いたのだろう。そしてそれは少年の友だち(加害者マーク・ラファロの息子)にもきっと届くにちがいない。
 不幸を描いた映画なのに、そうした祈りがあるために、見終わったとき、何か明るい気持ちになる。だれも真の幸福を手にはしていないにもかかわらず、不思議な気持ち、救済された気持ちになる。カメラは、そういう気持ちをすくいあげるように、映像をつむいでいた。
 時間が経つに連れて、ああいい映画だったと思う作品である。


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