詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

金堀則夫「ひめくり」

2010-03-11 16:14:26 | 詩(雑誌・同人誌)
金堀則夫「ひめくり」(「石の森」154、2010年03月01日発行)

 金堀則夫「ひめくり」は「日めくり暦」によせて書かれた詩である。

きょうのひも
つぎのひも そのつぎのひも
にちじょうがある わたしがある
めくる手は
空爆か
空白か
空気がめくれない
地球をひっくりかえす
手もない
わたしのにちじょう
あのひとたちとのひびがつづくなら
こわかったり むごかったり
わたしのひはつづかない
つづかないから ひとがめくっていく
そしていつまでもひはつづいていく

 ひらがなと漢字が交錯して、私は「誤読」する。「くうばくか/くうはくか/くうきが」めくれない。なにかが「いま」「ここ」にあるものの奥でつながっている。その不思議な印象が、ひらがなだけで書かれた時よりも、強くなる。漢字を「見る」ことが、「音」を覚醒させる。そして、その覚醒が、見えなくてもいいものまで浮かび上がらせる。
 「あのひとたちとのひびがつづくなら」は漢字交じりで書けば

あのひとたちとの日々がつづくなら

 となるのだろうけれど、私は、何度も何度も、

あのひとたちとの罅(ヒビ=亀裂)がつづくなら

 と読んでしまうのだ。「空爆」「空白」「空気」は、ひととひとの「ヒビ(亀裂)」である。それは大きい時戦争になり、空爆がある。関係が途絶え、関係の「空白」がある。あるいは、そこまでいかないまでも「空気の読めない」という印象がのこる冷めた感じ・・・。「日々」が「ヒビ」にすりかわって、「日」と「日」の間の、その「ヒビ」から何かが漏れる、こぼれる。
 でも、「日めくり」をめくる「手」がどこかにあって、「日」は生まれ変わりながらつづいていく――という事実(?)のなかで、その印象はどんどん強くなる。「日」が増える(?)というか、そういう「日」が積み重なり、「日」が「月」になり、「年」になるとき、「ヒビ」は増幅する。拡大する。

わたしのまえにある ひは
ひでない ひ
めくれていない すぎていない
にちじょうがある
 
 続いていくカレンダーのなかの「日」。すぎていく「日」その「日」と「日」のなかに、日常がある。ひととの付き合い、交流がある。日常には「ひと(人)」が隠れている。「日と日」は「人・日」である。「ひと」がいるから「ヒビ」も生まれる。
 さらに。
 私は、さらに「誤読」する。
 「日とひ」は「日・問ひ(とひ)」でもある。「日々の問い」それが「日常」。常の、つまり、かわることのない「日」。「日」の「問い掛け」。問いとしての、詩――それが、この作品を動かしている。






かななのほいさ―詩集
金堀 則夫
土曜美術社出版販売

このアイテムの詳細を見る
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

谷川俊太郎「父の死」と「臨死船」(1)

2010-03-11 00:00:00 | 詩集
谷川俊太郎「父の死」と「臨死船」(1)

 谷川俊太郎「父の死」(「現代詩手帖」1990年01月号初出、『世間知ラズ』思潮社、1993年05月05日発行)は、私の一番好きな詩だ。20年前に「現代詩手帖」で読んだときも、それから3年後に詩集に収録されているのを読んだときも、いま読み返しても、そのときの印象が何一つかわらない。ふつう、どんな本でも読み返すと印象が変わるけれど、ほんとうに何一つかわらない。かわりようがない。
 正直である。ことばが、正直だからである。この作品の、ことばの正直さに匹敵するのは、私の読書体験のなかでは、森鴎外『渋江抽斎』だけである。

私の父は九十四歳四ヶ月で死んだ。
死ぬ前に床屋へ行った。
その夜半寝床で腹の中のものをすっかり出した。

 三十七年如一瞬。学医伝業薄才伸。栄枯窮達任天命。安楽換銭不患貧。これは渋江抽斎の述志の詩である。想ふ天保十二年の暮に作つたものであらう。弘前の城主津軽順承の定府の医官で、当時近習詰になつてゐた。しかし隠居附にせられて、主に柳島にあつた信順の館へ出仕することになつてゐた。父允成が致仕して、家督相続をしてから十九年、母岩田氏縫を喪つてから十二年、父を失つてから四年になつてゐる。

