詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

田中庸介『スウィートな群青の夢』(2)

2008-10-31 11:26:22 | 詩集
田中庸介『スウィートな群青の夢』(2)(未知谷、2008年10月27日)

 きのう「うどん」について書いたとき、田中の「頭」がうどんでいっぱいになっていると書いた。このときの「頭」は、私がいつも批判的に書いている「頭」ではない。うどんでいっぱいになった「頭」は「頭」であることをやめて「肉体」になっている。その無防備な「肉体」の正直さが田中の作品の魅力だ。

 「うどん」はおいしい詩だった。「レモン」は、すっぱい。切ない。その全行。

冬の、日。
誰かのことを想って、こみあげてくる
いとしさに耐えられないまま、

太陽の光がうすい。疲れ、る
なあ。傘をとられた、

その名前を口にする。
たわむれ、に。ひとに聞かれたらはずかしいけど
幸せな新聞紙、

つまらない邦楽番組。人格がどんどん
崩壊していく、鉄板焼きの脂がじゅうじゅう
散りかかる。

ピーマン。そしてナスも
身をよじるようにしながら焦げていった。
そんな遊びももう終わりなの、さ。

それでもなお、心にふとこみあげてくる
いとしさにはまだ耐えられない。

レモン、
斜めにつめたい風の中をふらふら歩いて、
冬のうすい、日に。

 田中のことばは「肉体」である。そこには「頭」の、ではなく、「肉体」そのものの呼吸がある。読点の乱れ(?)が切ない感情そのものである。
 「冬の、日。」と書こうが「冬の日。」と書こうが「意味」は同じである。冬が「夏」に変わるわけでも、「秋」にかわるわけでもない。
 でも「冬の、日。」と「冬の日」は違う。
 「冬の日」は単にある季節の一日だが「冬の、日。」はほんとうは「冬」ではない。「いま」は確かに冬だが、田中は「冬ではない日」、「いま」ではない時間を思い出している。読点「、」は具体的に書き直せば、「冬の、いま、こうやって過ぎ去った日々を思い出す、きょう日」ということである。読点「、」の一瞬のあいだに、その呼吸のあいだに、田中の「肉体」のなかに、過去の日々、過去の時間が駆け抜けている。
 この「頭」では抱え込むことができない時間、ふっと、「息」とともに「肉体」を駆け抜けていく時間を、田中はていねいにすくい取っている。

 2行目の「誰か」とは不特定の誰かではない。はっきりしている。はっきりしているけれど名前を出せない。知らないからではない。知っているから、名前を書けない。そして名前を書くときよりも書かないとき、つまり、それをぐっと「肉体」のなかに押し殺すときのせつなさ--それが「誰かのことを想って、こみあげてくる」の読点「、」であり、「いとしさに耐えられないまま、」の改行なのである。「こみあげてくる」と「いとしさ」のあいだには、読点「、」よりもはるかに遠い距離がある。空間がある。感情のうごきまわるせつなく、長い、時間がある。
 
 それから1行あいて、2連目。ことばの呼吸はさらにゆらぐ。乱れる。「疲れるなあ」と簡単にことばにはならない。「疲れ」という名詞が、読点を挟んで「疲れる」という動詞になり、それから改行を挟んで「疲れるなあ」という嘆き(深い息)にかわる。その変化を、田中は呼吸(読点と改行)のリズムだけではっきりと描き出す。
 田中のことばは、すべて「肉体」を通って出てくる。「声」そのもになっている。
 「声」は正直である。「文字」は感情を隠すことができる。ところが「声」には感情がでてしまう。どんなに押し殺してみても、その押し殺したということさえ、「声」になってしまう。呼吸が、ほんのわずかな息づかいの違いが、音の高低が、あ、このひとはいつもと違うということを感じさせる。
 「肉体」は無防備で、そして敏感である。だから、嘘をついてはいけない。正直であるしかないのだ。

 最終連も、とても好きだ。特に、最終行。「冬のうすい、日に。」これは、文法的には正しくない。「冬のうすい」はことばになっていない。このことばだけでは「意味」がとれない。ここには省略がある。2連目に書かれたことばが省略されている。ほんとうは、「冬の、太陽の光が、うすい」なのである。「肉体」のなかに「太陽の光がうすい」が吸収されてしまっている。だから、それはことばにならず、省略して、いっきに「冬のうすい」になる。「肉体」は「頭」と違って、ことばをぐいと圧縮したり、逆にぱっとおしひろげたりする。そういう緩急というか、落差というか、変化を矛盾なく溶け込ませてしまう。
 「冬のうすい」には、そういう不思議な「肉体」の呼吸があるのだが、この凝縮された呼吸は、そのままではやっぱり維持できない。そこで「冬のうすい、日に。」という読点の呼吸が入ってくる。「日。」と断定したまま終わることができず、「に」をしたがえて、ゆっくりと息が(思いが)吐き出されるのだ。



