詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

マーク・ハーマン監督「縞模様のパジャマの少年」(★★★)

2009-08-18 12:11:00 | 映画
監督 マーク・ハーマン 出演 エイサ・バターフィールド、ジャック・スキャンロン、デヴィッド・シューリス

 たいへん丁寧につくられた映画だ。ナチス将校の家庭の描写からはじまるが、どっしりしたベルリンの家の雰囲気がとてもいい。街並みの描写も美しい。戦争中だが、すさんだ印象はなく、どんな状況でも「日常」はそのままつづいていく。将校の昇進パーティーだが、その昇進を家族の全員が喜んでいるわけでもない(母親が怒っている、嘆いている)、というところに、この映画の視点がある。(将校の部下も反ナチスであることが、途中で描かれる。)人間の感性・思想は「一枚岩」ではない、ということは今でこそ当たり前だが、ヒトラー独裁政権下でも、そうした「日常」がある、とこの映画は描く。
 悲劇は、この「日常」から起きる。主人公ブルームはナチス将校の家庭の8歳の少年。彼は家の外で起きていることがわからない。戦争をしていることは知っているが、それがどういうことか分からない。ブルームにとっての「日常」は友だちと遊ぶこと、遊びだけが「日常」だ。
 その少年ブルームが「収容所」のフェンス越しに8歳の少年シュムールと出会う。収容所をブルームは「農場」と思い込んでいる。シュルームは、農家の少年だと思い込んでいる。父の昇格に伴い、ベルリンを離れ、「友だち」が誰もいないブルームは、シュムールと友だちになる。友だちといっても、フェンス越しにお菓子を渡し、会話をするだけである。ブルームは収容所で起きていることを正確には知らない。そのうえ、家で覗き見したナチスの宣伝映画をうのみにして、父親はユダヤ人に親切にしていると思い込んでいる。シュムールも収容所で起きていること、その事実をはっきりとは知らない。誰かがどこかへ行ったまま帰ってこない、という現象を漠然と知っているだけだ。
 そして、ブルームが引っ越すという、その日。シュムールのいなくなった父を探すために、ブルームは「縞模様のパジャマ」を着て(ユダヤの少年に変装して)収容所に潜りこむ。収容所が何かを知っていれば、シュルームが脱走するのだが、そこで行われていないブルーム、宣伝映画をうのみにしたブルームは、収容所の中へユダヤの少年としてはいりこく。そこで、悲劇が起こる。最後の最後まで、何が起きているのかわからないまま、「行進」し、「シャワー」を浴びる。
 ブルームがいないことに気づいた母が、そして父である将校が、懸命に探すが、収容所にたどり着いたとき、既にブルームは虐殺され、「パジャマ」だけが大量に部屋に残されている。どのパジャマをブルームが着ていたかもわからない、無数のパジャマが。
 この理不尽な悲劇。無垢、無知ゆえに善意の少年が無残な死を迎えるという悲劇の理不尽性。
 だが、理不尽であるだけに、私はかなり疑問を感じた。これでは、悲劇が少年一家に収斂してしまう。無垢な少年の悲劇は事実だけれど、無垢な少年がかわいそうでは、ホロコーストの事実が矮小化されないだろうか。製作者は、無垢な少年さえも巻き込んでしまうのが戦争だ、と主張するだろうけれど、違和感が残るのである。
 事実をどこまで子供に教えるか――というのは難しい問題だ。子供には残酷な事実は教えない、残酷さに耐えられる年齢になるまでは事実を隠す、というのは一つの「教育」方法だろう。その結果が招いた悲劇――そう捉えなおしてみても、違和感は消えない。
 この映画は、ドイツ人の涙を絞るだろうけれど、ユダヤ人にとっては、どううつるのだろう。ブルームがかわいそう、という気持ちはかわらないだろうけれど、そのかわいそうという気持ちで、ユダヤ人が味わった苦悩がいやされることはないだろう。ブルームは死んだ。だが、同時に死んだユダヤ人はブルームの家族全員よりもはるかに多い。家族の死を嘆く時間もなく、絶望する時間もなく、ただ苦しみのなかで死んでいった。誰もいなくなった小屋(小屋にしか見えない)のベッドにつるされた無数の縞のパジャマ。無念の、無数の人々の、描かれなかった「日常」はどうなるのだろう。その人たちは、かわいそうではないのか。
 どうしても、疑問というか、怒りのようなものが残る。