 それぞれの作品の冒頭である。余分なことが何も書いてない。「正直」は、まず、そういうところから出発している。脇道をしないのだ。まっすぐに書く。
 書くということは不思議なもので、どうしても「余分」なことを書く。(これは私だけで、ほかのひとは書かないかもしれないが、私の経験から言えば、どうしても余分なことを書く。)あからさまに言えば、かっこよく書こうとする。こんなふうに読んでもらいたい。いい印象を与えたい。よく思われたい--というような「見え」のようなものがどうしてもでてきてしまう。それは「自然」か、それとも「わざと」かはわからないが、出てきてしまう。
 そういうことが、谷川の詩と、鴎外の文章には、ない。ふたりのことばには、「わざと」がない。

 「わざと」はないかもしれない、けれど、谷川の詩には、脇道がある、余分なことがある、という見方もあるかもしれない。父・谷川徹三の死を書いているのだが、たとえば。

人が集まってきた。
次々に弔電が来た。
続々花篭が来た。
別居している私の妻が来た。私は二階で女と喧嘩した。

 この喧嘩した女は、谷川がいま同棲している女である。その女が、別居している妻がやってきたことで、あれやこれやを言い、それがもとで喧嘩したということだろう。これは、父の死というより、「私(谷川)の生」である。父とは関係ない、谷川の生である--という見方があると思う。
 だが、私には、それが「脇道」には感じられないのである。

 「人が集まってきた。/次々に弔電が来た。/続々花篭が来た。」これら、つぎつぎに「来た」ものは、すべて「父の死」をとおってやってきた。「いま」「ここ」にないものが「父の死」をとおることで、「いま」「ここ」にやってきた。それは「人」や「弔電」や「花篭」という形をとっているが、それは「人」や「弔電」や「花篭」ではなく、「父の死」なのである。
 色即是空。空即是色。そういうことばがあるが、その「色」と「空」の関係が、「父の死」と「人」や「弔電」や「花篭」の関係なのだ。
 そして、つぎにやってきた「別れた妻」もまた「父の死」なのである。「父の死」が「別れた妻」という「色」(具体的な存在)として、「いま」「ここ」にあらわれてくる。そのとき、その「別れた妻」は「人」「弔電」「花篭」とまったく同じである。同じであるからこそ、「きた」「来た」という同じ「動詞」でくくられる。同じ動きをするものは、おなじもの。「即・是」の「運動」が「来た」のなかにあるのだ。
 その同じ「運動」が、「いま」「ここ」から少しちがった場所、「二階」「同棲している女」という「場」に響いてくると、そこに「喧嘩」ということが、おのずと「あらわれてくる」のである。
 谷川は何もしていない。「父の死」とただ向き合っている。そうすると、いろいろなものが「あらわれてくる」。ただそれだけてある。そして、その「あらわれてくる」ものに対して、その「運動」に対して、谷川は何もしない。ただ、その「あらわれてくる」もの、「運動」に手を加えずに、ことばにする。
 それは鴎外が渋江抽斎の「人生」、渋江抽斎というひとりの人間の「運動」になんの手も加えず、ただ渋江抽斎に属するものだけをことばにするのと、そっくりである。

夜になって子どもみたいにおうおう泣きながら男が玄関から飛びこんで来た。
「先生死んじゃったァ、先生死んじゃったよォ」と男は叫んだ。
諏訪から来たその男は「まだ電車あるかな、もうないかな、ぼくもう帰る」と
泣きながら帰っていった。

 この男はだれなのか、まったくわからない。わからなくていいのだ。大切なものは、「いま」「ここ」に存在しなかったものが、「いま」「ここ」に「来た」ということ。「いま」「ここ」以外から、「いま」「ここ」に「来た」。「いま」「ここ」に「あらわれる」。あらわれた瞬間、その男からは、「先生死んじゃったぁ」ということばが「あらわれる」。
 そして、それらはただ「あらわれる」のではない。
 「あらわれる」ことによって、谷川と「ひとつ」になる。その男は「諏訪から来た男」であるだけではなく、谷川の前で泣き叫ぶことによって、谷川になる。いや、その男を見た瞬間、谷川はその男に「なる」。
 色即是空。空即是色。それは「なる」ということなのだ。
 だから、「私は二階で女と喧嘩した。」と谷川が書くとき、それは谷川と女が喧嘩しているだけではなく、別居している妻と女が喧嘩することでもあり、同時に別居している妻と谷川が喧嘩することでもある。その「喧嘩」そのものが谷川に「なる」。
 