 こんなに切ない呼吸をそのまま文字に転換できるのは、田中の耳がよほどすぐれているからだろう。敏感だからだろう。そして耳と同時に視力も(目も)敏感なのだと思う。音を耳という「肉体」だけで消化するのではなく、同時に目でもはっきりつかみとる。そういう希有な本能(ほんとうは、素質、気質、というのだろうか)があるのかもしれない。「スロー・テンポ」という作品の書き出し。

こんな雨の日はスローテンポで踊りたい。

 雨ですね。
   すねないで。

 「雨ですね。/すねないで。のなかにあらわれる偶然の、不思議な音楽。それは「声」に出せば(音読すれば)すぐにわかることだけれど、その音の不思議な交錯を、田中は目でもわかるように「すね」をならべて書いている。
 私は最初、音の不思議なゆらぎに、あ、いい音楽だなあ、とだけ感じていたのだが、どこに音楽の音楽らしさがあるのだろうと、くりかえし黙読し、ちょっと我慢できずに声に出して読んでみて(私は音読はしない、朗読はしない)、その瞬間に「すね」をならべて書いてあるのに気がついた。
 あ、
 一瞬、我を忘れるくらい驚いた。
 こんなふうに書く方法があるんだ。音をくっきりと意識させる書き方があるんだ。まるで、音楽でいえば五線譜に書かれた音符を見るように「すね」と「すね」がならんでいることに気がついたのだ。
 そして、思ったのだ。田中は、田中のことばは、どこまでもどこまでも「肉体」でできている、と。




スウィートな群青の夢
田中 庸介
未知谷

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リッツォス「証言A(1963)」(11)中井久夫訳

2008-10-31 00:21:30 | リッツォス(中井久夫訳)
聞こえるのと聞こえないのと   リッツォス(中井久夫訳)

突然の予期せぬ動き。かれの手は、
傷をつかんで血を止めようとした。
弾の発射音も飛翔音もぼくらは聞かなかったが。
しばらくあって彼は手をだらりと下げて微笑った。
が、また掌をそろそろとその箇所に当てた。
折りたたみの財布を取り出し、
ウェィターに行儀よく支払って出て行った。
それから、ちいさなコーヒー茶碗にひびが入った。
少なくともこちらのほうははっきり聞こえた。



 テオ・アンゲロプロスの「旅芸人の記録」の時代をふと思った。そして、テオ・アンゲロプロスを思い出したからだと思うけれど、ふたたび、映画について思った。リッツォスはほんとうに映画に似ている。
 この詩は、この詩のカメラは、テオ・エンゲロプロスの好きな「長回し」である。カメラは切り替えなしに、「彼」の動きを追っていく。
 消音銃の弾が「彼」の腕に命中する。消音銃なので、音は誰も聞かない。聞こえなかったけれど、「彼」の動きからすべてがわかる。わかって、緊張する。その緊張が、「彼」の動きを長回しのカメラのように、とぎれることなく追っていく。カメラの焦点(中心)は手、血、だらりとした感じ、微笑とさまようが、「彼」そのものからは外れることがない。「折りたたみの財布」とわざわざ財布の形状を描写しているのは、「ぼくら」の視線が、そういう細部までもしっかり見ている、「彼」に釘付けになっているという証拠である。細部の的確なアップによって、「場」の緊張感がくっきりと浮かび上がる。カメラは細部をとらえるように見えて、ほんとうは「場」の「空気」をとらえているのである。リッツォスのことばは細部をとらえているようで、ほんとうは「場」の「空気」をとらえているのである。
 最後の2行がすばらしい。

それから、ちいさなコーヒー茶碗にひびが入った。
少なくともこちらのほうははっきり聞こえた。

 「彼」がいるあいだ、「ぼくら」は「視線」そのものになっている。「視線」で状況を判断しよう、理解しようとしている。そのため「聴覚」が封じこめられている。それほど「場」は緊張しているのである。
 「彼」が出て行った。ほっとする。「視線」で追いかけるものがなくなって、緊張がとけて、「聴覚」が戻ってくる。そしてコーヒー茶碗にひびが入るときの、かすかな音を聞き取ってしまう。これは耳を澄まして聞くのではなく、自然と聞き取ってしまうのだ。緊張も人間の感覚をとぎすますだろうけれど、解放が感覚を広げるときもあるのだ。



 映画について書いたので、もう少し追加。
 この詩に見られるような鋭い視覚と聴覚の関係は、テオ・アンゲロプロスよりも、スペインのビクトル・エリセが近いかもしれない。「みつばちのささやき」の抑制の聞いた音楽--映像の奥からふっとわいてくる音楽をふと思い出した。
 リッツォスの詩は、カメラだけではなく、音も映画的に動く。





清陰星雨
中井 久夫
みすず書房

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