詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

リッツォス「証言A(1963)」(5)中井久夫訳

2008-10-24 00:12:36 | リッツォス(中井久夫訳)
感覚の階調   リッツォス(中井久夫訳)

陽は沈んだ。桃色。蜜柑色。海は暗い青緑。遠くにボートが一隻。
揺れる黒印。立ち上がって叫ぶ者一人。「ボート、ボートだ」
コーヒーハウスにいた連中は椅子から立って眺めた。
確かにボートだ。だが叫んだ者は
悪事でもしたように他の者の後に随いて、
うつむき、つぶやいた、低声で--「嘘を吐いた・・・」。



 情景はあざやかに浮かび上がる。特に1行目の色の対比が美しい。「陽は沈んだ。桃色。蜜柑色。」この段階では、その「色」がどこにひろがっているか、はっきりとはしない。はっきりさせないまま、ただ「色」だけをあざやかに浮かび上がらせる。そして「海は黒い青緑。」このことばがあらわれて、先の「色」が海と向き合った空の色、空気の色であることがわかる。この、視線の動きが、映画の「カメラ」のように感じられる。陽は沈む。その沈む陽とは逆に、カメラは空中を彷徨う。空気のなかにのこる色を彷徨う。そのカメラが、雲や空気を映しながらしだいに水平線に下がってきて、そこに海。「暗い青緑」。この対比の素早い動きが、とても気持ちがいい。
 こんな美しい風景のなかには、自然以外の何かがほしくなる。たとえば、ボート。
 それがどんな形であれ、自然ではない何か。人間の仕事がからんでいる何か。ボートはそういうものだと思う。

 だれかが叫ぶ。「ボート、ボートだ」。それはほんとうにボートが見えたからというより、ボートが見たかったからなのだ。
 ことばは、こういうとき、残酷である。
 ことばは、ときとして、まだ存在しなかったものを現実へと呼び寄せてしまうときがある。叫んだものは、ほんとうにボートを見たから「ボート、ボートだ」と叫んだのではない。ところが、叫んだ瞬間、実際にはるかな水平線からボートの影があらわれたのだ。
 嘘が現実になった。嘘のことばが現実になった。--それは、嘘が見破られたときよりもかなしい。嘘は嘘であってこそ、美しいのに。
 叫んだ者は、詩人は、絶望する。「嘘を吐いた……」、と、結果的に、真実を語ってしまったことを悲しむ。

 この変化が感覚の階調である。




治療文化論―精神医学的再構築の試み (岩波現代文庫)
中井 久夫
岩波書店

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俵万智「かーかん、はあい」ほか

2008-10-24 00:07:42 | その他(音楽、小説etc)
俵万智「かーかん、はあい」ほか(「朝日新聞」2008年10月22日夕刊)

 俵万智「かーかん、はあい」には、「子どもと本と私」というサブタイトルがついている。子どもに本を読み聞かせる。そのときの子どもの反応、俵の感想をつづったものだ。そこに、感動的な文章があった。

 一番笑ったのは「夜の事件」という作品。冒頭の「そのロボットは、よくできていた。」という一文には、面食らって「え? なに、そのロボットって・・・」と、訝(いぶかし)しそうにしていた。思えばこれは、かなり大人の文体だ。
  (谷内注・俵が引用しているのは星新一作、和田誠絵「きまぐれロボット」。子どものことばの「その」には傍点がある。)

 「その」は先行する何かを前提としている。文書を「その」ではじめるのは反則である。反則を承知で「その」と書き始める。読者の意識をひっかきまわす、活性化するためである。
 感動的なのは、そういう「ひっかけ」に子どもが反応して、「その」にきちんと疑問をぶつけていることだ。え? 子どもって、こんなにことばの決まりに敏感なのか? たぶん、俵の読み聞かせが、そういう敏感な子どもを育てたのだ。
 また、そした反応をきちんと受け止め「これは、かなり大人の文体だ」とすばやく反応しているのも、俵言語感覚の敏感さを浮き彫りにしている。
 敏感な言語感覚は、敏感な言語感覚の親によって育てられるのだ。あたりまえのことなのかも知れないが、感動してしまった。



 アーサー・ビナード、木坂涼(選・共訳)「詩のジャングル」は、エミリー・ディキンスンの「秋の朝」を取り上げている。

朝が、前よりも遠慮(えんりょ)しながら
やって来るようになった。木の実は
だんだん茶色くなって、クロイチゴも
キイチゴもほっぺがふくらみ、バラの花は
旅に出て、しばらく帰ってこないはず。

カエデの木は派手なスカーフを巻き、野原も
赤いフリルのついたドレスを着始めた。
この流行に遅(おく)れてしまわないように
わたしもなにかアクセサリーをつけよう。

この作品に、2人は、次の感想を添えている。

 春夏秋冬の服の流行も巡るが、ファッションは周りの人間だけに合わせていると、だんだん鬱陶(うっとう)しくなる。自然界はもっと頼もしい、生きたセンスに満ちていて、遊び心の源はそこにある。

 「頼もしい、生きたセンス」の「頼もしい」ということばの選択に木坂の視線を感じた。「頼もしい」ということばはこういうときに使うのだ、と教えられた。感動してしまった。
書き出しの「前よりも遠慮しながら」という訳にも感動した。繊細でやわらかい。ここにも木坂の視線を強く感じた。


プーさんの鼻
俵 万智
文藝春秋

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五つのエラーをさがせ!―木坂涼詩集 (詩を読もう!)
木坂 涼
大日本図書

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