 「たんだん忙しくなって何がなんだかわからなくなってきた。」という行が途中にあるのだが、「何がなんだかわからない」とは、いろいろなものが「ひとつ」になっているからである。「ひとつ」でありながら、また「複数」でもあるのだ。
 「父の死」という「ひとつ」のことが、「人」や「弔電」や「花篭」や「別居している妻」や「諏訪から来た男」になる。その複数(多)のなかに、いつも「一(ひとつ=父の死)」がある。
 一即是多。多即是一。こんなことばがあるかどうか知らないが、そのときの「即・是」の結びつきが「正直」である。正直でないと、「色即是空。空即是色。」「一即是多。多即是一。」という運動が成り立たないのだ。余分な「思い」が紛れ込む、邪心(?)が紛れ込むと、この関係は成り立たないのだ。

天皇皇后から祭●料というのが来た。袋に金参万円というゴム印が押してあっ
た。
天皇からは君一頭瑞宝章といもうのが来た。勲章が三個入っていて略章は小さ
な干からびたレモンの輪切りみたいだった。父はよくレモンの輪切りでかさか
さになった脚をこすっていた。
総理大臣からは従三位というのが来た。これには何もついてなかったが、勲章
と勲記位記をかざる額縁を売るダイレクトメールがたくさん来た。
        (谷内注・●は「次」の下に「米」という文字、きび、サイシ料。)

 またしても「来た」「来た」「来た」である。そして、この「来た」の「主語」はそれぞれ違うのだけれど、その存在に「差異」はない。たまたま、「いま」「ここ」でそういうもの(色)になっているだけなのである。それは「父の死」によって、たまたまそれになっているだけであり、別なことが起きればまた別なものに「なる」。
 「なる」ということばの前では、「サイシ料」も「参万円」も「ゴム印」も「勲章」もかわりはない。そしてそれは、実際には「いま」「ここ」にやってこなかった「レモンの輪切り」ともかわりはない。記憶のなかにやってきた、父の足、そしてレモンの輪切り。それと、なんの変わりもない。
 ここには「なる」という「運動」があるだけなのだ。そして、その「なる」という「運動」を支えているのが、「正直」な谷川のことばなのである。
 この印象、この感動--それは、20年前も、いまも、ほんとうに、まったく変わらない。

 いろいろな「もの」が「来た」最後。それから一か月後、「死んだ父」がやってくる。その最終連が、とてもおもしろい。(おもしろい、というのは変な表現かもしれないが、それしか思いつかない。)

 杉並の建て直す前の昔の家の風呂場で金属の錆びた灰皿を洗っていると、黒
い着物に羽織を着た六十代ころの父が入ってきて、洗濯篭を煉瓦で作った、前
と同じ形で大変具合がいいと言った。手を洗って風呂場のずうっと向こうの隅
の手ぬぐいかけにかかっている手ぬぐいで手を拭いているので、あの手ぬぐい
かけはもっと洗面台の近くに移さねばと思う。父に何か異常はないかときくと
大丈夫だと言う。そのときの気持はついヒト月前の父への気持と同じだった。
場面が急にロングになって元の伯母の家を庭から見たところになった瞬間、父
はもう死んでいるのだと気づいて夢の中で胸がいっぱいになって泣いた。目が
さめてもほんとうに泣いたのかどうかは分からなかった。

 父を思うとき、いつも父がいる。そしてその父は死んでいる。死んでいることが生きていることなのだ。死ぬことによって生きているのだ。生と死はここでは区別がない。
 色即是空。空即是色。一即是多。多即是一。そして、生即是死。死即是生。
 最後に「分からなかった」ということばがあるが、「わからない」ことが「わかる」ことなのだ。「わからない」と「わかる」ことが、きっと、なにかに「なる」ことなのだ。「わかったまま」ではな何かに「なる」ことはできない。
 これは矛盾だ。矛盾だけれど、矛盾だからこそ、私は、それを信じている。そこに、「正直」がある、「正直」がそれを支えていると感じている。

 この「父の死」から20年後、谷川はもうひとつの「死」を書いている。それが「臨死船」。これは、また別の日に日記に。                 (つづく)



世間知ラズ
谷川 俊太郎
思潮社

このアイテムの詳細を見る
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする