詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

リッツォス「証言A(1963)」(8)中井久夫訳

2008-10-28 09:42:41 | リッツォス(中井久夫訳)
夏   リッツォス(中井久夫訳)

彼は浜を端から端まで歩いた。太陽と若き曳航に輝いて。何度も海に跳び込んだ。その度に皮膚が濡れて光った。金色に。赫土(あかつち)の色に。すてきね、という囁きが後を追った。男からも女からも。何歩か後を村の少女が随いて歩いた。彼の服を捧げ持って、いつも少し離れて、一度も彼を見なかった。一心に尽くす自分を少し腹立たしく思いながらも幸福だった。ある日、二人はいさかいをして、彼は、もう服を持つなといった。彼女は服を砂に投げ、彼のサンダルを腋に挟んで走り去った。裸足の彼女が立てる小さな砂埃が陽のほてりの中に残った。



 最後の1文がとても印象に残る。余韻、というのは、こういう終わり方をさしていうのだろう。
 「陽のほてり」の「ほてり」がとても美しい。
 ギリシャ語で何というのか知らないが、このふくらみのある感じ、量感が、とにかくすばらしい。量感があるから、そこで起きたことをすべて受け止めることができる。
 それに先だつ「一心に尽くす自分を少し腹立たしく思いながらも幸福だった。」という矛盾したこころ--それも、「ほてり」と響きあっている。
 「ほてり」というのは、何かが「こもっている」感じがする。解放されない何かが、そのなかに残されている。そのために、熱を持っている。熱は、何かがぶつかりあうとき、こすれあうとき、そこに発生する。

 「ほてり」以外のことばでは、たぶん、この作品の余韻は違ったものになる。中井久夫の言語感覚のすばらしさがあらわれた訳だと思う。



最終講義―分裂病私見
中井 久夫
みすず書房

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「大琳派展」

2008-10-28 00:05:15 | その他(音楽、小説etc)
「大琳派展」(東京国立博物館、2008年10月07日-11月16日)

 10月25日に見た。
 ピカソの移動し続ける作品を見た後、琳派展を巡ると衝撃を覚える。芸術に関する思考がピカソと琳派(あるいは日本の伝統的芸術家)ではまったく違うのだ。
 ピカソは美術史を叩き壊して「個性」を作り上げた。それもただひたすら完成品を叩き壊し、「美の誕生」の瞬間をつくりだすという「運動」だ。琳派は逆だ。継承する。継承しながら、改良できることはないかと、ていねいにこだわる。この展覧会のサブタイトルは「継承と変奏」というのだが、ほんとうにていねいに継承し、ていねいに変奏を繰り返すのだ。

