『旅人かへらず』のつづき。
二七
古のちぎり
けいとうの花に
雨が降る頃
いくつかの古庭をすぎ
くさりかけた寺の門をくぐつて
都に近づいてきた
「けいとうの花に」の「けいとう」に美しさを感じる。いや、「雨が降る頃」に、美しさを感じるのかもしれない。区別がつかない。区別がつかないが、「けいとう」が重要なのだとわかる。夏のおわり、秋のはじめの季節の変化が美しいのはもちろんなのだが、「けいとう」という音が、この作品では、とても印象に残る。
「けいとう」は、声に出すと「けえとお」「ケートー」である。そののばした音の、長音のリズムと、「あめがふるころ」の「子音」の短さ。特に「ふる」の「ふ」、「ころ」の「こ」の、F、Kの短さが(その結果、「ふ」「こ」の音自体が短くなるけれど)、長音のリズムと対照的で、とても美しい。
「けいとう」ののんびりした(?)リズムは、「いくつかの」「くさりかけた」ということばにも引き継がれている。影響している。ことばの描く「絵」の変化の奥で、ことばの「音楽」は変化というより、共鳴している。
二八
学問もやれず
絵もかけず
鎌倉の奥
釈迦堂の坂道を歩く
淋しい夏を過ごした
あの岩のトンネルの中で
石地蔵の頭をひろつたり
草を摘んだり
トンネルの近くで
下から
うなぎを追つて来た二人の男に
あつたこんな山の上で
「あの岩のトンネルの中で」の「あの」は不思議なことばである。「あの」と書かれてはいるが、西脇の差し示す「あの」が「どの」なのかわからない。ここには、つまり、「意味」はない。
西脇は「あの」が「どの」なのか正確に伝えたかったわけではない。
この行では「あの」の「の」が美しい。西脇は「の」を多用するが、それは音にリズムをつくりだしている。「鎌倉の奥」から「の」がはじまり「あの岩のトンネルの中で」という行で3回繰り返される。このリズムが好きだ。
最後の3行のリズムががらりと変わるのもおもしろい。
「下から」という、それだけではなにを書いてあるのかわからない短いことばで場面を一気に変えるのだが、そこに「音」の、リズムの変化がある。それが「うなぎを追つて来た二人の男に/あつたこんな山の上で」という乱調の行渡りという形を生み出す。乱調の、というのは学校文法にとって乱調のという意味である。(学校文法では「うなぎを追つて来た二人の男にあつた/こんな山の上で」という倒置法になるだろう。)
「乱調」が、西脇のおどろきをくっきりと浮かび上がらせ、そこに、「淋しさ」を私は感じる。
5行目の「淋しい夏を過ごした」の「淋しい」は、この乱調の美を指して言っているのだと思う。
詩論 (定本 西脇順三郎全集)西脇 順三郎筑摩書房このアイテムの詳細を見る |