感覚の階調 リッツォス(中井久夫訳)
陽は沈んだ。桃色。蜜柑色。海は暗い青緑。遠くにボートが一隻。
揺れる黒印。立ち上がって叫ぶ者一人。「ボート、ボートだ」
コーヒーハウスにいた連中は椅子から立って眺めた。
確かにボートだ。だが叫んだ者は
悪事でもしたように他の者の後に随いて、
うつむき、つぶやいた、低声で--「嘘を吐いた・・・」。
*
情景はあざやかに浮かび上がる。特に1行目の色の対比が美しい。「陽は沈んだ。桃色。蜜柑色。」この段階では、その「色」がどこにひろがっているか、はっきりとはしない。はっきりさせないまま、ただ「色」だけをあざやかに浮かび上がらせる。そして「海は黒い青緑。」このことばがあらわれて、先の「色」が海と向き合った空の色、空気の色であることがわかる。この、視線の動きが、映画の「カメラ」のように感じられる。陽は沈む。その沈む陽とは逆に、カメラは空中を彷徨う。空気のなかにのこる色を彷徨う。そのカメラが、雲や空気を映しながらしだいに水平線に下がってきて、そこに海。「暗い青緑」。この対比の素早い動きが、とても気持ちがいい。
こんな美しい風景のなかには、自然以外の何かがほしくなる。たとえば、ボート。
それがどんな形であれ、自然ではない何か。人間の仕事がからんでいる何か。ボートはそういうものだと思う。
だれかが叫ぶ。「ボート、ボートだ」。それはほんとうにボートが見えたからというより、ボートが見たかったからなのだ。
ことばは、こういうとき、残酷である。
ことばは、ときとして、まだ存在しなかったものを現実へと呼び寄せてしまうときがある。叫んだものは、ほんとうにボートを見たから「ボート、ボートだ」と叫んだのではない。ところが、叫んだ瞬間、実際にはるかな水平線からボートの影があらわれたのだ。
嘘が現実になった。嘘のことばが現実になった。--それは、嘘が見破られたときよりもかなしい。嘘は嘘であってこそ、美しいのに。
叫んだ者は、詩人は、絶望する。「嘘を吐いた……」、と、結果的に、真実を語ってしまったことを悲しむ。
この変化が感覚の階調である。
陽は沈んだ。桃色。蜜柑色。海は暗い青緑。遠くにボートが一隻。
揺れる黒印。立ち上がって叫ぶ者一人。「ボート、ボートだ」
コーヒーハウスにいた連中は椅子から立って眺めた。
確かにボートだ。だが叫んだ者は
悪事でもしたように他の者の後に随いて、
うつむき、つぶやいた、低声で--「嘘を吐いた・・・」。
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情景はあざやかに浮かび上がる。特に1行目の色の対比が美しい。「陽は沈んだ。桃色。蜜柑色。」この段階では、その「色」がどこにひろがっているか、はっきりとはしない。はっきりさせないまま、ただ「色」だけをあざやかに浮かび上がらせる。そして「海は黒い青緑。」このことばがあらわれて、先の「色」が海と向き合った空の色、空気の色であることがわかる。この、視線の動きが、映画の「カメラ」のように感じられる。陽は沈む。その沈む陽とは逆に、カメラは空中を彷徨う。空気のなかにのこる色を彷徨う。そのカメラが、雲や空気を映しながらしだいに水平線に下がってきて、そこに海。「暗い青緑」。この対比の素早い動きが、とても気持ちがいい。
こんな美しい風景のなかには、自然以外の何かがほしくなる。たとえば、ボート。
それがどんな形であれ、自然ではない何か。人間の仕事がからんでいる何か。ボートはそういうものだと思う。
だれかが叫ぶ。「ボート、ボートだ」。それはほんとうにボートが見えたからというより、ボートが見たかったからなのだ。
ことばは、こういうとき、残酷である。
ことばは、ときとして、まだ存在しなかったものを現実へと呼び寄せてしまうときがある。叫んだものは、ほんとうにボートを見たから「ボート、ボートだ」と叫んだのではない。ところが、叫んだ瞬間、実際にはるかな水平線からボートの影があらわれたのだ。
嘘が現実になった。嘘のことばが現実になった。--それは、嘘が見破られたときよりもかなしい。嘘は嘘であってこそ、美しいのに。
叫んだ者は、詩人は、絶望する。「嘘を吐いた……」、と、結果的に、真実を語ってしまったことを悲しむ。
この変化が感覚の階調である。
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