 「風神雷神」。私が見たのは尾形光琳、酒井抱一、鈴木基一の3 点である。手の握りというか、指の細部などに違いが感じられるが、それは積極的な改良というより、模写するときに必然的に生じてしまった誤差であろう。私が見たときは俵屋宗達の「風神雷神」は展示されていなかったが、それを手本にした尾形光琳は俵屋宗達とは違った「風神雷神」を描こうとはしていないし、さらに模写した酒井抱一、鈴木基一も、独自の「風神雷神」を描こうとはしていない。忠実に俵屋宗達の絵を引き継ごうとしている。(記憶のなかにある、教科書で見た「風神雷神」をもとにして書いているのだが。)
 彼らが引き継ごうとしているのは、絵、というより技術かもしれない。技(わざ)と呼んだほうがより的確かもしれない。どうやったら先人の技を引き継いでゆけるか。そのことを日本の芸術家は考えているように思える。「個性」は二の次である。「個性」という考えはなかったかも知れない。あるとすれば、引き継いだ技術で私にはこんなこともできる、という職人の誇りかもしれない。そういう誇りの上で、私はこういうこともできる、とそっと差し出す。そこには「歴史」を継承しながら、「歴史」をつくりだしていく、まっすぐな情熱がある。
 ピカソとの対比で言えば、ピカソはマネの絵を題材に1 枚描いている。「草上の昼食」(マネに基づく)(「愛と創造の軌跡」で展示)。そこでネから継承しているものはモチーフだけである。少なくとも「琳派」が継承しているような技の継承はない。構図は似ているが、ピカソはマネそっくりの絵を描こうとはしていない。あくまでピカソの絵を描こうとしている。「私なら、こう描く」と「個性」を前面に出している。ピカソを貫くものは、あくまで「ピカソ」なのである。「ピカソの美術史」なのである。ピカソはひとりで「歴史」をつくり、ひとりで「歴史」を破壊する。マネを自分のなかに取り込み、その上で破壊する。ピカソはピカソ自身の「歴史」をも継承しない。ただたたき壊す。もしピカソがピカソから継承するものがあるとすれば、ただ「歴史」を叩き壊すという運動だけである。
 一方、「琳派」は何人もの人が「歴史」を継承する。日本の美術に詳しいひとにはその違いは明瞭なのかもしれないが、私のような素人には、たとえば尾形光琳の「風神雷神」と酒井抱一の「風神雷神」は区別がつかない。1 枚だけ見せられたら、大きさ・素材の違う鈴木基一の「風神雷神」はわかっても、他は区別がつかない。
 同じものを描く、そういう技を継承するのが日本の美術のひとつの姿かもしれない。そこには自己を発展させるというよりも、日本の美意識を発展させるという意識が強く働いているのかもしれない。芸術は個人のものかもしれないが、美意識は日本人全体のものという意識が働いているのかもしれない。
 彼らは個人の美意識を育てるというよりも、日本人の感性を、ある一定の高みに到達させようとしているように見える。

 だから、そういう意識は、工芸にこそ、深く働くかもしれない。道具。日常にひとがつかう道具のなかの美意識。常にひとに触れ、触れることで磨かれて行く日本人の感性--そういうものを大切にしているのかもしれない。
 おもしろいものが多すぎて何を書いていいかわからないくらいだが、「あ、これは美術館でないとわからない」と思ったのが、尾形光琳の「八橋蒔絵螺鈿硯箱」である。立体の面を「八橋」が動いていく。それにあわせてカキツバタがかわる。とても自然だ。カキツバタの天地に無理がない。まるで八橋を歩きながらカキツバタの花を眺めている気持ちになる。「箱」なのに「箱」を忘れる。実用品なのに「実用」を忘れる。「工芸」がまぎれもなく「美術」であることを強く実感する。感動してしまう。この感動は、美術の教科書や図録では起きない。ぐるりと回って見て、はじめて生まれる。(手にとって見ることができれば、もっと感動しただろうけれど、これはむりだね。)
 考えてみれば、屏風にしろ、襖にしろ、それは常に生活とともにある。生活のなかの「美意識」を日本の芸術家は育てようとしているのかもしれない。屏風も襖も、それは「鑑賞」の対象であると同時に、実用でもあるのだ。畳んだり開いたりしない屏風はない。開けたり閉めたりしない襖はない。つかわれない「硯箱」はない。そういうものは、常に、手に触れ、動かされる。固定した位置にあるのではない。ある場所に固定されているわけではない。
 こういう実用のなかの「美」に触れたら、たとえばピカソはどうしただろうか。巧みにデザインされて、それが日常につかわれていると知ったら、どうしただろうか。そして、「琳派」という複数の人のなかで継承されてきたものを、どうやって破壊しただろうか。破壊しようとしただろうか。
 破壊できないのではないか。なぜといえば、日本の継承されてきた「美」は、そこにあるだけではなく、それを動かし、つかう日本人のなかにこそあるからだ。それを破壊するためには、まず「日本人」にならなければならない。深く深く「日本人」の肉体にしみこんだ「感性」そのものの内部に入り込まなければならないからだ。

 ピカソと琳派を続けて見ると、ほんとうに不思議な気持ちになる。




琳派をめぐる三つの旅―宗達・光琳・抱一 (おはなし名画シリーズ)
神林 恒道
博雅堂出版

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