朝吹亮二「中国の思い出/の思い出」(「現代詩手帖」2009年07月号)
詩人はなぜ詩を書くか。ことばが思いがけずに動くからである。思いがけずといっても、何か隠れた理由があるはずである。そして、それを探して、探し出そうとしてことばは動く。
朝吹亮二「中国の思い出/の思い出」の書き出し。
中国の思い出
の思い出
という思いもかけぬ六文字と四文字の二行に分けられた言葉がふと浮かんでそれは音素のつらなりとしての聴覚情報と文字と句切れ行分けも含めたその配置の視覚情報とが一体となったものとして知覚されそれが脳裡から離れず次いで微弱ではあるが吉林省であるとか黒竜江省であるとか湖南省であるとかあるいは北京であるとか杭州であるとか上海であるとかいくつもの土地にまつわる名が浮かんでは消えていったがまたそれとともに絵はがき的な映像が恐らくは極めて陳腐なものに違いない映像が浮かんでは消えていったがそれは重要なことではない
中国の思い出
の思い出
という二行一〇文字の脈絡のなさがまず私を驚かせ次に(略)
詩のあとの方に出てくるが「中国の思い出/の思い出」というのは反復であり、入れ子構造をしている。反復があると、必然的に、そこには「間」が生じる。「間」があってはじめて反復になる。入れ子構造にも「間」がある。「隙間」がある。
この「間」が重要である。「隙間」が重要である。
ことばは、存在そのものとは合致しない。かならず「ずれ」というか、「ひとつ」のことばだけでは存在の全体をとらえきることはできない。どうしてもいくつかのことばが必要だが、そのいくつかというのは限りがない。どうしても(存在の全体)>(ことばの全体)という不等号の関係が生じてしまう。この不等号の、足りない部分が「間」である。そして、その「間」を埋めたいという欲望をもつかどうかが、人間を詩人であるか詩人でないかに分ける。
ことばはどうしても存在に追い付かない。わかっているけれど、いや、わかっているからこそ、ことばで存在に追い付きたい。さらには、ことばで存在を超越してしまいたい。ことばを存在が追いかけてくる--そういうところまで、ことばを動かしてゆきたい。そういう欲望を生きるのが詩人である。
ことばに先立って、書きたい「内容」があるのではない。
ことばが動いていって、「内容」がそれを追いかけるのである。だから、重要なのは「間」である。「間」がないと、動いて行けない。そして、その「間」がどんどん拡大し、そこにとんでもないもの(予想外の「内容」)が次々に雪崩込んでくるとき、それは輝かしい詩になる。
朝吹の詩の書き出しは、ことばが思い浮かんだと書いたあと、聴覚とか視覚とか、土地の名前とか、まだ、動いていく先を決められずにのたうっている。その、のたうちをそのまま書くことで、のたうちがつくりだす「間」をみつめる。それをさらに広げていこうとする。
そして、
中国の思い出
の思い出
未知の
性愛
の
ということばにまでたどりついて、そこから「中国」とは無関係になる。というか、最初に書いてあるたとえば黒竜江省とか北京というような、中国に行ったことのない人でも思いつくようなことがらとは無関係な世界へことばが動いていく。そして、そういう誰もが思い浮かべる中国とは無関係な世界が、それでは中国の思い出とは無関係であるかというとそうではなく、個人的に中国に深く関係していればどうしてもそこには性も含まれてきてしまうだろうし、誰もが知らない個人的なことがらだからこそ「思い出」と呼ぶにもあたいするのだが……まあ、そんな理屈はどうでもよくて……。
と、いいながら、その、どうでもいいこと(?)を利用して、「間」をぐいとさらに拡大する。そのときのことばの動き。「間」が「魔」にかわり、「魔」が「真」になるときがある。
ちょっと長いが、この詩のクライマックス(?)の途中を引用する。
ふたりの身体は蔦にからまれながらお互いはじめて繁茂してゆく蔦のように不可避的に性愛に没入する予感に包まれて悲劇的な性愛の深みにはまる予感に包まれてそもそも序曲は切れめなく終曲につづいていたし性愛と悲劇はいつだって同義だった性愛と終末はいつだって同義だったのだふと見せる未知の姿態
と続けることもできるだろう
あるいはまた
ボタニックなきらめきボタニックなかがやき壁の漆喰は色褪せて剥がれ落ち零れ落ち粒子となって浮遊する茎はくきくきのびる通路となって毛細管状に繁茂する通路となって空虚の泡玉を湧出する(略)
この途中に出てくる「あるいはまた」という1行。
これが美しい。これがすばらしい。ここに、私は感激してしまう。つまり、大笑いしてしまう。涙が出てしまう。ちょっと、笑いすぎて、笑っている内に、書きたいことを忘れてしまうそうになるのだが。
「中国の思い出」など、朝吹にとってはどうでもいいのだ。
ことばが動きはじめる。そしてそれは、結論にむかって一直線に進むのではなく、進めば進むほどずれる。ずれながら、ずれに足を引っぱられて繰り返しの中に落ち込みもするのだが、そこからぬけだすために、いままで書いてきたことをそのまま押し進めるのではなく、別の視点から出発し直す。ずれか位置からことばを動かしはじめ直す。
そのきっかけが、「あるいはまた」。
ことばに存在が追い付く--その瞬間に、ぱっと横道にずれ、「あるいはまた」と違うところからことばを動かし、存在が追いかけてくるのをからかう。「追いかけてきてごらんよ」と笑いながらかけだす。
いいなあ、このでたらめ。(いい意味での、でたらめ、つまり自由、ということです。)「中国の思い出/の思い出」という隙間をどんどん広げていって、みつけだした欲望が、ここにあふれている。輝いている。(その全体は「現代詩手帖」で確かめてください。)
朝吹のことばのいのち、「思想」は、「あるいはまた」なのだと思った。「あるいはまた」「あるいはま」とつづけていって、ことばをどこまでも動かす。どこまで動いていけるかやってみる。それが朝吹の詩だ。
「あるいはまた」はこの作品では、先に引用した部分に1か所登場するだけだが、読み返すと、あらゆるところに存在していることがわかる。
繰り返される「中国の思い出/の思い出」につづく句読点のない長い長い文章。それは、前の長い文書をに対して「あるいはまた」とつづけることができる。つまり、繰り返される「中国の思い出/の思い出」という2行は、すべて「あるいはまた」なのである。冒頭に「中国の思い出/の思い出」と書いたあと、長い長い文章書き、その段落ごとに「あるいはまた」と書いても、この詩のことばは同じように動く。
「あるいはまた」と「中国の思い出/の思い出」は、まったく同じものである。「中国の思い出/の思い出」という2行にひきずられて思いがけず詩を書き進めたという具合にこの詩は書かれているが、ほんとうは「あるいはまた」ということばの運動が書かれているのである。