高橋睦郎『永遠まで』(12)(思潮社、2009年07月25日発行)
「永遠まで」はモンゴルを訪問した経験を踏まえて書かれて詩だ。短歌が冒頭に掲げられ、その歌をつづく詩が解説(?)するという形式の9つの部分から成り立っている。「モンゴルの詩人たちに」という副題がついている。
蒙古(もうこ)野(の)に朝の雪ふり愛惜(あたら)しきいのちを思へあたらその死を
夜遅く着いた 十月の初めの旅人に
今朝のこの国の 今年はじめての雪
雪の清浄な白はなぜか その上に散った
血のあざやかさを 幻視させる
この国近代の 今日までの八十年
流された無辜の おびただしい血
赤い英雄の赤とは けだし彼らの血
無名の数えきれない彼らこそ 赤い英雄
冒頭の歌には「いのち」と「死」が並列されている。同等のものとして書かれている。それが同等であるということを、つづく8行で解説している。「いのち」は死んでいくものである。そして、その「死」によって、新しい世界がつくられる。どんな歴史も、おびただしい血の犠牲の上に成り立っている。死だけが、世界を新しくする。
そのことを、高橋は、真っ白な雪をみて、感じた。雪が真っ白なのは、その大地に赤い血が流されたからだ。この大地が赤い血で成り立っているからだ--雪の白のなかに、いま、ここにはない赤を思い、そこから歴史の中で流された血を感じている。
「いのち」と「死」、「白」と「赤」。そのふたつは切り離すことができない。そういう切り離すことのできないものを、高橋は、つづく詩篇でいくつも書くのである。
野を拓(ひら)き大路を通し廈(いえ)連ね都となしし経緯(ゆくたて)は見ゆ
この丘から見渡す 都の全体は
建設八十年の現在も 急拵えの印象
それ以前は 包(ゲル)の集団ごと
百キロ 二百キロ 移動する都
さまよいつづける都だった という
そのことをもって 異形(いぎょう)とは片付けるな
さまようことこそ はるかに自然
人間じたい 生命じたい つねに
未生(みしょう)から生へ 生から死へ 死後へと
さまよう途中であることを思えば
現在のウランバートルはモンゴルの人にとって正しい(?)暮らしではない、と高橋は感じている。正当な暮らしではない、と感じている。定住せず、大草原を大きなゲルの集団が移動しつづける--それが本来の生き方ではなかったのか、と感じている。
移動しつづける(さまよいつづける)ことが、人間の「いのち」そのものだから。
高橋によれば、人間、生命は、「未生から生へ 生から死へ 死後へと/さまよう」存在である。その原型が、かつてのモンゴルの大移動にある、と感じている。
このことは、前後するが、その前の作品にも書かれている。
喉音に富む語音(ごいん)鋭(と)くかつ粘く食ひ入りにけり脳(なづき)深くも
アヨルザナ・グンアージャヴ
きみは 古代匈奴(フン)族の端正な容貌を
雪解けのモスクワ仕込みの ラフな瀟洒にきめて
口から出るのは 雨粒や草花の繊細
この齟齬(アンビバランス)は? それこそわれらの誤解?
きみの遠祖たちは 類いない繊細と豪胆で
またたく間に 両大陸を席捲
またたく間に 引いていった
その寡欲と大欲 新しさと旧さ
二つはたぶん 別のことではない
「またたく間に 両大陸を席捲/またたく間に 引いていった」その運動。「席捲する」ことをたとえば「未生から生へ」と見ることができる。「引いてい」くことを「生から死へ」と見ることができる。その「二つ」は「別のことではない」、つまり同じことだ。人間は、そんなふうに動いていく。それが「いのち」の原型である、と高橋はモンゴルの「過去」(歴史)に託して言うのである。
そして、先に引用した詩にもどれば、それにさらに「死後へ」が加わっている。
生まれて死んでいくだけでは不十分である。「死後」を生きることが大事なのだ。死後を生きるとは、自分の死後ではなく、他人の死を生きるということである。(自分の死はまだはじまっていないから、自分の死を生きることはできない。できるのは、せいぜい、自分を殺すことである。)
そして、他人の死を生きるとは、どんな他人を想定するかによって違うが、たとえば、モンゴルの「歴史」を例にとれば、自分が生まれる前の人々、「歴史の人々」を生きることである。そのとき「死後」と「未生」が同じものになる。
「未生から生へ」「生から死へ」が同じことであり、また「死後へ」と「未生から」が同じものになる。それは循環する。
その循環のなかに、「永遠」がある。
この「永遠」の「いのち」の形と日本人の「いのち」の形を高橋は比較している。そして、モンゴルの「いのち」の形に理想を託している。いや、日本人の「いのち」というよりも、詩の「いのち」を、モンゴルのさまよう「いのち」に託している。
散文が農耕ならば詩はけだし遊牧 天を指せとどまらず
けれど ぼくが帰ってきたのと ニッポン
その昔 元の大都に辿り着いたヴェネツィア人(びと)が
都大路の実体のない噂を 膨れあがらせ
でっち上げた黄金の国 そのじつ蜃気楼の 靄の国
もともと水草を追って 定耕することのない
かの国の いや かの国境(くにざかい)持たぬ遊牧の民にとって
大都が かりそめの栖(すみか)にすぎなかったように
われらも ここを故郷と思ってはいけないのだろう
詩という幻を追うことは 定住ではなく漂白
いつまで? 死ぬまで? 死んでのち
終ることない 気の遠くなる永遠まで
「死んでのち」というのは一種の矛盾である。死んでしまえば、その人に「死後」などない。「死んでのち」を生きるとは、実は、自分を「殺し」、そのうえで他人の「死後」を自分の生として引き受けることだろう。その運動に、終わりはない。なぜなら、自分を殺し、他人の死後を生きるとき、その他人の死後を生きるということが自分のいのちになる。あたらしい自分のいのちがそこに誕生する。そのいのちを詩人はふたたび殺さなければならない。この運動は永遠に終わることがない。
*
この詩に書かれていることは、「解説」ということばを思わずつかってしまったが、「意味」が強すぎる。高橋の言いたいことはよく分かるが、「意味」が強すぎて、少し窮屈である。それでも、この詩のタイトルを詩集の全体のタイトルにしていることを思うと、高橋は何がなんでも「意味」を明確にしたかったのかもしれない。
高橋の、詩への祈りのようなものが、ここにある。