 そのことを別にすれば、この戦争中も、きちんと「日常」を維持するナチス将校の家庭。つましいというよりは豪華で美的にととのえられた「生活」。そして、戦争とは無関係に美しい田舎の緑。小川の流れ。透明な空気。そういう「非情」(人間の人情とは無縁の、という意味)な自然と人間の対比――そこに、悲しみが刻まれる映像の美しさは、胸に迫る。そういう自然をきちんと描いている点は、とても素晴らしいと思う。ブルームが、収容所まで行くシーン、そして最後に将校の父が、母が必死にブルームの追跡をするときの自然がまったく同じという「悲劇」――これは、ギリシャ悲劇のように美しい。



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今村秀雄「運河に沿って」、アレクセイ・パールシチコフ/たなかあきみつ訳「時刻表」

2009-08-18 10:52:52 | 詩(雑誌・同人誌)
今村秀雄「運河に沿って」、アレクセイ・パールシチコフ/たなかあきみつ訳「時刻表」(「coto」18、2009年07月25日発行)

 今村秀雄「運河に沿って」は散文詩である。行分けでは書けない、粘着力のあることばが後半に出てくる。

 「なんや、小人が酔ってわるいのか?」
 と、ののしる声に答えられず、私がその場から逃げ去るしかなかったのは、彼からの問いが正確に私の卑しい心を反映して、人ごみの商店街に浮かぶ、空虚な放心であったからだ。

 「彼からの問いが正確に私の卑しい心を反映して、」という文が、いったん「私」の肉体をくぐりぬける。そのくぐりぬけるときにひきずったものが、粘着力となって、次のことばにからまる。思わず読み返してしまうのは、その粘着力を、もう一度体験したいからである。書かれている「内容・意味」ではなく、ことばが粘着力を持つ、ということが大切なのだ。
 ことばが動いて、論理をつくる。その論理のなかに「意味・内容」がわかりやすいように整理される。--その運動は、さらりとしていて軽快なときもあるが、今村のことばは粘着力を持っている。そして、それが肉体の悲しさを伝えてくる。
 こういう粘着力を持ちつづけることは苦しい。しかし、持ちつづけなければならないと思う。だからこそ、最後の4行には、とても問題があると思う。
 今村は、せっかく到達した粘着力を脇へおしのけ、抒情にかえてしまう。

いつか二人で大きくなったらね
小さな汗の手で握りあって、どんな約束をしたのだろうか
見ろよ!カーンカーンと火花をちらせながら
夜の波間を進水して行く船

 ここが好き--というひともいると思うが、私は、ここは余分だと思う。「船」は書き出しに比喩としてつかわれている。(大きな船みたいな工場)。船をもう一度登場させることで、ことばを円還にとじこめ、完結したかったのだろうけれど、散文の精神というのは基本的に完結しない。ただ、いま、ここを破っていくだけである。
 粘着力を持ったまま「破る」「突き進む」というのはとてもたいへんなことだ。
 そのたいへんなことをやったのだから、それはそのまま、破って、突き進むしかないのである。円還にしてしまっては、破り、突き進んだかいがないだろうと思。



 アレクセイ・パールシチコフ/たなかあきみつ訳「時刻表」は、ことばが動き、論理を獲得することで粘着力を持つというよりも、文になる前に、ことばが粘着力を持っている。書き出しの4行。

海上の雨粒は柄を下むきにしたネジまわしよりも大きい。
軟弱な沖積地にある敷地と明確な境界のない全景。
彼女のながいレインコートは木立をぬいつつ色あいを変える。
彼女における将校の一列横隊に似たなにか--いくつもの楕円と睫毛が回転中に。

