詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

誰も書かなかった西脇順三郎(26)

2009-07-12 08:18:45 | 誰も書かなかった西脇順三郎
 
 『旅人かへらず』のつづき。

一八
白妙の唐衣(からごろも)きる松が枝に
ひよどりの鳴く夜は淋し

 短歌のようなリズムである。最後が字足らず。そのままにしているところが西脇らしさかもしれない。短歌(和歌)になってしまうことろを、あえてリズムを壊すことで踏みとどまる。
 しかし、その工夫(?)は工夫として、このことばの動きには万葉の音楽がある。何度も書いてしまうが、西脇の音の美しさは濁音の美しさである。聞いてというようりも、黙読するとき、肉体のなかに響く音楽。喉、舌、口蓋がいつも気持ちがいい。
 「白妙の」は「しろたえの」と私は読む。「しらたえの」だと音が軽すぎる。「しろたえの」と読むと「からごろも」の「ごろも」の音ととても気持ちよく響きあう。

一九
桜の夜は明けて
にはとりの鳴く
旅立つ人の泣く

 この「一九」を読んだ瞬間、私は、一瞬驚く。ちょっと混乱する。
 「一八」の2行目。「ひよどりの鳴く夜は淋しい」の「夜」を私は「よる」読んでいるけれど、「一九」の「桜の夜は明けて」の「夜」は「よ」と読んでしまう。無意識に5音、7音へと動いてしまう意識が私にはあるのだ。そのリズムが肉体のどこかに染みついているのだ。
 西脇は、実際は、どんなふうに読んでいたのだろうか。

 「よはあけて」と5音に読んでしまうことと同時に、「よ」と読んでしまうのは、2行目、3行目の「の」の繰り返しも影響している。説明はできないのだが、「よ」と1音のときの方が「の」が読みやすい。響きあい--という観点から言うと、響きあわない。「よ」と「の」の音は遠く離れる。「よる」と「の」だとひっぱりあう。「よ」と「の」は反発しあって、遠くなる。そして、この離れていく、遠ざかるという印象が「泣く」を軽くしてくれる。「泣く」というセンチメンタルが、情に沈むのではなく、「わざと」書きました、という軽さになる。





西脇順三郎全集〈第1巻〉 (1982年)
西脇 順三郎
筑摩書房

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田原「海の顔」

2009-07-12 00:21:11 | 詩(雑誌・同人誌)
田原「海の顔」(朝日新聞、2009年07月11日夕刊)

 田原「海の顔」は、どこの海を描いているのだろう。比喩の振幅が大きく、とても不思議な気持ちになる。1 連目。

巨大な吸盤のように 海の顔は
ときに穏やかで ときに恐ろしく
波間に寛容と酷薄を同時に秘めている
繰り返し浜辺を濡(ぬ)らすその潮は
海の口から流れ出た涎(よだれ)

 「吸盤のように」の吸盤は、なんだろう。「吸盤のように」はなにを修飾しているのだろう。「ときに穏やかで ときに恐ろしく」を修飾しているのか、「寛容と酷薄を同時に秘めている」の「秘めている」を修飾しているのか。わからないので「吸盤」が、異様になまなましく浮かび上がる。巨大なタコかイカ、そのくねくねとした吸盤(あ、くねくねしたは吸盤ではなく、足か)を思い、そういう凶暴なものにも「寛容と酷薄」がある。ああ、そうかもしれないなあ。
 しかし、これは岸辺から眺める海とは違うなあ、とも思う。だか、田原の詩ではすぐ「浜辺」がでてくる。
 中国人だから? 中国人は大陸が背景にある。巨大な大陸が背景にあるので、日本人よりも巨大な海が見える。日本人よりも、海を「巨大」なものとして大陸に向き合わせる?
 とても不思議だ。海全体を「口」ととらえるのも大陸感覚というものだろうか。
 私などは、島国根性(?)なのか、どうしても陸地は海に浮かんでいる、と思うので、海は「口」にはならない。海を「口」と思うのは、大陸が(地球が、というべきなのか)、海を囲んでいる、大陸に開いた「穴」と想像するからだろうか。
 そして「涎」。だれの? 私は「赤ちゃん」の「口」と「涎」を想像するけれど、田原はもっと巨大な、乱暴な「存在」を思い描いているのだろうなあ、と思う。いずれにしろ、涎は「口」から、つまり人間の体のなかからこぼれる。「潮」が浜辺を濡らすのは、実は、人間の内部からあふれたものが肉体を(唇はもちろんだが、頬だとか、顎だとか、を)濡らすというのに似ている。
 「顔」というタイトルの影響かもしれないが、なんだか、海というよりも、人間の「顔」を、そして、その「顔」につながる「肉体」を思う。「肉体」の内部にあって、「肉体」からあふれてくるもの。--それが、「海」そのものと重なる。寛容と酷薄を同時に内包した「人間」が「海」に重なる。

