財部鳥子「えひもせすん」、池井昌樹「甃」(「鶺鴒通信」夏号、2009年07月01日発行)
財部鳥子「えひもせすん」は美しい。この作品には「祖父」が出てくるのだが、その祖父は「わたし」(財部)がほんとうに見た姿なのか、それとも伝聞で聞いた姿なのか、よくわからさない。そして、その「よくわからない」こと、「現実」と「伝聞」の区別がつかないということのなかで、「真実」になるということが、その美しさなのである。
青田を吹く風は
音もなく後ろ山からやってきて
ひそひそと笑いながら広がっていた
水音ばかりひびく係累の故里
あさきゆめみし
えひもせすん
木蓮の低いひくい枝に
ひるまの仕事に汗びっしょりの
じゅばんが一まい干してある
袖無しだった
乾いたらそれをはおって
祖父はまた木を挽きはじめるだろう
じゅばんは干されほされて
汗の塩噴き おもくかたくなっている
わたしが返り血のように抱きしめる
かれの木挽きのしごと
初夏の丘へのぼって
水音だけのしずかな村を見わたすと
木の間隠れに白いじゅばんを見つけてしまう
るりは るりは
祖父に会ったことはないけれど
えひもせすん
財部が書いていることが現実かどうかよくわからないのは、たぶん、そこに「うた」の調子がまじっているからだろう。
「うた」の調子というのは、2連目の「低いひくい枝」「じゅばんは干されほされて」というようなことばの繰り返しのリズム、繰り返しのことをいう。
そして、その繰り返しは、いま引用した1行のうちの、同じことばという形をとくだけではない。
1連目の「あさきゆめみし/えひもせすん」は「いろはうた」。その「うた」は財部が彼女自身のことばでつくった「うた」ではなく、語り伝えられた「うた」である。その「うた」を引用するという形で繰り返すとき、財部は、「ひとびと」の記憶をくりかえしていることになる。他人の記憶を引用し、繰り返すから、それが財部の見た現実か、それとも他人の見た記憶(つまり、伝聞)かわからなくなるのだが、それは悪いことではない。美しいことである。引用し、繰り返すことで、財部は「ひとびと」と一体になる。その「ひとびと」は「係累」である。財部は、祖父を通じて、血のつながる「一族」と一体になる。「祖父の記憶」をとおして、「一族」になる。「故里」そのものになる。
「故里」のひとびとはひたすら働く。汗がじゅばんに染みこんだら、そのじゅばんを脱いで干す。そしてじゅばんが乾くまでは休むけれど、じゅばんが乾けばまたそれを着て働きはじめる。繰り返し干されるじゅばんは汗のなかの塩のために「おもくかたく」なる。それほどまでに働く。そうやって「故里」そのものをつくってきた。
初夏の「故里」へかえるたびに(現実に、か、夢のなかで、かはわからないが)、財部は、その「祖父のじゅばん」を見る。それは現実か、伝聞で聞いた人の話かわからないが、それが見える。祖父のじゅばんを見つけてしまう。そして、それが財部自身の(財部だけの)「記憶」ではないと知ったとき、彼女はもういちど「変身」する。「故里」の「ひとびと」、「係累」(一族)ではなく、「故里」にいる鳥、「るり」に。
「るり」になって、財部は「故里」へ帰っているのだ。「故里」に帰ったとき、財部は「るり」になる。そして、実際には会ったことはないけれど、何度もことばのなかで、繰り返される「うた」のなかで会っている祖父の、真っ白なじゅばんを見る。木の枝に干されたじゅばんを。
それは、「ゆめ」の帰郷である。
あさきゆめみし
えひもせす
*
池井昌樹「甃」もまた、繰り返される「うた」である。繰り返すことで、池井は池井自身でありながら、池井ではない存在、繰り返しのなかでいきている「いのち」になる。池井の場合、繰り返される「いのち」とは「詩人」のことである。
おまえのうまれるはるかむかし
ここにはしじんがくらしていた
しじんといってもなんのことやら
かいもくおれにはわからなかった
よつゆにぬれたいしだたみ
よちよちあるきのてをひいて
すあしのままで
たのしげだったなああれは
いつしかぼうやはいなくなり
さんざんまわりにうとまれた
しじんもいつしかいなくなり
きのどくだったがさっぱりとした
さっぱりとした
ひばちのはいをならしながら
はなしてくれたそのひとも
とおのむかしにいなくなり
あたりはかわってしまったけれど
このいしだだみはかわらない
よつゆにぬれたいしだだみ
すあしのままで
あのひのように
あのひ あのとき だれからも
わすれさられたわたしのほねが
しらじらとまだ
とんがっていて
「あのひ」と変わったものと、変わらぬものがある。変わらぬものを「核」にして、「うた」は繰り返され、繰り返されることで「いのち」になる。「いのち」につながる。その「つながり」こそが、この世の変わらぬものなのだ。
--というのは、はかない「ゆめ」だろうか。ゆめであっても、いい。
あさきゆめみし
えひもせすん