 ことばの粘着力は、ことばそのものが「過去」を持っているからである。たとえば「雨粒」の比喩。「下むきにしたネジまわし」。これは、アレクセイ・パールシチコフがじっさいにネジ回しをつかったことがあるという「過去」をもっている。ネジ回しをつかうときは、その上下を気にする。意識する。もしかすると、ネジを回すだけではなく、釘を打つのに柄の部分をつかったことがあるかもしれない。「過去」によって、ネジ回しがリアリティーをもち、その結果として雨粒にリアリティーが出てくる。
 比喩、とは、いま、ここに存在しない何かをつかって、いま、ここにあるものを語ることだが、アレクセイ・パールシチコフの比喩は、明確な「過去」をもっている。「過去」の時間をもっている、と言いなおせばいいだろうか。その「過去」の明確さのことを、私は「単語(ことば)そのものの粘着力」と呼びたいのだが。
 一番わかりやすいのが、4行目の「彼女における将校の一列横隊に似たなにか」というときの、「将校の一列横隊」という比喩。そこには彼女が見てきた「時間」がある。「時間」をかかえこむから、粘着力が出る。
 2連目。その1行目。

--わたしはうんざりした、--と彼女は言う、--塵まみれの車輪、宝籤の人質であることに。

 「わたしはうんざりした」。その突然の声の奥にある「過去」。それは具体的に説明されるわけではないが、説明しないことで、逆に「過去」という時間の存在だけを強烈に投げかけてくる。
 この強烈さに拮抗するために「塵まみれの車輪、宝籤の人質」という比喩が採用されるのだが、このことばも、説明を省いた「過去という時間」だけを投げつけてくる。そうやって、「過去の時間」がべたべたと粘着力を持ったまま、いま、ここにからみついてくるので、現実が、つまりいま、ここが「過去」とは切り離せないものであることがつたわってくる。そして、そんなふうに「過去」に現在が蹂躙されるという苦悩がどうしようもない力で目の前にあらわれてくる。
 こういう詩を訳すときは、きちんと「歴史」を知らないと、ことばが動かないだろうなあ、と思う。ことばのひとつひとつが、強い力で存在しているのを読むと、たなかはきっと歴史をちゃんと踏まえているに違いないとわかる。アレクセイ・パールシチコフの来歴など、私は何も知らないが、それらしいものが見えてくる。感じられてくる。たなかの訳は、そういう「過去」を感じさせる訳である。




ピッツィカーレ―たなかあきみつ詩集
たなか あきみつ
ふらんす堂

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誰も書かなかった西脇順三郎(61)

2009-08-18 07:14:43 | 誰も書かなかった西脇順三郎

 『旅人かへらず』のつづき。

一四四
秋の日のよろめきに
岩かどにさがる
妖霊の夢
たんぽぽの毛球
半分かけた
上弦の夢うるはし

 「岩かどにさがる」の「か行」の動き、「妖霊の夢」の「や行」の動きも愉しいが、最後の2行の「は行」が愉しい。現代仮名遣いでは「は行」が浮かび上がらないかもしれないけれど、あ、「うるわしい」は「は」だったのだ、「は」の音は冒頭以外は「わ」になるのが日本語の規則だった……などと、思い出してしまったが。
 ここでは、絶対に、西脇は「は行」にこだわっている。
 その証拠。
 「半分かけた/上弦の夢うるはし」の「上弦」は「上弦の月」であるだろう。上弦の月は半分欠けているに決まっている。(下弦の月もだが)。その誰が見ても半分かけている上弦の月を「半分かけた」と書くのは「はんぶん」の「は」の音を印象づけたいためなのである。

一四五
村の狂人まるはだかで
女郎花と蟋蟀をほほばる

 この2行では、「蟋蟀ほほばる」という音を西脇は書きたかったのだ。「蟋蟀」は旧かなで書けば「こほろぎ」。「ほほばる」の「ほ」が出てくる。そして、「ほほばる」の2度目の「ほ」と「こほろぎ」の「ほ」は、口語にしてしまうと、つまり声に出してしまうと、ともに「お」になる。
 「一四四」の「半分」と「うるはし」では音は微妙に違ったが、「蟋蟀」と「ほほばる」では、音が完全に重なる。
 西脇は、ことばで音楽をやっているのだ。


続・幻影の人 西脇順三郎を語る

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