 その「海」としての「肉体」にとって、あらゆるものは「餌」になる。
 2、3連目。

あらゆる船は海の餌
やさしいイルカも凶暴なサメも
海から昇り海に沈んでゆく太陽も
水葬される船乗りの魂さえも

たまに口を大きく開け海は
白い飛沫(しぶき)をあげて世間を罵(ののし)り
怯(おび)える (かもめ)は暗闇のなかに姿を消す
老木は倒れ 家々の屋根は飛ばされ
そして 虹の傘を広げ

 すべては「餌」。すべては、食い荒らす対象。そして、食い荒らし、それを「肉体」の一部にするとき、食べられたものは、「肉体」に昇華したともいえる。
 そうすると、不思議。
 「水葬される船乗りの魂さえも」が、とても美しく見える。船乗りの魂が、海に、海という肉体の一部になる。それは残酷かもしれないけれど、そんなふうに昇華してくれるというのは、やさしさかもしれない。たとえば、船乗りの白骨は海の肉体にはなりきれず白骨のまま海底に沈んでいる。けれど魂は青い青い潮になって、どこまでもどこまでも自由に動いていく。(ときには、涎になって、肉体の外へもあふれだす。)
 寛容と酷薄は、田原が書いているように「同時に」存在するものなのだろう。それは対立するものではないのだろう。
 3連目の、荒れた海と虹の関係が美しい。海が荒れない限り、その飛沫のなかに虹は立たない。おだやかに岸を洗いつづける海に虹は立たない。
 虹に象徴される「寛容と酷薄」の不分離、「同時」ということ。この「同時」こそが、田原の「キーワード」かもしれない。

地球に巻きつく水平線は海の髪
島は鼻 波は舌 暗礁は牙
でも 誰にも描くことはできない
あなたと私を見つめる海の全体は

 最終行の不思議さ。それは、「同時」を挿入すると(同時ということばの補助線を導入すると)、少しはわかりやすくなるかもしれない。(これは、その行を理解するために、私がむりやり「同時」ということばを、そこに挿入してみる、ということなのだが……。)
 田原の書いている最終行は、日本語として(?)、奇妙である。

あなたと私を見つめる海の全体は

 「あなたと私を見つめる海」の「見つめる」のつかい方、「を」のつかい方が奇妙である。海は何かを「見つめる」ということはできない。「目」がないからである。「あなたと私が見つめる海」と、「を」を「が」にすれば、日本語らしくなるけれど、それでは田原の詩とは違った世界になる。
 田原はなにを書こうとしているのだろう。

 ちょっと乱暴なことをやってみよう。
 最終行に、倒置法で書かれた前の行をつけくわえ、ふつうの書法に戻すと、

あなたと私を見つめる海の全体は/誰にも描くことはできない

 になる。
 そして、この「海」を「肉体」に戻してみよう。すると、

あなたと私を見つめる「肉体」の全体は/誰にも描くことはできない

 になる。この「肉体」のなかから、「海」が涎となってあふれることがある。また、その「肉体」のなかからさまざまなことばが飛び出し、世界をののしることもある。そのののしりのことばのなかに、ときに「虹」のように美しいものが立ち上がるときもある。
 その「肉体」は「髪」を持ち「鼻」を持ち、「舌」を持つ……。

 あ、「肉体」が、「海」が「女」に見えてくる。
 そして、その「女」の「海」への変化は、「あなたと私」が同時にいるときにのみ姿をあらわす「海」なのである。私が「あなたと私」を同時にみつめる(あなたを見つめ、あなたから見つめられる私に気がつく、という意味)。そして、あなたはあなたで「私とあなた」を同時に見つめる。(私をみつめ、私にみつめられるあなた自身に気がつく、という意味)。見つめ、見つめられるのは「同時」の行為である。
 そして、その「同時」の瞬間に、「海」がそこに存在するのだ。

 海は陸から一方的に見つめるものではない。また、陸も海から一方的に見つめるものではない。海と陸は同時に存在し、同時に存在することで海であり、陸である。こういう「同時」の関係、そのときのさまざまな動きは、その「同時」の当事者にしか描けない。

 これは、ラブソングなのだ。ラブレターなのだ。
 「あなた」は海。「海」はあなた。その顔は、いつもいつも変化する。そしてその変化は、いつも「わたし」と「あなた」が「同時に」存在するから起きる変化である。「同時に」というのは、このとき「同じ場所で」というのにひとしい。人間は「同時に」「同じ場所」にしか存在し得ないから。「同時に」「違った場所」に存在することはできないから。
 「あなた」という「海」がおだやかだろうと、荒れていようと、そのすべてが好き--田原は、そう書いているのだと思う。
 「同時に」ということばを補って読むと、そんなふうに読むことができる。

そうして岸が誕生した
田 原
思潮社

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